3 その閃光の輝きを③

 その日はそれで解散となった。

 また喫茶店で、と言って滅三川さんは電車を降りていく。

 家に帰るなり荷物を自室に放り込み、リビングでテレビを付けた。 うっかり映り込んでくれればいいのに、なんて思うが、滅三川さんとは違って自分には見分けなんてつかない。 ただキャスターが最新ニュースを報じ続けるのを聞きながらSNSを眺める。

 こんなに人がいるのに欲しい情報はどこにもない。 目があるだけで何も気づきやしない。

「本当の意味で見ている人なんていない、か」

 いるのにいない。 滅三川さんの言葉を繰り返す。

 スマホを放りだしてセンターテーブルに頭をつけた。

「おかえり。 どうしたの、溜息なんかついて」

 母親がキッチンから顔を覗かせて首を傾げる。

「別に」

 捜索は振り出しに戻った。 バス停で湧き上がった罪悪感が再び首をもたげる。 徒労だったとは言わないが、時間を無駄にしたことに変わりはない。 滅三川さんの弱った顔が瞼の裏に映る。 あんな顔を見たかったわけじゃない。

「あんた最近よく遊びに行ってるけど、勉強もちゃんとしなさいよ」

「わかってるって」

 小煩い母親の声が現実を突きつけてきて辟易とする。 逃げたい。 龍もこんな気持ちになったから逃げ出したのだろうか。

 迷子の龍。 期限は残り一週間を切ろうとしていた。 何かヒントが欲しくて、藁にも縋る思いで母親に聞いてみる。

「……あのさ、迷子を見つけるのってどうしたらいいと思う?」

「迷子? もしかして変なことでもしてるんじゃ……」

「違う。 よく迷子を探させられてる知り合いの話。 変なことなんてしてない」

 母親の疑わしそうな視線から逃げるようにもう一度机に顔を伏せる。

「これはそんなんじゃない……」

 まるで自分に言い聞かせるようだった。 これは現実逃避なんかじゃない。 おとぎ話を追いかけるようなことをしている自覚はある。 それでも、龍を探しているということを否定したくはなかった。


「無駄なんかじゃないさ」

 こちらの負い目ごと煙草を灰皿に押しつぶして滅三川さんが言い切った。

「でも自分が提案したせいであっちこっち連れ回す羽目になったわけだし」

「俺が君を連れ回してたんだけどな。 それに、こういうのはフィールドワークっていうんだよ。 実際に確かめるのは重要なことさ」

 週明けの放課後、喫茶店にいくとやはり滅三川さんはいつもの席に座っていた。

 こちらを見つけるなり手を振って呼び寄せる。 店員の方も心得たようにすんなり通してくれた。

 テーブルには池袋周辺の地図が広げられている。

 席に辿り着くなり、開口一番に時間を無駄にしたことを謝罪した。 だが滅三川さんはそれを大きく笑って否定した。

「それに君はまた重要な手がかりを言ってくれたじゃないか。 それだけでも収穫はあったよ」

「手がかりって、迷子ってやつ?」

 そう、と滅三川さんは地図から顔を上げずに頷く。

「帰ろうとしてないのと、帰りたくても帰れないのは行動が変わる。 帰ろうとしてないなら行動は広範囲になるかもだけど、帰れないならきっと、そんなに遠くには行ってない」

「それも勘?」

「そうだよ」

 顔を上げた滅三川さんと目が合う。 この上なく真っ直ぐで、何かを確信している。

「今日はもっと絞り込みをかけようと思ってね」

「だから地図なんですね」

 ネット上から持ってきた地図をA4サイズに印刷して繋ぎ合わせている。 アナログだな、と思いながら眺める。 地図上に赤い文字や付箋が踊っていた。 どうやら自分がやって来るまでに調べたメモらしい。

「君の通ってる道を教えてくれない?」

「いいですけど」

 地図をじっとみて見たことのある経路を探す。

「駅がここなら、この道を通って……」

 指でなぞると、滅三川さんがその後を赤いペンで追う。

「で、学校って感じ。 役に立つんですか、これ?」

「当然。 君は唯一、龍と接点のある人間なんだ。 この道沿いのどこかで出会っているはず」

「でもこの辺りは散々歩いたじゃないですか」

「視点を変えるんだよ」

 滅三川さんがぴん、と指を立てる。

「今までは人や動くものに集中しがちだった。 今回は痕跡に注目する。 それを見つけるのは——」

「滅三川さんの勘」

「そういうわけ」

 にっ、と笑った滅三川さんは地図を畳み、赤いペンを胸ポケットの眼鏡の横に挿した。

「出るよ。 そら、フィールドワークに行こう」

「なんかそう言われるとすごいことをしてるみたいだ」

「だろう?」

 一度も席に座ることなく店を後にする。 地上に登る足取りは軽やかだった。


「母さんに聞いたんですけど、迷子を見つけるには特徴を呼びかけたり、名前を呼んだりして探すらしいです」

「どっちも今回は向かない方法だねぇ」

「あとは猫とかなら匂いのついてるものを置くとか、餌おくとか」

「龍って何食べるか知ってる?」

「調べた中にはなかったですね」

 そんな話をしながら赤い線を引いた道を基準にして歩く。 時には道を逸れて別の道を通ったりもした。

「なさそう」

 はぁ、と滅三川さんの口から息がこぼれる。

 何度か往復して、今は駅前に戻ってきている。 自分の見る限り、ただ歩き慣れた道を歩いただけで、特に何も変なものも変わった生き物もいなかった。

「やっぱり、自分が関係してるっていうのが気のせいとかじゃないんですか」

 それなら前提条件から変わってしまう。

「そんなことは、ないと思うんだよね」

 道の端でしゃがみ込みながら滅三川さんは肩を落としている。 肺に溜まった空気を吐き出した後、ポツリ、とこぼした。

「……先鋭化した五感は、時に自分の脳がそれを論理的に理解するより先に答えを弾き出すことがある」

「何の話ですか?」

「教授がそんなことを言ってたのを思い出した。 その先鋭化した五感が弾き出した結論ってやつが第六感——つまりは勘ってことらしいよ」

「じゃあ滅三川さんの勘って、見たり聞いたり匂ったりした、何か証拠から来てるってことなんですか?」

「そういう理屈なんだろうね。 説明できないけれど」

 ふぅん、と返しながら、滅三川さんの言葉を咀嚼する。

「じゃあ自分が見たり聞いたりした痕跡とかが引っかかってるのかもですね」

「何かある?」

「特に思い当たるものは何も……」

 首を捻って考える。 何か特殊なことをしたといえば、いつもの喫茶店に行き始めたぐらいだ。 それ以外に思い当たる節はない。

 スマホのアルバムアプリを開く。 刺激の薄い、変わり映えのない日常の記憶は朧気になりがちだ。 写真を見れば何か思い出すかもしれない。

 スクロールしながら数週間前の記憶を振り返っていく。 食べたラーメン。 妙に綺麗だと思った夕焼け、メモ代わりに取った掲示物、長谷川と行ったゲーセンで取ったぬいぐるみ。

「あ」

「あ?」

 滅三川さんが顔を上げる。

「すっごい強いて言うならですけど」

 長谷川の感心したような顔が脳裏をよぎる。 そういえばそんな日があった。

「落とし物いっぱいあるなって思ったっていうか」

「落とし物?」

 ぽかん、と口を開けて滅三川さんが見上げてくる。

「そう。 駅とか学校とかで、今日はやたらものがよく落ちてるなって思った日があったなって」

「いつ?」

「一ヶ月、ぐらい前かも?」

「時期としては一致するね。 ちなみに何が落ちてた?」

 ペットボトル、ハンカチ、切符、ペン、壊れたキーホルダー。 それらを見つけたあとにもピアスや子どもの靴なんかも落ちていたので加えて列挙する。 こんな話を長谷川ともした。

「——切符」

 滅三川さんはその単語だけ拾い上げた。 一瞬、宙に浮いた視線がピタリとこちらに向けられる。

「どこで見た?」

「え? 切符は駅の改札前の通路のところでしたけど」

「行こう」

 滅三川さんはすぐさま立ち上がって歩き出す。 慌ててその後ろを追いかけた。

「ちょっと、滅三川さん?!」

「どこで見たか案内してくれ」

 もう日も沈み、帰宅ラッシュの最中だ。人に揉まれながら駅構内の地下通路を歩く。 その側を悠然と滅三川さんがついてくる。 まるで人混みなど意に介していないかのように。

 最も人通りの多い通路の端に寄り、このあたり、と声を上げた。 滅三川さんは周囲を見渡す。

「落とすところを見たんですけど、誰だか分からなくて」

「この人混みじゃそうだろうね」

「そのあと、切符売り場のところに置いておいたんです」

 切符売り場に移動し、まだ置いてないかと見渡すが流石にどこにもない。

「うん、なるほど」

 妙に納得した顔で滅三川さんが切符売場の台を撫でる。 そこは一ヶ月ほど前に、自分が拾った切符を置いた場所だった。

「さすがに駅の清掃員さんが回収してるんじゃないですかね」

 恐らくゴミとして処理されているだろう。

「だろうね。 でもこれだと思う」

 滅三川さんの口が弧を描く。

「これで龍に辿り着ける」

 訳がわからず困惑するが、滅三川さんはこちらの疑問を意に解す様子はない。

「よし」

 滅三川さんが晴れ晴れとした顔で振り返った。

「じゃあちょっと探してくるよ」

「え、自分もいきますよ」

 思わぬ宣言に間抜けな声が出た。 だが滅三川さんは、大丈夫、と背を向ける。

「時間も遅いし、アリカくんはもう帰りな。 終わったらちゃんと連絡するから!」

 そう言って小走りに去っていく背中を呆然と見送る。

「滅三川さん!」

 呼び止める声も虚しく、その姿は人波に飲まれ、煙のように消えてしまった。


「なんなんだ、もう」

 残された以上できることがあるはずもなく、仕方なく帰路についた。

 あれから二日。 喫茶店にも顔を見せず、音沙汰もない。 電話をかけてみたが不通だった。 時間が経つにつれ、徐々に腹の奥が煮えたぎってくる。

 切符の何が彼の勘に引っかかったのか全く分からない。 このあとどうするのかも分からない。 放り出されたという感触だけが心臓にべったりと張り付いている。

 自由過ぎる。

 抱いていた疑問が滅三川さんへの怒りという形で噴出する。

 煙草を求めて呻く姿を思い出す。 あんな情けない人が龍を一人で見つけられるとは思えない。

 その一方で、彼なら出来てしまうのではないかという予感めいた確信もある。 過去と虚構に反応するというあの勘なら、きっと出会うことができてしまうのだろう。

 どれほど怒っても、放り出されても、裏切られたとは思わなかった。

 ただ、その場に居合わせられないということだけが、酷く残念に思えた。

 夜空を月が駆けていく。

 宿題も適度に終わらせ、ベッドに身を投げた。 呆然と天井を見つめる。

 ネットサーフィンも飽きた。 チャットアプリではクラスメイトたちが賑やかそうにしているが、目を通すのも億劫だ。 煩わしいとアプリの通知を切る。 そのまま放り出そうとした途端、スマホが振動した。

 普段滅多と鳴らない着信音に驚きながら発信者を確認する。

 ——滅三川。

 慌てて身を起こして受話をタップし、耳に押し当てた。

「滅三川さん!」

「やあ、こんばんは。 遅い時間に悪いね」

 ゆったりとした滅三川さんの声が鼓膜を震わせる。

 瞬間、腹の底から煮詰まったものが飛び出した。

「一体今まで何してたんですか! 喫茶店にも来ないし、連絡もないし!」

「それも悪かったよ。 でも今こうして連絡してるだろう?」

「遅いって言ってるんです!」

 どれだけこちらが吠えても、滅三川さんはさらりと受け流すばかりで一向に効果がない。 そんな調子だからこちらも持続せず、最後には怒りは溜息として吐き出された。

「それで。 なんですか」

「うん、落ち着いたから報告しておこうと思って」

 報告、と鸚鵡返しになる。 別れ際に告げられた約束を思い出す。

「もしかして……」

「あぁ。 見つけたよ、龍」

「本当に!?」

 自分が思うより飛び出た声に電話の向こうから笑う声がする。

「本当だって。 君のおかげさ」

「自分は結局何も……よく見つけられましたね、というか本当にいたってこと?」

 捲し立てる自分を、落ち着きなよ、と滅三川さんが宥める。

「だから最初からいるって言ってるじゃないか。 それから。 アリカくんが何もしてないなんてそんなことないよ。 君の記憶と発言がヒントになって見つかったんだ。 賞賛は素直に受け取るべきだよ」

「でも最後まで手伝えてません」

「それは重要なことかい?」

 滅三川さんが心底不思議そうな声で問う。

「俺にできないことを君がして、君にできないことを俺がした。 それだけだよ。

 それともあれか。 君は龍が見たかったのか」

「そ、んなことはないですけど」

「見たかったんだ」

 電話の向こうから押し殺した笑い声が届く。 その声は夜の海のような穏やかさを思わせた。 そう感じるのは何より、自分こそがもたらされた結果に安心しているからだろう。 あれだけ据え兼ねていた感情が、滅三川さんの声だけで凪いでいくようだった。

「うん、悪いね」

「思ってないですね?」

「思ってる、思ってる」

 ぞんざいな言いように呆れてしまう。 だがそれですら愉快だった。 小気味の良いやり取りが嬉しい。

 だが、そこで気づいてしまった。 この時間に終わりが迫っている。

「滅三川さん、龍を見つけたんですよね」

「そうだよ」

「じゃあ、もう」

 言葉にするのを躊躇った。

 この数週間は自分に少なからず影響を与えていた。 滅三川さんという人間に出会ったことで、毎日が色づいて見えた。 退屈な日常から少し逸れたような気がして嬉しかった。 誰に何を言われようとやめようとは思わないほどに。

 だがそれも。

「……もう、終わりですね」

「そうだね」

 いっそ軽やかさすら感じる声が肯定する。

「龍が見つかったからね。 探しものはおしまい。 短い間だったけど楽しかったよ」

「そんな言い方って」

 もう一緒にあちこち歩き回ることもないのだと思うと、胸に穴が空いたような心地になる。 他人とは違う何かを手に入れたと思っていたのに、それは手の中からあっという間に滑り落ちてしまった。 胸を圧迫するこの寂しさを電話の向こうに伝えることが出来ない。

「じゃあ俺が見つけられないほうがよかった?」

 滅三川さんがからかう。

「今週いっぱいが期限だったからね。 期限内に見つけられてよかった」

「それはそうなんですけど」

 間に合ったこと自体は心底ほっとした。 だが、終わりの気配と混ざって素直に喜べない。

 口ごもると、途端に沈黙が広がる。

 重苦しい空気を破ったのは滅三川さんの方だった。

「龍は明日にでも帰るらしい。 帰る姿がこっちに分かるようにするって言ってた。 だから最後にそれを見届けようか」

 ことさら優しく滅三川さんが提案するのに、小さく応じることしかできなかった。

 じゃあまた明日学校で、とかけてきたのと同じぐらい唐突に通話が切れる。

 相手がいなくなったことを知らせる電子音だけが微かに鳴り響いていた。

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