001.不意の一撃
日の光が瞼を通して覚醒を促す。まず知覚したことは温かいということ。ふわふわとした生地が自分を包んでいるのだと直感した。
目を開けると、白い光が直接瞳を刺激し、思わずまた目を閉じてしまった。
「こらディア! 二度寝しない!」
凛とした声が耳をつんざき、”ディア”と呼ばれる彼はベッドから飛び跳ねるように起きた。起きてすぐ目の前に、金色の髪を丁寧に三つ編みにし、白を基調とする立派なドレスを着た女性が、ベッドのそばの椅子に腰掛けていた。
そのぷくっと膨れる彼女の頬を見ながら、何故ここにいるのかと疑問を頭の中でめぐらせる。
「やっぱり思い出せない?」
思い出せないのかと聞く彼女の名前は、そうだ――。
「お前は、ルイーサだ」
「あ、うん。良かった。それは覚えててくれて」
頬をかきながら苦笑いをするルイーサ。彼女と出会ったのは、昨日の夜だった。
その夜については断片的にだが覚えている。いつの間にか木にもたれかかり倒れていたところをルイーサが介抱して助けてくれたのだ。名前を教え合った瞬間のこと。大きな爪を持つ魔獣を見た気がするが、ルイーサが何とかしてくれたのだろう。
その後再び気を失ってしまってしまい、どうなったのかまでは覚えていない。ただ確かなことは――。
――自分は記憶をほぼ無くしていると言うこと。
「ここまで運んでくれたこと、礼を言う。俺はこれからどうしたらいい」
正直なところ"記憶が無い"つまり帰るべき場所がわからないのである。自分はどこの誰で、何をしようとあの場所にいたのか思い出せない今、ルイーサに頼る他無いのだ。
「そうね、取り敢えずお兄様に聞いてみましょう」
「お兄、様?」
「そう、アロイス兄様。この領地の領主よ」
「領主……。ルイーサの兄が?」
「まぁ、その辺は追々話そう。今はその前に――」
と、ルイーサは部屋の外に一歩出ると、体を翻し片目を閉じて言った。
「服装整えなきゃね」
すると、ゾロゾロと執事が一人。メイドが三、四人と入ってきて、その手にはいくつか服が用意されている。
「終わったら応接間までお願い。待ってるから」
そう言うと、ルイーサは扉を閉めてしまった。
それを合図に「では」と執事が手をパンパンと鳴らす。更にそれを合図にしてメイドがディアの服を脱がし、次々に服を着せては脱がせてを繰り返す。
まるで着せ替え人形のような扱いに、何とも言えない屈辱感がディアの思考を停止させた――。
「ま、まさか。ディア様に合う服が執事服しかないとは、申し訳ありません」
ディアが見た鏡の中の自分は、少しつり目の黒い瞳に白い肌。髪は少し耳が隠れるくらいの黒髪で、執事より頭一つほど小さい背格好の未だ子供と取れる姿だ。
「これが、俺……」
自分の姿すら忘れていたディアは、鏡に映る自分の姿に違和感を覚えながら、再び襟を正す。
「では、ディア様。参りましょうか」
扉を開けると、その先には長い廊下が左右に広がっていた。床はふかふかとした赤い絨毯で、それが果ても知らない廊下の先まで続いている。
執事が先導するように、手を進行方向へ伸ばす。
絨毯で足音がしない代わりに、外から聞こえる鳥のさえずりが窓から見える中庭に映る。
中庭に広がる自然にディアが感嘆としていると。
「ディア様、一度中庭に参りますかな。この中庭は庭師が丹精込めて作った庭園でございます故、きっとお気に召すかと」
執事は微笑み、また先導するように手を伸ばした。
途中の廊下を曲がるとすぐに扉があり、それを開くと甘い風が一気に吹き込む。視界いっぱいに花々が咲きかえっていた。
「ここら全ての花は吸魔植物と言って、文字通り魔力を吸って咲き続ける花なのです。庭師が毎日魔力を吸わせているので、この中庭は一年中、花が咲き誇っているのですよ」
赤、青、黄と様々な色で区分けされており、それぞれの花に合った飾りが施されている。庭園中央のガゼボそばに立つ木は、金色の綺麗な花弁を身に着けており、特にディアの目を引き付けた。そこはまるで絵画の中のような場所だった。
「あの金色の花をつけた木は何なんだ」
「あの木ですね。あの木は
「星影香か……」
ほのかに漂う星影香の香りは、どこか懐かしい記憶を呼び起こすかのようだった。どこかで匂ったことのある香りに、つい呆けてしまったディア。
その星影香をもっとよく見ようと、ディアが足を一歩出した瞬間のこと。
――カンカンカンカンカンッ!
鐘を殴打する音が辺りを駆け巡る。
その音は妙に緊張感を煽る音で、それは執事やメイドを慌ただしくさせた。
「この鐘の音は……」
「ディア様! 一旦避難を! これは”スタンピード”の合図です!」
その叫びから間髪を入れずに、ズドンッと爆発音が響いた。辺りを揺らして響く爆発音は、それから何度も続き止む気配がない。
更にその音に混じって、人の規律ある声と獣の吠えたける声が同時に聞こえてくる。
外では何があっているのだろうと、少し曇った空をディアは眺めた。
「ディア様早く!」
執事は扉に手をかけ、ディアに来いともう片手を前後に振っている。そちらに行こうと、ディアは足を前に出したその時――。
「やっと見つけました」
ディアの視界が黒い何かで塞がれた。
見るとそれは黒い艶のある大きな翼で、それを背に二つ付けている、二メートルはあるであろう男がディアの行く手を阻んでいた。
鮮血を塗りたくったような髪色に、全てを見透かすような深い青色の瞳。赤黒い紳士服を身に纏った男だ。また、厚い鱗に覆われた太くて長い尻尾は、彼を人ではない何かだと断定させた。
「貴方を見つけるのに苦労しましたよ。まったく」
「お前は……俺を知っているのか」
人ではない何かは、ディアの言葉に目を見開き困惑の表情を一瞬浮かべる。しかし、すぐに表情を正しそして笑みを浮かべた。
「驚かせてしまいましたね。私の名はルシフェル。七つの分霊の一人。お会いできて実に光栄。魔王様。そして――死んで下さい」
ディアは自身の腹部から、熱くて赤い液体が流れ出ていることに気付く。見ると、ルシフェルの尻尾にも同じ色の液体がべっとりと付着している。一瞬にして彼はディアの腹部を切り裂いたのだ。
ドクドクと流れ出る液体は緑の床を赤く染め上げ、ドサリと音を立ててディアは倒れた。
「ディア様!」
ルシフェルの後ろに隠れていた執事が、メイドを守るようにして、一歩だけ前に踏み出す。手のひらには、三つの鋭利に変形した岩がふわふわと浮いているのが見える。
「ルシフェル……と言いましたかな。先ほど"魔王"と聞こえたのですが……。まずそれはさておき、その方から離れて頂きましょうか。さもないと」
淡々と話しているようだが、声は確かに震えていた。
ルシフェルはそれを声高々に嘲笑してみせた。
「さもないと、何しょう? ハハッ、まさか私を相手出来るとでも? 貴様が? 面白い、実に面白い。名前だけでも聞くのが紳士と言うものか。お聞きしても?」
「貴方に名乗る名はございません。それに、貴方を倒すのは私ではなく、金狼。この屋敷の主様です!」
すると、執事のそばで浮いていた岩が、ルシフェル目掛けて撃ち放たれた。三つの岩、全てが命中した。そのはずだった。
岩は形をなくし、屑となって辺りに散らばった。まるでルシフェルには効いていないようで、ルシフェルは再び嘲笑した。
「格好つける割には、何とも粗末な攻撃。……この岩屑、お返し致します」
放たれた石礫は執事の横を掠ると、後方のメイドの身体に無数の抉り穴を残した。
ドサドサと倒れるメイドからは、まるでそよ風のような弱い息のみが聞こえる。
「守れど守り切らねば格好がつかない。それどころか、自身の巻いた火種を以て仲間を傷つけることになるとは…ろ。実に哀れ」
「あ、あぁ……」
絶望の淵、その場に立っているのは突如として現れたルシフェルだけ。
執事すらも、もはや打つ手無しと膝を付き絶望をその顔に浮き出させる。
「では、この男は頂いていきます。魔王なんて昔は言われてましたが、今ではこんな貧相な姿になって。実に滑稽だ」
倒れる無抵抗なディアを足で蹴る。小柄で肉付きも悪く、覇気も威厳も何も無い男。無性に苛立ったルシフェルは、次は思い切り蹴飛ばした。
「一つ、良いでしょうか」
執事が震える声で問い掛ける。それを横目で見たルシフェルはは、「あぁ」と察したかのように言葉を続けた。
「この惨めな男が魔王なのか。って話でしょう? 今の見た目から想像できませんよね。実に仕方のない事です。そうですね、お教えいたしましょうか?」
一瞬困惑するも、執事はゴクリと固唾を呑む。実際、正体不明な謎の男ディアの素性を、ルイーサさえも知らないのだ。
そんな男が魔王なのだと、今の場を屈服させているルシフェルが言っている。信憑性は俄然高く感じるだろう。
「では、魔王――ディアブラーダ・ディ・プルートについて……」
刹那、ルシフェルの禍々しい鱗の尻尾が切れた。
そして間髪を入れず、頭上から可視の斬撃が放たれる。
「領主、様!」
空中よりこの場に降り立ったのは、ルイーサと同じ金髪をした、身なりの整った青年。片手にはベヤオウガの爪を想わせる如き大剣を携えている。
「良くやってくれた。ここからは、金狼――アロイス・アフロディッテが相手しよう」
世界を滅ぼす魔王様、執事になる 悪ッ鬼ー @09670467
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