世界を滅ぼす魔王様、執事になる

悪ッ鬼ー

プロローグ アブノーマル


 ――肌寒い森の奥深く、湿った土の匂いが鼻腔をくすぐる。葉の擦れる音を乗せた冷たい風が頬を撫でる中、木にもたれ掛かる一人の男を見つけた。

 夜闇に溶け込むような黒い髪を持ち、白い頬は枝か何かで傷だらけになっている。靴は脱げて、身を包む服はもはや服とは言えずボロボロの布と言えよう。

 まるで何かから逃げてきたような酷い風貌に目を見開く。


「あなた、一体どうやって生き延びてこれたの……」


 ――照らしつける光のような、金色の髪。少し乱れた三つ編みの彼女が手を差し伸ばすのが見える。

 彼女は白を基調とした立派な鎧を身に着けており、背には彼女の頭三つ分は大きいだろう槍を携えている。まるで何かを倒す為の格好だ。


「大丈夫ですか? 私はルイーサ・アフロディッテです。ここで何をしていたのかお教え頂けないだろうか」


 最初の戸惑いの様子とは違い、凛とした態度でルイーサと名乗る彼女は問いかけた。


「俺が、ここで……。何をしていたか……?」


 一向に返事が帰って来ない事に痺れを切らせたルイーサは、ため息を漏らし再び口を開いた。


「年齢はいくつか聞いても?」

 

「分からない」

 

「お住まいはどこですか」


「さぁ」


「で、では家族はおられますか」


「どうなんだろうな」


 何を聞かれても知らぬと答える彼に対し、徐々にルイーサは訝しげな表情を浮かべ始める。

 彼の背格好は誰がどう見ても浮浪者のそれで、まともな人間とはお世辞にも言えない。更に自分の情報を出さないと来た。

 もしかすると危険な人物かもしれない。しかし、家も身寄りもなく本当に困っているとしたら。その相対する二つの可能性がある故に、ルイーサは決めるに決めかねる状況だった。

 それでもどちらであれ、彼をこのまま放置するわけにはいかない。憤りが積もる中、最後に聞いておこうと再びため息を漏らして問いかけた。


「はぁ、よく分かりましたよ。よーくね。でも自分の名前くらいは分かるはずよね」


 もはや自身の憤りを隠すことをしなくなったルイーサは、彼に対しての敬語は消えさり、人を食ったような言い方をするようになっていた。

 またどうせ分からないと言うのだろう。と、ルイーサはそっぽを向いたが、彼はやっとルイーサの望む返事を返してくれた。


「ディア、ブラーダ。多分それが名前だ。俺の、名前」


「あ、そ、そう……。ディアブラーダね。いい名前だと、思うわ……?」


 意表を突かれたルイーサは一瞬言葉が詰まった。返事が雑になってしまったなと頬をかいていると、ふと獣臭が風に乗り届いた。


「何これ、臭い」


 よだれの生臭さと、血と糞尿が混ざった酷い悪臭がやがて辺りを包み込むと、やがて嘔気を催させるまでになった。

 ルイーサが背に装備していた槍を手に取ると同時に、この悪臭の元凶が背の高い草の奥から姿を表した。


「ベヤオウガ。面倒ね」


 まるで大木を思わせるかの如き巨躯。腕にはその身体に似付かわしい鋭く大きな爪を持つ獣。

 それをベヤオウガと呼ぶルイーサは頬に汗を垂らし、やがて地面に落ちる。刹那、ベヤオウガはディアブラーダ目掛けて、その大剣のような爪を振り上げ襲って来た。

 呆然と立ち尽くすディアブラーダを守らんと、ルイーサは前に出る。


「ディア! 何してるの! 早く逃げなさい!」


「ディ、ディア?」


「逃げなさい!」


 そうルイーサが叫ぶと、ディアブラーダはズンッと頭が重くなるのを感じた。

 実際に重くなっているのではない。ただ、何かを思い出しそうと、頭が潰れそうなほど痛くなっていたのだ。


「あぁぁ、うぐっあああ!」

 

 ――フッ、と頭が楽になった時。ディアブラーダは倒れ込んだ。


「ディア!」


 ルイーサは思わずディアブラーダのもとへ駆け寄ろうとした。しかし、その動きはベヤオウガの爪によって阻まれる。振り下ろされた爪は、地面を割り、クレーターを形成した。

 あと少しでも避けるのが遅れたら、それで終わっていただろう。しかし、それは少しばかりの延命に過ぎないのだと直感した。


「ここまで、かな」


 体勢が崩れたルイーサは、地面に脚を付いていたのだ。

 思うように動かない脚、しかし眼の前のベヤオウガは未だに無傷。どうしようもない詰みだ。

 目を閉じ、そう死を覚悟した時。

 ――ドチャ、ベチョ……。と断続的に何か粘着質な物が落ちる音がした。

 悪臭が更に酷くなり、思わず目を見開いてしまった。ベヤオウガの姿はなく、そこにあったのは乱雑に砕けた肉塊。そして立ち尽くすディアブラーダの姿。


「ディ、ア?」

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