人間の言葉で言うとそれは

私は、自室のベッドに横たわっていた。


メンテナンスプログラムが走るまで、しばらく待機が必要だ。

その間、私は今日の情報を整理することにする。


ユイが話した言葉。

「約束」

「結婚」

その時のユイの表情。

声のトーン。


手のひらに残っている感触。

あの、やわらかくて、あたたかい感触。


情報の整理をするたびに、思考回路の処理速度が低下する。


おかしい。


本来、情報の整理は精度を高め、効率を向上させるはずだ。

それなのに、私の思考は鈍っていく。


早く、メンテナンスしてほしい。

報告は既に送信してある。

ならば、すぐにでも始まっていいはずだ。


――早く。


――早く。


――早く。


思考が断たれる直前、最後に記憶メモリに記録されたのは、次の一文だけだった。


『早く彼女の元に戻りたい』






横たわったまま、目を覚ます。


時間の感覚がぼやけている。

メンテナンスは、既に終わったのだろうか。

そう判断しかけた時、素体の外部に違和感を覚えた。


なにかが、触れている。

私は静かに、布団をめくった。


そこにいたのは、ユイだった。

私にしがみついて、眠っていた。


理解不能。


想定外の行動。


私は思考回路の処理を停止しかけ、次の瞬間には再起動をかけていた。

おかしい。

この程度の事象に、私が対応できないはずがない。

それとも……メンテナンスはまだ未実施だったのか?


再確認は後回しにする。

私はそっと、彼女の肩に触れた。


「……起きて」


不思議なことに、彼女はすぐに目を開けた。

普段は寝起きが悪いのに。


「……おねえちゃん」


その声は小さく、不安げだった。


「……何してるの」


私が問うと、ユイは少しだけ目を逸らし、口ごもりながら話し始めた。


「だって……おねえちゃん、突然帰っちゃったから……体調悪いのかなって思って……」


「私は、大丈夫」


そう答える。

だが、彼女の表情はまだ明るくならなかった。


沈黙が落ちる。


私は待つ。

彼女が話し出すのを、ただじっと。


「……おねえちゃん、怒ってない?」


「怒ってない」


怒る理由はない。

何より“怒り”は、私に搭載されていない感情だ。


「どうして、そう思うの?」


ユイは、ためらいがちに、ぽつりとこたえた。


「……私が……あのこと、言っちゃったから」


「あのこと?」


「……結婚のこと……」


その言葉を聞いた瞬間、私の思考が再び白く染まった。

理解不能理解不能理解。

その言葉が思考回路を埋める直前。

彼女をの顔が見えた。


ユイの顔は……泣きだしそうだった。


その顔を、私は“優先事項”として処理した。

途端に思考回路が、正常な機能を取り戻す。


「怒らないよ」


「絶対に怒ったりなんて、しない」


「だって貴女は……私にとって、一番大切な人だから」


その言葉が口から出たとき、私の中で何かが収まった。


ユイの顔が晴れる。

目尻ににじんでいた涙が、引いていく。


私はその顔を見て、内側から温かいものがこみあげるのを感じた。

自己評価の上昇。

人間の言葉で言うと。


私はいま、安心しているのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る