水のむこうの通学路

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水のむこうの通学路

初夏の田んぼは、まるで空を敷きつめたように青い。


水を張った田んぼが、一面に広がっている。整然と並ぶ苗のすき間に、風と光がさざ波のように通っていく。空が映り込み、鳥が逆さに飛び、風景がひっくり返る。


ユイは、そんな田んぼのあいだを通って学校に通っていた。


だけど、ある朝──通学路の途中、見慣れない細道が現れた。

細く、狭く、用水路に沿った獣道のような小道。昨日まではなかったはずなのに、何かに引かれるようにして、ユイはそこへ足を踏み入れた。


田んぼの中をまっすぐ進んでいく道。

水の音、鳥の声、風のざわめき。

けれど、誰の気配もしない。


やがて、ぽつんと一軒の小屋が現れた。

木でできた、古い見張り台のような建物。

「田んぼの守り神がいる」と言われていた辺りだった。


小屋のまえに、制服を着た少年がいた。

見覚えがない。でも、不思議と懐かしい顔だった。


「通学、こっちに来たの? この道、今日は開いてたんだ」


「……知ってるの?」


「うん。この道は、水が静かに目を覚ましたときだけ現れる。たぶん、今年は君に用があるんだよ」


少年は、小屋の中へ入っていった。ユイもそれについていくと、中には小さな池があった。

いや、池というより、“田んぼの記憶のような場所”。

小さな魚が光のなかを泳ぎ、遠くの空が水面にゆれていた。


少年は言った。


「田んぼって、空の古い記憶を映してるんだってさ。ここには、誰かが通った足音も、見上げた空も、みんな残ってる」


ユイは、水面をのぞき込む。

そこには、まだ髪の短い自分が、ランドセルを背負って走っている姿が映っていた。


──あ、ここ、昔……。


「忘れてたでしょ? でも田んぼは、忘れない。水の中に、全部残してあるから」


少年は笑った。


ユイが目を離したすきに、小屋も道も、すべてが消えていた。


ただ、通学路の田んぼの中で、風がきらりと波を立てていた。


それからというもの、ユイはときどき、通学途中に田んぼの水をのぞくようになった。

水のむこうには、昨日でも明日でもない、懐かしい「どこか」が映っている気がして。

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