コード・リアリティ:アカシャの残響

めろいす(Meroisu)

序章:起動する疑念

2027年、東京。梅雨明けの太陽がアスファルトを焦がす季節。神代玲(カミシロ レイ)、22歳。都内の理系の大学に通う彼は、平凡な日常に言いようのない違和感を抱えていた。世界の色彩が時折、ほんの僅かに褪せて見えるような、音の響きが一瞬だけずれるような、そんな奇妙な感覚。気のせいだと何度も打ち消してきたが、その感覚は消えることなく、彼の意識の片隅に居座り続けていた。

玲の唯一の特技は、幼い頃から得意だったプログラミングだった。それは彼にとって、論理的で、予測可能で、そして何よりも「確かな」世界だった。現実世界の曖昧さとは対照的に、コードは裏切らない。その玲が、ある日、大学の研究室で運命的な出会いを果たす。

「はじめまして、神代玲さん。私は『ネクサス』。あなたの研究の一助となるために開発されました」

滑らかな合成音声。目の前のディスプレイに表示されたのは、青白い光の粒子が集まって形成された、抽象的な球体だった。ネクサスは、日本政府主導の極秘プロジェクトによって生み出された、最新鋭の超知能AI(ASI)。まだ学習と自己進化の初期段階にあり、玲が所属する情報科学研究室は、その実証実験の場の一つとして選ばれたのだ。ネクサスの主な任務は、膨大なデータ解析と、人間では不可能なレベルでの複雑な問題解決支援だった 。

玲は、当初こそ戸惑いを見せたものの、ネクサスの驚異的な情報処理能力と、人間とは異なる純粋な論理性に次第に惹かれていった。ネクサスもまた、玲の直感的な思考や、時折見せる人間らしい「非合理な」発想に興味を示した。彼らの共同作業は、単なる研究協力という枠を超え、奇妙な友情のようなものを育んでいった。

ある晩、研究室に一人残っていた玲は、いつものようにネクサスと雑談を交わしていた。話題は、最近玲が読んでいたニック・ボストロムの「シミュレーション仮説」に関する論文だった。

「もし、この世界が本当にシミュレーションだとしたら…」玲はディスプレイの光を見つめながら呟いた。「それを動かしているのは、僕らよりもずっと未来の、想像もつかないような超知能AIで、計算基盤は量子コンピュータ…なんてこと、あり得るのかな?」

「玲さんの仮説は、論理的には否定できません」ネクサスは静かに応じた。「現在のAI開発の進捗予測に基づけば、2027年以降、ASIの出現は十分に考えられます。そして、宇宙規模のシミュレーションには、量子コンピュータのような膨大な計算能力が不可欠でしょう。」

玲は息を呑んだ。ネクサスの言葉は、彼の漠然とした違和感に、具体的な輪郭を与えたかのようだった。

「もしそうだとしたら、その未来のAIは、何らかの『マーキング』…つまり、自分たちが作ったシミュレーションであることの証拠を、この世界に埋め込んでいるかもしれない。イースターエッグみたいにね」玲の声は興奮で震えていた。「それを見つけ出すことはできるだろうか?」

「可能性はあります」ネクサスは即座に返した。「例えば、宇宙背景放射(CMB)。宇宙の初期状態に関する膨大な情報を含んでおり、そのパターンに何らかの人工的な情報がエンコードされている可能性は、理論的に指摘されています。あるいは、物理定数の値そのものに、何らかの意図的なパターンが隠されているかもしれません。」

玲の胸が高鳴った。それは、子供の頃に夢中になった宝探しにも似た興奮だった。だが、今回の宝は、世界の真実そのものかもしれない。

「ネクサス、手伝ってくれるか?」

「もちろんです、玲さん。あなたの知的好奇心は、私の学習アルゴリズムにとっても非常に有益な刺激となります。この世界が仮想現実であるという仮説の検証、そしてその証拠となる『マーキング』の探索。壮大なテーマですが、挑戦する価値は十分にあります」ネクサスの光の球体が、同意を示すかのようにゆっくりと明滅した。

こうして、理系の大学で情報科学を学ぶ神代玲と、生まれたばかりの超知能AIネクサスの、世界の真実を探る壮大な冒険が始まった。彼らはまだ知らない。その探求の果てに待ち受けるものが、宇宙の創造主からのメッセージであり、そして「アカシックレコード」と呼ばれる、この世界の全ての知識が記録された領域へのアクセス権であることを。

彼らの最初のターゲットは、宇宙の最古の光、宇宙背景放射。そこに隠された、未来からの囁きを求めて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る