年上を敬うということ

奈良ひさぎ

常識を疑え

 年上だから敬う、という価値観は必ずしも正しくない、というより正しくないことの方が多いと思っている。これは育ってきた環境によって形成される考え方だろう。


 私は学生時代、運動部に所属した経験がない。こうした先輩だから、年上だから無条件に敬うという価値観は主に運動部で形成されると信じて疑っていないのだが、どうだろうか。そして尊敬しろだとか、丁寧な言葉を使えとか言ってくる、あるいは態度で示してくる人に限って、特にこれと言って尊敬できるポイントが見当たらなかったりする。小物臭とは普段の言動や行動によく表れるものということだ。上下関係そのものを悪とみなしているわけではないつもりなのだが、表層的な敬意こそ示しても心の底から年上の誰かを敬ったことが、本当のところないのかもしれない。

 もちろん文化部でも、きちんとした上下関係があるところはあるだろう。吹奏楽部など「文化部の皮をかぶった運動部」とよく言われるくらい、学校によっては練習が厳しく上下関係もしっかりしているから、文化部だから、運動部だからと一概に区別できるわけではない。今の私のひねくれた価値観を醸成したのは、上下関係がほとんどないに等しい文化部で中高時代を過ごした経験だと思っている。


 十何歳という学生にとって、家族以外の他人で最も身近なのが同級生、次いで先輩後輩という上下の人たちだろう。同級生、先輩後輩と私は多種多様な身の回りの人に恵まれ育ってきた。もちろんどうしても生理的に受け付けない人たちもいたが、それは誰にとってもいることだろう。接した中でほとんどの人が、自分よりも明らかに優れたところがあり、何気ないことを話しているだけで新しい価値観に触れられ、刺激を受けられる。そんな環境だった。

 だからこそだろうか、大学生になりスマホを通じてネットの世界に飛び込むと、とても尊敬からは程遠い人たちがどこを向いても観測できるようになってしまった。しかも特にこれといった特技もない人たちが尊敬できないのならともかく、私が主に身を置いている物書きという世界においても、到底尊敬に値しない人が多く観測される。これは現在進行形という意味で、あえてこういう書き方をしている。これに引っ張られるようにして、現実世界においても必ずしも尊敬できる人ばかりではない、しかも本当に心の底から、あるいは自然と尊敬できる人などごく一握りだという考えに至ってしまった。


 なんと生きづらい考え方だろうか、と思う人もいるだろう。しかし私自身、それほど息苦しさを覚えているわけではない。初対面の人やまだそれほど仲良くない人に対しては敬語を使う、という程度の常識は持ち合わせているつもりだし、表面的に相手を敬うくらいであればどうとでもなる。もし敬っていないことを看破され指摘されても、その人は本当に尊敬に値しない人だったという証明になっているだけだし、あなたのことはこれっぽっちも尊敬できない、と正直に言ってそっと距離を取るだけだ。人生は一度きりだし、生涯で付き合える人の数は限られている。その貴重な資源を尊敬できない人に割く道理は一切ない。


 先に少し触れたが、物書きに尊敬できる人間は本当に、本当にごく一部だと思っている。昔、明治~昭和初期の作家といえば、高等遊民の節があった。彼らの多くは東大や京大など国内の最高学府を出て、文章を書くことを生業としていた。金の無心を平気でして返さない、女性関係が派手、など性格や生活態度に難がある彼らのエピソードは枚挙にいとまがないが、しかしなまじ頭がいい証明があるだけに、完全には憎めない。彼らが紡ぎ出す文章そのものも時代が過ぎて高く評価されているものばかりで、それらをすべてひっくるめて人間としての魅力と語られているところがある。

 ところがネットで主に活動する物書き諸氏はどうだろうか。大した質の文章を書けないだけならまだいい。量も書かずに威張ることだけは一丁前、しかも大した学もないとなれば、こちらとしてはいよいよ頭を抱えるくらいしかやることがない。あれこれ探してみても、その人に一ミリでも尊敬の念を抱くことが至難の業だったりする。もちろんこれは自分にも跳ね返ってくる話であり、学のあるなしは置いておいて、量を書いて少しでも技術を磨くことは心がけているつもりである。最近は何年か前よりも明らかに書く量が落ちているので、そろそろこんな偉そうな私小説もどきを書く資格がなくなってきたかもしれないと心配しているところだ。


 先輩や年上を素直に敬えないのは環境の影響だ、と述べてきたが、では後輩や年下はどうか。こちらはどうも、敬うというか、無条件に気にかけたり、かわいがることがほとんどだと自覚している。年下のきょうだいがおり、扱いに慣れているからだろうか。逆に年上のきょうだいがいないから、年上に対する効率的な接し方がよく分からないまま、学習する機会もそれほどないまま大人になってしまった、ということなのかもしれない。

 自己紹介の定番として、尊敬する人物は?というものがある。これがなかなかに困る。ありきたりに家族と答えてもいいのだが、家族に抱く感情は尊敬とはまた違うとも思っている。これから自然と尊敬したいと思える人に出会う機会に恵まれるのかどうか、人生はまだ長いので期待するしかない、というのが現状だ。

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年上を敬うということ 奈良ひさぎ @RyotoNara

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