第2話 クラッカーと感情のスイッチ

 チャイムの音が、まるで爆発の導火線みたいに教室を駆け抜けた。

 わたしの計画が、やっと点火する。


 放課後。空気が緩み、荷物をまとめる音や部活の話で教室が膨らみ始める時間帯。

 その隙間に、真っ赤な紙がひらりと舞い込む。


「え、なにこれ……?」

 誰かが拾い上げて、読み上げる。


 > ★THE BAD BIRTHDAY SHOW★

 屋上、放課後。祝いたいヤツだけ来れば?




 ざわ……。教室の温度が一度下がった気がした。

 最初に声を上げたのはやっぱりカナだった。


「……え、なに? なにこのビラ。自分で祝うの?」

「演出? まさかガチでやる気?」

「ってか“仮面は外すこと”って、なに、ウケるんだけど」


 わたしは何も言わず、教室の後ろで自分の鞄を整えていた。

 カナたちの目がチラチラこっちを見てる。

 でも無視。リアクションしたら負けだ。


 ――わたしはもう、誰かに「祝われる側」じゃない。

 「祝わせる」んじゃなくて、「祝いたいやつだけ来れば」

 今日のバースデーは、わたしのためだけにある“ショー”だから。





 校舎のあちこちに貼ったフライヤーが、予想以上に拡散していた。

 わたしが昇降口の壁に最後の1枚を貼っていたとき、後ろから軽い声がした。


「話題になってるよ」


 振り返ると、やっぱり御影陽翔だった。

 少し乱れた髪、制服のポケットに手を突っ込んで立ってるその姿は、相変わらず静かで、でもどこか“騒がしさ”を吸収してるみたいな雰囲気。


「面白がってるんでしょ、みんな」

「たぶんね。でも、面白がるってことは、それだけ何か揺らされてるってこと」


 陽翔はそう言って、壁の端に貼られたビラの端をピッとまっすぐ整えた。

 そういうとこ、変に几帳面で、逆に笑える。


「仮面、外すっていうけどさ。……シイナの仮面って、どれ?」


 唐突な問いに、一瞬、言葉を失った。

 いつもは見ないフリしてたのに、この人は簡単に本題を切り出してくる。

 でも、たぶん悪気はない。毒もない。ただ、見てるだけ。


「……笑顔、かな」

「ふーん。じゃあ、今日は違う顔、見れるの?」


 その言い方が、やけに優しかった。

 わたしはうなずく代わりに、ポケットからクラッカーを一本取り出して陽翔に差し出した。


「来てくれるなら、鳴らしてね」

「派手なやつだといいな」

「盛大に、景気よく」


 陽翔はそれを受け取り、くるりと回して自分の胸ポケットに収めた。

 まるでそれが、何かの“合図”であるみたいに。





 階段を上がる音が聞こえたのは、屋上の準備を終えた頃だった。

 わたしはバルーンの調整を終えて、ぐしゃぐしゃのケーキの横にクラッカーを並べていたところ。


 扉がきい、と開き、数人の足音が近づいてくる。

 最初に顔を出したのは、意外にも――ミオだった。いつもカナの後ろで笑ってる、あの子。


「しーちゃん、来たよ」

「うん、ありがと。クラッカーあるから、ひとつどうぞ」

「あ、これ……なんか本気なんだね。うち、ちょっとビビってるかも」


 ミオが笑いながら言ったその口調は、どこか本音に近かった。

 SNSのための笑顔じゃなくて、もっと柔らかい、素の声。


 そのあとも、ぽつりぽつりと人が増えていった。

 男子グループ、動画映え狙いのペア、そして、最後に――御影陽翔。


 彼はフライヤーの山を脇に抱えていて、風で飛ばされた分を全部拾ってきたらしい。

 無言で机の上に置いて、「会場整ってるね」ってぼそっと言う。


「今日は、ちゃんと準備したから」

「演出家らしいね」

「……言っとくけど、シナリオはないよ」


 陽翔は頷き、ポケットからクラッカーを取り出した。

 その銀色の筒が、光に反射して一瞬だけキラッと光る。

 わたしは深呼吸して、テーブルの前に立った。



 手を上げると、みんなの視線が集まった。

 屋上は夕陽のオレンジに包まれていて、風船がゆっくりと揺れている。

 その真ん中で、わたしは深呼吸をして、宣言する。


「じゃあ、これより――BAD BIRTHDAY SHOWを、始めます」


 パチン、と一つ目のクラッカーが鳴った。

 続けて二つ、三つ、パッパッと乾いた音。

 カラフルな紙吹雪が舞って、風に流れていく。

 音のあとに来る、数秒の沈黙。それが妙に心地いい。


「まずは開会の挨拶……なんて、野暮なことはしないよ。今日はシナリオなし。好きにしていいよ。笑いたい人は笑えばいいし、黙って見てたきゃそれでもいい。SNS用のポーズとか、気にしなくていい。今日のわたしは、本気で主役だから」


 そう言って、わたしはクラッカーの残りを抱えて、ぽいっと空に向かって投げた。

 中身は飛び散って、空中でしゅるしゅると踊ってから落ちてくる。

 拍手が起きた。拍手は、まだぎこちない。でも、それでもうれしい。


 カナが、腕を組んで眺めていた。「……これ、マジなの?」

 ミオが笑う。「うん、マジっぽい。てか、けっこうカッコいいかも」

「えぇ……」


 けれど、誰も帰ろうとはしなかった。





 そのあと、わたしは持ってきたギターを取り出した。

 弾けない。チューニングすら合ってない。でも関係ない。


「ここで一曲、アカペラでお送りします――『バッドバースデーのうた』!」


 みんなが「なにそれ」と笑う中、わたしは適当なメロディで、さっきの放課後に作った即興歌詞を叫ぶ。


 > あーもう全部うざいし

 おめでとうとか聞き飽きたし

 今日くらい 勝手に踊らせろ

 主役は このわたし!




 コール&レスポンスは無視されるかと思ったら、思いのほか男子たちがノってきて、途中から「バッバッバッバッバースデー!」と合いの手が入った。

 ちょっと笑ってしまった。こんな風に笑ったの、いつぶりだろう。





 そして、ショーの中盤。

 わたしはテーブルに置いてあったホールケーキの前に立ち、ナイフを手に取る。

 真ん中にぶっ刺してあったキャンドルに、火をつける。


「ここで、誕生日恒例のケーキ入刀です……けど」


 わたしは一瞬、間を置いて――そのまま、ケーキを両手で持ち上げる。

 そして、ぐしゃあ、と。


 自分の顔に、思い切りぶつけた。


 白と赤の甘ったるいクリームが顔中に広がって、わたしの視界は真っ白になった。

 みんなの叫び声と爆笑が混ざって、空気が一気に弾ける。


 顔を上げると、ぽたぽたとクリームが垂れた。

 見えたのは、みんなの――本当に笑ってる顔。

 演出じゃなくて、見せかけじゃなくて、心からの“笑い”。

 その中に、陽翔の静かな拍手が混じっていた。


 ただ、彼は一言だけ、ぽつりと。


「……それでも、自分の顔を隠すのか」


 それが、痛かった。

 顔に塗ったのはケーキだけじゃない。

 わたしは“仮面”を、もう一枚、重ねていたんだ。





 ショーが一段落して、屋上に夜風が吹いた。

 クラスメイトたちは少しずつ帰っていき、最後に残ったのは、わたしと――陽翔だった。


「派手だったな」

「……派手にしないと、自分の声なんて届かないじゃん」

「それ、昔の俺も思ってた」

「え?」


 陽翔はフェンスにもたれながら、夜の街を見下ろしていた。


「SNSで騒いだことあるよ。“誰か見てくれ”って。……でも、誰も本気で見てなかった」

「……陽翔くんも、そうだったんだ」

「うん。だから、今日のシイナは、すげえ、まぶしかった」

「……嘘じゃない?」

「本気で言ってるよ。仮面かぶってたけど、ちゃんと叫んでたから」


 そのとき、わたしの胸の奥で、カチッと何かがはまった音がした。


 ――たぶんこれが、感情のスイッチってやつなんだろう。





 陽翔は帰り際、わたしのクラッカーを一本手にして、指で弾いた。

 「これ、記念にもらっていい?」と笑う。


 わたしはうなずいて、顔についたケーキの名残を指で拭った。

 指先は甘くて、ちょっとしょっぱかった。


「……また来てね。次の“ショー”にも」

「次は、俺が演出してもいい?」


 冗談めいたその一言に、わたしは思わず吹き出してしまった。

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