「結婚ってお金!」

志乃原七海

第1話:結婚ってお金!



うっとりと指輪を眺めるわたしと、値札と指輪を交互に見比べている健太。そんな私たちに、販売員は確信に満ちた声で、こう言ったのだ。


宇内透子:「フフッ…お二人、とても幸せそうで、見ているこちらまで温かい気持ちになりますわ。婚約指輪選びというのは、まさに人生の輝かしい門出。その大切な一歩を、こうしてお手伝いできるのは光栄なことですわね」


え? 今、なんて? わたしと健太は顔を見合わせる。場の空気が一瞬にして変わった。彼女の口調は丁寧だが、どこか値踏みするような響きが混じっている。


販売員は、そんな私たちの動揺など気にも留めない様子で、言葉を続けた。その瞳は、まるで私たちの未来でも見通しているかのように、深く、そして挑戦的だった。


宇内透子:「ただ…多くの方が、この最初の、そして最もロマンティックな瞬間に、ある『本質的な視点』を見落としてしまうことがございますの。それは、決して夢を壊すような話ではなく、むしろお二人の愛をより強固なものにするための、いわば『愛の羅針盤』とでも申しましょうか」

彼女は指輪をそっと指先で撫でながら、意味ありげに微笑む。


透子:「お客様。結婚とは、お互いの人生を重ね合わせ、未来を共に創造していくという、壮大なる『契約』でもございますのよ。そして、その契約の証として、人は古来より『形あるもの』に想いを託してまいりました。言葉だけでは流れて消えてしまう情熱も、確かな形を与えることで、永遠の輝きを宿すことができるのですわ」


わたしはゴクリと喉を鳴らす。健太は腕を組み、怪訝そうな表情で彼女を見ている。


透子:「最初は、そうですね…交際3ヶ月記念ですとか、半年記念ですとかで、3千円から三万円くらいの範囲のプレゼントを交換なさるでしょう? 可愛らしいものですわ。けれど、関係が深まり、お互いへの理解と信頼が増すにつれて、その『形』に求める意味合いも、自然と変化していくもの。それは、金額の多寡という単純な話ではございませんのよ?(笑) むしろ、お互いの人生に対する『責任』と、未来への『投資』の意識が芽生えるということ。そして、その意識の高さが、贈られるものの『価値』に反映されていくのです」


彼女の言葉は、まるでどこかで私たちの会話を聞いていたかのようだ。


透子:「例えば、『百年一緒にいようね』なんてロマンチックな言葉を囁き合う。素晴らしいですわね。ですが、その百年という長い道のりを、ただ情熱だけで歩み続けられると、本気でお思いになって?(笑) 時間の経過は、愛を試練に晒します。その試練を乗り越え、愛を成熟させていくには、言葉だけでなく、揺るがない『覚悟』の証が必要になるのです。その覚悟とは何か? それは、お互いの人生を豊かにし、困難から守り抜くという『力』。そして、その力の一端を最も分かりやすく、そして美しく示すのが、やはり経済的な基盤に裏打ちされた『選択』と言わざるを得ませんわ」


「選択…」わたしは無意識に呟いていた。


透子:「『愛があればお金なんて』…それは、若く美しい幻想でございます。もちろん、愛は最も尊いもの。しかし、その愛を育み、守り、次世代へと繋いでいくためには、現実的な土壌が不可欠です。このダイヤモンドの輝きは、お二人の純粋な愛の象徴であると同時に、その愛を守り抜くための『知性』と『力強さ』、そして未来に対する『明確なビジョン』をも映し出しているとお考えになってはいかがでしょう? いわば、これはお二人の未来への『賢明なる投資』。そして、男性にとっては、愛する人を生涯守り抜くという『揺るぎない決意表明』そのものなのですわ(笑)」


わたしは、開いた口が塞がらなかった。健太は、さっきよりも深く眉間にしわを寄せ、何かをこらえるように唇を結んでいる。宝石店のきらびやかな照明が、やけに白々しく感じられた。


「…それは、少し極端なご意見ではないでしょうか」

健太が、ようやく絞り出すように言った。彼の声は、いつもより少し硬い。


透子:「あら、極端でございますかしら?(笑) わたくしは、長年多くの方々の人生の節目に立ち会わせていただいておりますが、これはある種の『真理』だと確信しておりますのよ。むしろ、この現実から目を背け、感情論だけで大切な決断をなさることが、後々のお二人にとって、より厳しい結果を招くことも…わたくしには、少しばかり未来が見えてしまうものですから(笑)。この指輪は、お二人がこれから築き上げる『信頼』という名の城の、最初の礎石。その礎石が、どれほど強固であるか。それは、お相手の女性が潜在的に感じ取る『安心感』の大きさに直結いたしますのよ。そして、女性はその安心感の中でこそ、美しく花開くことができるのです」


彼女は少しも怯むことなく言い切った。その自信に満ちた態度は、ある種の説得力さえ帯びているように感じられてしまうから不思議だ。


わたしは、さっきまであれほど素敵に見えていた指輪が、急に重たいものに感じ始めていた。確かに、結婚にはお金がかかる。それは分かっている。でも、こんな風に、愛の大きさが金額に比例するかのように言われるのは、なんだか違う気がした。


「…少し、考えさせてください」

健太がそう言うと、販売員は「もちろんですとも」と優雅に微笑み、トレーを引いた。


透子:「ごゆっくりお悩みくださいませ。ただ、この輝きが、お二人の特別なご縁を象徴しているように、わたくしには感じられます。これほどの逸品との出会いは、そうそうあるものではございません。お手に取って、その『運命の重み』をもう一度お確かめになってみてはいかがかしら? 決断はお早めの方がよろしいかもしれませんわ。この指輪も、いつ他の方の元へと嫁いでしまうか…分かりませんから(笑)」


その言葉は、最後のダメ押しのように私たちの背中に突き刺さった。


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