ヒントは情熱の丘

いとうみこと

初めてのソロキャンプ

 駅から一時間に一本しかないバスに乗って三十分、更にバス停から小一時間歩いて、やっと山の中腹にたどり着いた。前回来た時に目をつけておいた湧き水の出る広場だ。整地されているところを見ると、山仕事をする際の作業場か駐車場だったのかもしれない。

 僕は重いリュックを下ろして今夜の寝床の支度を始めた。まずはテントを広げて……あれ、ここはどうするんだったか……焦れば焦るほど混乱して、時間だけが過ぎていき、気づけば空は茜色に染まり始めていた。


「あの……」

 不意に声を掛けられて、僕は飛び上がるほど驚いたし、実際に飛び上がったかもしれない。心臓をバクバクさせながら振り向くと、見るからにこなれた格好の山ガールが立っていた。僕がなかなか答えなかったからだろう、もう一度彼女が口を開いた。

「あの、失礼ですが、どなたですか?」

 その言葉に僕はやっと我に返った。僕にはやましいところは何もない。

「僕は、僕はこの山の所有者です」

「所有者?」

「はい、先月売買契約を結んだばかりの新米ですけど」

「え、ああ……お父さん、売っちゃったのね」

 そうつぶやくと彼女は黙り込んでしまった。お父さんが売ったということは、彼女は元の所有者の一族ということだ。僕はどうしていいかわからず、そんな彼女を見るとはなしに見ていた。年は僕と同じくらいで二十歳前後に見える。今時の女の子とは違って、化粧っ気のない顔は健康的な肌色で、背中には女子とは思えない荷物を背負っていた。


 その時、彼女が急に顔を上げたので、僕は慌てて目をそらした。

「わかりました。失礼な態度を取ってすみませんでした。では、失礼します」

 そう言うと、彼女は踵を返して既に薄暗い山道へと歩き出した。確かこの時間はもうバスはないはず、このまま彼女を帰して大丈夫なのか。僕は意を決して彼女を追いかけた。

「あの、あの、失礼ですがキャンプは慣れてますよね」

 彼女は足を止めると不思議そうに僕を見た。

「ええ、まあ、それなりには」

「実は僕、ソロキャンプ初めてで、情けない話ですがテントが立てられなくて困ってたんです。恥を忍んでお願いします、手伝ってもらえませんか」

 頭を下げた僕の頭上でくすくすと可愛らしい笑い声がした。

「いいですよ、その代わり私もここにテントを張っていいですか」

「もちろんです! その方が心強いです!」

 彼女は先程とは打って変わって柔らかい笑顔を浮かべた。

「申し遅れました、私、高瀬あやめと言います」

「市川裕人です、よろしくお願いします」


 その後の彼女の手際は、これまで見たどんなキャンパーより見事だった。僕があれほど手こずったテントをものの五分で立てると、僕の分も含めて、あれよあれよという間に準備を整えてしまった。


「せっかくのソロキャンプデビューを台無しにしてしまってごめんなさい」

 お手製のスープを僕の飯盒に注ぎながら彼女は言った。

「とんでもない、高瀬さんが来なかったら、今頃途方に暮れてましたよ」

 僕の情けない言い方が可笑しかったのか、彼女は声を立てて笑った。しかし、程なくうつむいて声を曇らせた。

「ここは祖父の山でした。でも、父が事業に失敗して、借金の返済のために手放したようです。私にキャンプのいろはを教えてくれたのが祖父で、父も一緒によくここへ来たんですけど、仕方ないですね」

 彼女は何かを諦めるように薪をくべた。大きくなった火が、ゆらゆらと彼女の顔を照らしている。僕は気の利いたセリフのひとつも浮かばなくて、彼女の作った美味しいスープを啜るしかなかった。


「そうだ、祖父が言うにはこの山にはお宝があるそうですよ」

 突然、彼女が声を上げた。

「お宝、ですか?」

「ええ、誰にも言うなって言われてたんですけど、もう家の山じゃなくなったし」

 彼女は再び視線を落とした。僕は彼女の笑顔を取り戻すため必死で頭を巡らせた。


「じゃ、じゃあ、一緒に探すのはどうですか? もし見つかったら山分けって条件で」

 僕の唐突な提案に、彼女は困惑の表情を浮かべた。

「え、でも、嘘かもしれませんよ」

「夢があっていいじゃないですか。僕、初めての競馬で万馬券出して、そのお金でこの山買ったんです。怖くなって競馬はそれきりやってませんけど、一攫千金は嫌いじゃないです!」

 彼女の顔に笑顔が戻った。作戦は成功だ。

「わかりました。山分けでお願いします。ついてはヒントがあるんですよ」

「ヒント?」

「はい、祖父からのヒントで『情熱の丘』だそうです」

「なんですか、それ」

「さあ? キャンプに情熱を傾けた人なのでそういう意味かもですけど、でも、この山にはあちこちに祠や洞窟があるし、徳川の埋蔵金伝説も囁かれてますから、もしかしたら……」

「やりましょう!」

 僕は俄然この宝探しに興味が湧いてきた。


「でも、その前に……」

 彼女は悪戯っぽく笑うと言った。

「敬語やめません?」

「それ、大賛成!」

 こうして僕たちの作戦会議は夜更けまで続けられたのだった。

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ヒントは情熱の丘 いとうみこと @Ito-Mikoto

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