トップクラスの顔を持ちながら割と人気なし謎だらけの彼女と体から関係を結んでしまったら、儚い日々を迎えていく件
敗野
第1話
九月も中旬に。
赤や黄色のグラデーションに掠められた道端を街灯が散りばめ、烈火の如き晩霞をもそもそと広がっている
高田馬場駅前のダウンタウンを通り抜けたら、著しく静寂な住宅街。
やや
一体何しに来たんだろう俺。
メッセージの中、マンション名の後に来る部屋番号を押したら、微かな電子音が鳴り始める。
数秒間続いて。
「はい。」
電子機械に濁されても心の表が一瞬掻かれたように感じさせてくる女子の声。
「あ、こんばんは。」
「
「うん。俺。」
「......」
そして向こうは返事がなかった。
代わりに隣でのオートロックが解錠され、ウィーンとドアが開く。
俺は習慣的にうなじを触り、「彼女、相変わらず何考えてるか掴めないな」と思いながら中へ。
ちょうどエレベーターが一階に止まっており、入ってボタンを押すと着くのを待つとした。
このマンションは外廊下のデザインであり、歩くと高空のより強い風に浸かりながら周りの眺めが目に収まるのは良い感じだった。
目指していた部屋のドアで立ち止まり、チャイムに手を伸ばす。
「ピンポーン」
同時に、「ようやくか」「いまからか」という安堵と緊張の矛盾している気持ちが浮かび上がる。が、平気を
何せ彼女の前で下手なんかしたくない。
「ガチャー」とドアが開いた。
俺はそのドアノブを握っており、何度見ても心にささる華奢な指や骨のラインに本能的に目線を落とす。
形の美しい
続いては、すんなりと儚い姿が視線を埋め尽くす。
カラスの
彼女の名前は
それ以外、新宿歌舞伎町で働いている風俗嬢でもある。
そう。今日は、個人的な連絡を通じて、彼女の住所に来てしまったということだった。
彼女のそんな身分を思い付いたら、まるでこのマンションがミラージュになり、夜空を背にした俺は、前へ一歩でも進んだらもう一つの夜に足を踏み入れると、そんな錯覚がしてきた。
「いらっしゃい。裕司くん上がって。」
大きくもなくともちゃんと耳に届くほどの声は、五割の水に二割のキャラメル、余った三割が錆と鉄で半分ずつという印象だった。
咲かせた表情をしている小染は部屋の中へと誘うように俺の腕を軽く摘む。
「邪魔しゃーす。」
俺は玄関前の土間に連れられつつドアを閉め、サムターンをひねたりドアガードをつけたりすることで残り僅かの緊張感を抹消し、目線を戻したら。
いつの間にか、新しく見えたスリッパはすでに履き口がこっち向きで足元に置いてあった。
もっと先には、口元や眼尻の上がったままで正座している小染。
「えーっと、何しとる?」
「あ、ちょっとお嫁さんの体験をさせようと思ってさ~」
「嫁って...まぁ一応ありがとな。」
「で?どんな気持ち言ってみ?」
「気持ち?そりゃー、俺たぶん一生嫁できないからその体験は別にしたってしなくたって。」
今日の小染はルームウェア姿。透かし編みのカーディガンの中には、黒いスリップドレス。大きさのちょうどいい隆起や谷間の含まれた首回りは丸見え。
美感を失わないほどの痩せ型。色気と繊弱を兼ねて、
元々こんなコーデというのは俺の性癖の一つでもあり、小染が着て見せてくれるとその刺激がまた
幸い隠すのが得意なので、今ちょっとそわそわしてきたことがバレやしないはず。
「あはは、できないからこそせめて体験したらとか思わない?」
「むしろ体験したほうが無駄な期待が出てきて一層つらくなるんだ。」
「ふーん、好きじゃないってこと?」
「いや、そうは言ってない。」
「えひひ、よろしい。」
俺のそういう返事を待ちかねたようにあざとい笑い声を漏れた小染。
そして彼女はゆるりと立ち上がり、俺を引っ張って部屋の中に入れる。
一旦、ダイニングの約三分の一を占めたカーペットの上にあるダブルソファで腰掛けた。
アロマの匂いが鼻をくすぐる。
バルコニーと繋がる背後のフレンチドアを薄色のカーテンが覆い、暖色のライトが空間を曖昧に照らす。
すぐそばに目をやると、ローテーブルに置かれていたピッチャーを持ち上げ、中の麦茶をプラスチック制のコップの中に注ぐ小染。
そして麦茶の入ったコップを俺の頬にくっつけてくる。
温くなった意識の清められた俺は手でコップを受け取り、喉を潤し始める。
「裕司くん晩ご飯食べた?」
「まだ。帰りで食べようと思ってな。」
「今食べなくて大丈夫?」意味ありげな笑みでそう問いかけてきた小染。なんだか喋るうちに距離を詰めていないか?...
「これから、裕司くんにはいっぱい体力吸わせていただくし。」
「っ」
一瞬言葉に詰まっていた。さすが風俗嬢、もう雰囲気を醸し始めている。
「大丈夫だと思うけど。」
「だ〜め。もし腰を動かしてる途中で裕司くん急に死んだら私どうすんの?」
「いや死なないよ。」
「はい決めた。裕司くん食べないと続き始めなぁい。あ、ちょうどコンビニで買って残ったやつが。取ってくるね。」
「......」
なるほど、俺に残り物を任せたいだけか。
くるりとソファから離れて食卓に向かった小染がレジ袋を持って返るのを見続け、俺は余儀なく溜息をつく。
「はい、これセブンの塩むすびと、ナナチキ。もうすぐ運動するし食べすぎてもいけないし、これぐらいちょうどかな。」
「ありがとー。ってか直接に残り物あるって言ったらいいのにわざわざ下ネタ入れなくても?」
「下ネタって違うでしょ。だって口で言うだけじゃなくて私たちこれから本当にするじゃん。」
「......あ、結構美味しそうなこれ。」
「話逸らしちゃって、照れた?」
「照れてない。」
「だよね。裕司くんだったらこそこそ興奮するタイプだと思うから。」
「人の本能だろそれって、しかもこそこそってなんだ。」俺はついうなじを触り始める。
「そういう小染はどうだ、興奮しないとはっきり言えるか。」
「......」
部屋は一旦静まり返って。
俺は向こうの様子を目の端で伺おうとしたら。
桃色のほんの少し這い上がった顔をしておりながら、ニヤつく小染がいた。
彼女の瞳孔も、だぶつく液体のように。
「ううん、私も興奮するよ。」
「でも裕司くんに苗字で呼ばれたら冷めちゃった。」
「...」
「なんだそれ。悪かったな。」
俺は目を逸らし、塩むすびのラッピングを剥がす。しばらく会話を避けよう、ずっと揶揄われるとそわそわが止まろうとしないし。
何にせよ、「それ」を最善の状態でやるには、落ち着くのが大事であり、じゃなければ良い体験を得られないのだ。
「...」
静かに噛んで飲み込むことを繰り返す中、俺は何回か何気なくちらりと小染を見る。
彼女は透けるように白く、比例もほぼ完璧だった両脚を曲げて、膝を胸の前で抱きしめながら顎をその上に預けていた。
無言のままでいて、ほのかな弧の描かれた口元とローテーブルのほうにぼんやりと向けた目線。
おとなしいペットのように。ある瞬間、まさしく無垢で天真爛漫の小娘にでも見えていた。
「今何考えてるか」と再び思わされる。
いや、俺にはわかるわけない。諦めろ。
そういう踵を踏んだ思いが心底から
一体何しに来たんだろう俺は。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます