魔王城奇譚

@reiko-simosimo

魔王城の怪談 〜フールの災難〜

 場所は魔王城。時刻は早朝。

 中央塔一階の長大にも程がある廊下を一人の男が歩いていた。

 所々癖っ毛が目立つ金の髪、きっちり着こなした皺のない燕尾服、微笑の形に細められた両目とギラリと剥かれた額の一ツ目。

 彼の名はフール。何を隠そう魔王軍四傑が一人、<喝采>のフールである。

 フールは先ほど、オークの集落を壊滅させてきたところであった。

 最近独断専行が目立ち、連合国との融和の足を引っ張りまくる上に、方便と被害規模だけは一丁前で心底鬱陶しかったのだ。

 そんな存在をこの世から抹消し、フールは至極ごきげんであった。もう無能なオーク共の阿呆な突撃の尻拭いをしなくてもいい。きっと褒められる。最高だ。額の目もいつもより三割増でギラギラ光っている。

 フールはこれから自分へのご褒美に自分の執務室でワインでも一杯飲もうと思っていた。フールは人間が嫌いだが、そんな愚かな人間の数少ない長所が美味い酒を作るところだ。

 フンフフーンと鼻歌なんて奏でつつ、フールは階段を目指して歩いていく。

 早朝であるからか、誰ともすれ違わない。いつも忙しそうな声と足音に満ちている魔王城にこんな静かな時間があるとは。良いことを知った、と思いつつ、無駄にクルリと一回転してみる。いつもなら邪魔だとミゼリアに怒られるが、今はそんなこともない。楽しくなって一人で白鳥の湖を踊っているうちに、フールの目の前に階段が現れていた。

 執務室は七階。フールは一段二段と数えながら登っていく。階段一つに段は二十。二十数えたら、右回りに回ってまた二十段。

 全部で七回、二十を数えたフールは、少しだけ額の汗を拭う仕草をした。

「相変わらず、ここまで登ってくるのは大変ですねぇ」

 やれやれとばかりに、一仕事した雰囲気を出してそんな事をつぶやいてみる。

 実は全然疲れてないし、何なら汗一粒すらかいていない。フールはこれでも魔王軍最高戦力の一角。階段を七つ登ったくらいでは疲れない。

 それでもこんなことをやって言うのは、その方が面白い気がするからだ。

 フールはクツクツと笑いながら、右を向く。眼前に伸びるこの長い廊下の一番向こうの部屋が、フールの執務室。愛しのボドレーニョ産845年物のワインが待っている場所だ。

 ああ、楽しみだ。邪魔な羽虫どもをまとめて駆除してスッキリした後のワインはとても美味しい。飲む前からもう気分は絶頂。そのせいか、なんだか今日は窓から見える月が大きい気がする。

 やがて目当ての扉の前に到着し、手のひらをすり合わせてドアノブを握る。喉の奥には「ただいま」の声が準備万端で待っている。舌も早くワインを味合わせろと急かしている。フールはそれを有るか無いか分からない理性で宥めながら、四傑らしく優雅に扉を開けようとして、

 ――ガチンッ!

 開かなかった。ドアノブは捻る途中で回るのを拒否し、扉は金属質な非難の声を上げるのみで動かなかった。

 なぜ? フールは混乱する。鍵でも掛かっているのだろうか。なおさらどうして? フールは四傑就任後、一度として扉の鍵を閉めたことはない。面倒くさいし、忍び込むような力量差も分からない馬鹿もいなかったし、なんならもう鍵を失くしたし。ミゼリアに言ったら、怒られて殴られるから言っていないのだが。

 とにかく困った。これでは部屋に入れない。どうしたものか。

 悩むこと数秒。フールは早々に結論にたどり着いた。

 開かないのなら、壊せば良い。ミゼリアに怒られるかもしれないと思ったが、自分に与えられた部屋なんだから好きにしてもいいだろう。自分の部屋以外で同じことをしたら、まあ想像するのも嫌な目に合わせられるかもしれないが。

 フールは少しだけ後ろに下がり、扉全体を瞳に映す。そして腕を広げ、いつもより少し控えめに掌同士を合わせて音を鳴らした。

 ――パンッ。

 そんな軽い音と共に扉が圧し潰され、フールの手でなんなく握れるほどの大きさの細長い棒状になった。

 これがフールの能力クラップ・アンド・クラップ。視界内に存在するものを手を叩くことで圧縮する。フールが四傑の地位を与えられた要因たる能力である。

 棒になった元扉は、ころころと部屋の奥に転がっていく。フールもその後を追うように部屋に入った。もうフールの頭の中はワインのことでいっぱいだ。能力を使っていたときには落ち着いていた舌がまた騒ぎ出している。フールにはもうコイツを止めようという意思はなかった。

 だが、フールの舌が望みのものを味わうことは無かった。

 フールは愕然として部屋に入った瞬間の姿勢で固まっていた。信じられなかった。

 部屋の中には、フールの部屋にあるはずのものが一つとして無かった。フカフカのソファーも。お気に入りのグラスを入れてあった棚も。そしてフールの大切な大切なワインコレクションが貯蔵されていたワインセラーも。

 その代わりに部屋の中にあったのは、半分に割れたどこかの部族の仮面、五寸釘で打ち付けられたエルフ族のものであろう耳、無造作に鎖でグルグル巻きにされた竜の羽の骨、なぜか整理されて置かれているやたらカラフルな背表紙の本が数十冊。その他諸々。これから大規模な呪いの儀式魔術にでも使うのかというような、そうそうたる面々がフールの部屋であるはずの場所で我が物顔して存在していた。

 ――パンッ、パンッ、パンッ、・・・・・・。

 とりあえず一つ一つ圧し潰しながら、フールは必死で頭を回転させる。

 どういうことだろう。部屋を間違えた? いやいや自分は確かに七階の右の廊下の突き当りの部屋にやってきたはず。七回階段を登ったし、流石に左右を間違えるようなことはしない。

 部屋の隅のホコリまで残らず圧縮して、フールは部屋を出た。そして走り出した。

 左側に向かって走り、階段を駆け下りる。一階まで駆け下りたらすぐに方向転換、加速の勢いの減退を最小限に抑えてその場で半回転。再度階段を上っていく。一、二、三、四、五、六、七つ階段を登りきり、そのまま右を向いて全速力。ほんの数十秒で突き当りに帰還する。

 一片の期待を込めて扉がある方へ振り返るが、そこには四角い穴とその向こうに広がる文字通り何一つ無い空間。

 フールはがっくりと膝をついた。今まで一度たりとも汚れたことのないフールの膝に初めてホコリが付いた。

「ああ、私の、私のワインは一体どこへ・・・・・・」

 フールは部屋に向かって手を伸ばす。芝居がかった仕草だが、先程の疲れたフリとは全く違う。フールは本当に絶望していた。数年かけてこつこつ集めたワイン、その中で最高の品であるボドレーニョ産845年物。オーダーメイドのソファー。一目惚れして一式揃えたグラスたち。それら全てが、部屋ごと消えてしまったというのか。ポッカリと間抜けに開いた

四角い穴が、フールの宝を全て食らって嘲笑う大口に見える。

 フールはゆらりと立ち上がる。魔力がドロリと滴る。その双眸には紛れもない怨嗟、第三の目は血走っている。今朝全滅させたオークたちにもこんな瞳は向けていない。

 部屋ごとぶっ潰してやる。フールの思いに呼応して魔力がフールの両手に集まる。燃え上がる憎悪のままにフールが手と手を叩きつけようとした、その時。

「・・・・・・おい、フール。お前、そこで何をしている? 」

 凛としつつも多分に困惑が含まれた声が聞こえた。

 その声に非常に聞き覚えがあったことで、フールは動きを止め、左を向いた。

 そこにいたのは、大河のごとき艷やかな白髪を持つ美女。長身であるフールよりもなお高いその体を寝間着らしきワンピースで包み、揺れる湖面のような瞳を細めて、訝しげにフールを見つめている。彼女の名はミゼリア。<不落星>の異名を持つ、フールと同じ四天王四傑、しかし監視という名目上の上司である。

「なあ、お前は本当になにをしているんだ? 」

 ミゼリアは左手で扉を、開いた扉を押さえながらフールに話しかけてきていた。そこはたった今フールが圧し壊そうとしていた隣の部屋。ミゼリアはそこから出てきたのだろうか。なぜ?

「ミゼリアこそ、そんなところで何をしているのです? 」

 フールは手をおろし、怪訝な表情を浮かべる。

 ミゼリアはなぜフールがそんな顔をするのか分からないという表情で首をひねる。

「何って、書類を片付け終わって、寝てたんだが」

「そんなところで? 」

「私の執務室だぞ? 何の問題があるんだ? 」

 問題も何も。フールはありえないと首を振った。

「貴方の執務室は八階のはずでは? 」

 ここは七階。まさかフールの部屋がどこかへ消えたのと同様にミゼリアの部屋も移動したというのか? これはもう怪異という次元ではなく、フールたちに対する何者かからの攻撃なのでは――。

「ここは八階だぞ」

 最初、ミゼリアが何を言っているのか分からなかった。なにか精神系の呪いをかけられたのかもしれないと思ったが、白竜であるミゼリアにそんなものは効くわけがない。

「いや、ここは七階ですよ。私は七つ階段を登ったのですから」

 そう反論すると、ミゼリアは呆れたようにため息を吐いた。

「六つ」

「は? 」

「一階から七階までには、六つしか階段はないぞ」

 フールは無言で指折り数え始める。

 ええと、一階から二階の間に一つ、二階から三階の間に一つ、三階から四階の間に一つ、四階から五階の間に一つ、五階から六階の間に一つ、六階から七回までの間に一つ。・・・・・・合わせて六つ。だがフールは七つ階段を上った。

「じゃあ、ここは、八階? 」

「そう言っているだろう」

 愕然としているフールに、ミゼリアは苦笑いしている。

「だったらこの部屋は・・・・・・? 」

「私の私物を入れている物置だが」

 フールは自分の顔からサアッと血の気が引くのを感じた。

 この部屋が、ミゼリアの部屋? あの趣味の悪い品々は、ミゼリアの私物?

 ああ、終わった。

「全く、こんな朝っぱらから人の部屋の前で何をしているんだ?」

 ミゼリアがそうつぶやきながら、ゆっくりこちらに歩いてくる。まだ部屋の中の惨場には気づいていないらしいが、それも時間の問題。見られたら、多分今回は一発張り倒されるとかじゃあ済まない。死の危険を感じる。

「・・・・・・何をするんだ? 」

 フールはミゼリアの前に両手を広げて立ちふさがっていた。ミゼリアは右に一歩ずれて避けようとするとフールもまた右へずれる。左に行けば左へ。右、左、また左、右、左、右、右。しばらく無言の攻防を続けながら、フールは考えていた。

 まだ、まだギリギリ生き延びられるチャンスがあるかもしれない。ミゼリアをなんとか執務室に追い返す。それが出来たらなんとかして部屋を復元する方法を探せば良い。

「ミゼリア、実は少し部屋を散らかしてしまいまして。いえその、わざとではなく、自分の部屋だと思って開けたら、インテリアがガラッと変わっていて気が動転したというか、なんていうか」

 嘘と本当を混ぜながら、部屋を汚くしてしまったから自分が掃除する、と訴えてミゼリアを部屋から引き離そうという作戦。

「開けた? ドアを壊してか? 」

 ああ、バレた・・・・・・。だがまだそれだけしかバレていないらしい。ミゼリアと言えど自分の部屋の物が綺麗さっぱり潰されているとは思わないのだろう。

 部屋の中を確認させろ、とフールを押しのけようとするミゼリアをなんとか押し止める。

「あ、あの実は物を少々壊してしまいまして。破片が散らばっていて危ないですから。きちんと綺麗にしてからに・・・・・・」

 今度は大嘘である。

「私が破片ごときで怪我するわけがないだろう」

 ミゼリアはその大嘘を意に介すること無く。フールは内心泣きそうになりながら、なんとか微笑を貼り付けてミゼリアとのワン・トゥ・ワンを続ける。

 その憐れな様子がなんとなく伝わったのか、ミゼリアがため息を吐いて動きを止めた。

「フール」

「はい」

 子犬のように素直に返事をしたフールの目を見つめて、そしてフッと口元を緩めた。

「お前と私ももう長い付き合いだしな、大体のことにはもう慣れた。だから多少壊したくらいなら目を瞑る。そもそもあの部屋にある物はだいたい使い道がなかったものだからな。私の宝物は一部だけだからそれさえ無事なら別にいい」

 ミゼリアの普段のフールへの態度からは考えられない優しく温かい言葉。これを聞いてフールはもう、冷や汗と震えが止まらなかった。

「だからな。どけ、フール」

 ミゼリアはフールから一瞬力が抜けたのを見逃さず、腕を掴んで無造作に投げ飛ばす。

フールは地面に転がり、ミゼリアが部屋に近づいていくのを呆然と見送った。

 その後のことは正直よく覚えていない。

 部屋の中を覗いた瞬間、ミゼリアの長髪が天を衝くように舞い上がった。気づいたときには既に肉薄されていて、防御もろくに出来ずに腹に蹴りを一発もらった。そして髪を掴まれ、耳元でこう囁かれたのだ。

「お前、命と宝、どっちが惜しい? 」

 命と答えた。そうしていなかったら本当に殺されていたような気がする。

 その後ズルズルと髪を掴まれたまま引きづられ、本当の自分の部屋に帰った。ソファーもグラスもワインも変わらずあった。もっとも、ワインは再会もつかの間無惨に破壊されたのだが。

 ミゼリアはフールの髪を掴んだまま思いっきり振りかぶり、全力でワインセラーに叩きつけた。ワインセラーは粉砕、ワインはもちろん全滅、魔力で強化されているはずの床と壁の大理石にも深い亀裂が走った。フールも無事では済まず、体の色んなところにガラスと大理石の破片が突き刺さり、背骨と肋骨が複雑骨折、なす術無く意識を手放したのだった。


「て、いうことがあったんですよねー」

 そしてその一週間後、すっかり怪我から回復した今、自分の失敗とその結果起こった惨劇をフールは宴会の酒のネタにしていた。

 周りの空気はどちらかと言えば冷え気味、なぜならミゼリアがいる宴会でその話をしているからだ。ミゼリアは額に薄っすらと青筋を浮かべているが、フールは気にしない。周囲がミゼリアとフールからジリジリと距離を取っていっているが、フールはカラカラ笑っている。

 あんな大変な目に合ったんだから、その分笑い話にしなければ。自分の失敗も降り掛かった被害も、誰かが笑えばそれは悲劇ではなく喜劇である。

 だからフールは反省はしても後悔はしない。今だって酔いに酔った数人が、馬鹿かようお前、とフールに喝采を浴びせている。ならそれで満足である。

 フールはお調子者で愚か者でお道化者。他人が笑えば自分も嬉しい、自分が笑えればそれ以上のものはいらない、そういう悪魔である。

 だがしかし。フールはワインが入ったグラスを傾けながら思う。

 流石に今回は本気で死ぬかと思ったし痛かったから、もう階数と部屋は間違えないようにしよう。

 フールはワインにそっと誓って、一気に飲み干した。

                                 FIN

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