十一月

初雪

 駅員さんは、毎年11月になると、初めて犬のマレに出会った日のことを思い出します。

 それは、駅員さんが森の駅に来て3年目。小鳥の落とし物だった桑の木が、初めて実をつけた年でした。



 その日は、穏やかな小春日和こはるびより

 いつもなら冬支度の小鳥たちが賑やかにさえずっているのに、この日に限って桑の木の周りはとても静かです。

 駅員さんはなんだか気になって、仕事の合間に桑の木を見に行きました。木には1羽の鳥の姿もありません。

 いぶかしく思っていると、目の端を何かの影がよぎりました。キツネか何か、森の動物が隠れていたのでしょう。それなら、小鳥たちが桑の木に寄り付かないのも、合点がいきます。

 


 日が暮れると、昼間の小春日和から一転して、急に冷え込んできました。空も雲に覆われ、今夜あたり初雪が降りそうでした。


 一日の仕事を終えた駅員さんが白い息を吐きながら駅舎を出ると、桑の木の後ろに何かいる気配がします。昼間のキツネか何かが、戻ってきたのでしょうか。でも、キツネより大きな動物のようです

 駅員さんは駅舎に戻り懐中電灯を持ってきて、木の下を照らしました。


 後から落ち着いて考えると、いきなりこんなことをするのは危険だったかもしれません。どんな凶暴な生き物がいて、襲いかかってくるかもしれないのです。


 桑の木の下にうずくまっていたのは、一頭の大きな犬でした。

 眠っていた犬は懐中電灯で照らされて、驚いて飛び起きました。犬は唸り声をあげましたが、駅員さんに向かっては来ず、そろそろと後ずさりを始めました。でも、1メートルも行かないうちに、へなへなと座り込んでしまいました。どうやら怪我をしているようです。

 犬は唸り続けているものの、その目は威嚇しているというより、不安で怯えているようでした。


「おなかは、すいていないかい? 食べるものを持ってきてあげようか?」

 駅員さんは宿舎に帰ると、残っていた細切れ肉とニンジンとサツマイモを手早くゆでてボールに入れました。お水を入れたボールといっしょに持って宿舎から出ると、犬はさっきの位置から少しも動いてはおらず、また眠り込んでいました。疲労困憊しているようです。駅員さんに気が付いて目を覚ますと、犬は唸り始めました。

「良かったら、お食べ」

 食べ物と水の入ったボールを置いて、駅員さんは宿舎に戻りました。駅員さんの姿が見えなくなると、犬は這いずって二つのボールに近寄り、ガツガツと食べ始めました。


「どうしたものかな」

 あんな大きな犬を、このまま、駅の周囲に彷徨うろつかせておくわけにも行きません。駅員さんは、思案に暮れました。


 食器ボールがカチャカチャなる音が止んで、犬は食べ終わったようでした。

 宿舎の戸口から覗くと、犬はその場で横たわっています。五分経っても十分経っても、ピクリともしません。


 心配になって側に来た駅員さんに、犬は目を開け頭を起こしましたが、もう唸ったりはしませんでした。

「これから、雪が降りそうだよ。良かったら、宿舎に来るかい?」


 空っぽになったボールを持って駅員さんが歩き始めると、犬はよろよろと立ち上がり、後ろ足を引きずりながら少し離れて付いてきました。戸口のところで立ち止まると、そこから中には入ろうとしません。


 戸は開けたままにして、駅員さんはストーブの火を強め、二つのボールを洗い始めました。洗い終わって振り向くと、犬は土間に入って座り込んでいました。


 明るいところで改めて見ると、首輪の跡も痛々しく、痩せて骨が浮き出ています。どんな状況で飼育されていたのかわかりませんが、少なくとも快適な環境ではなかったようです。その上、長い間ひとりで森を彷徨さまよっていたらしく、泥だらけで、体中にひっつきむしをつけていました。


 戸をしめると、ウトウトしていた犬はビクッとして目を覚ましました。体はこんなに大きいのに、とても臆病なようでした。


 駅員さんは、やっと自分の夕食の支度に取り掛かりました。犬にあげた残りのお肉と野菜とゆで汁を温め直し、朝炊いたごはんを入れて、おしょうゆとコショウで味付けをしました。

 すっかり遅くなった夕食を食べていると、犬の寝息が聞こえてきました。


 その夜、初雪が降りました。

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