力の覚醒と新たな始まり

 文学部棟の階段に立ち込める異様な冷気の中で、陽菜乃は自分の心臓が激しく鼓動するのを感じていた。泰河の「来る!」という叫び声が耳に残り、録音機器から流れる這いずり回るような音が空気を震わせている。


「これじゃダメ……」


 陽菜乃は震える手で銀の鈴を握り直した。さっきまでの除霊の試みは完全に裏目に出ていた。影はより鮮明になり、階段全体に漂う冷気は彼らの息を白く染めている。

 遼の温度計は摂氏五度を示し、晴音のカメラには奇妙な光の筋が映り続けていた。泰河は階段の途中で膝をついたまま、震え続けている。


「宮野さん、どうしよう……」


 晴音の声には明らかな動揺が滲んでいた。

 陽菜乃は深呼吸をした。除霊ではなく、別の方法があるはずだ。


『霊を追い払うのではなく、その心に寄り添いなさい』


 ふと、祖母から教わった言葉が頭をよぎった。


「あなたの苦しみ、あたしに、わけてください」


 陽菜乃は銀の鈴を胸に当て、目を閉じて静かに語りかけた。除霊ではない。浄化を試みるのだ。


 その瞬間、陽菜乃の意識に突然映像が流れ込んできた。深夜の図書館、必死に教科書と向き合う一人の学生。疲労で重くなる瞼、ふらつく足取り。そして、階段での転落。亡くなった姿で発見されたときは、もう朝を迎えた時間だった。


「あっ……」


 陽菜乃は思わず声を漏らした。

 映像の中の学生は、痛みと孤独の中でこの階段に留まり続けていたのだ。夜な夜な、同じように深夜まで勉強する学生たちの足音を聞きながら、自分の存在を訴えようとしていた。誰かに発見してほしかった。


「一人で苦しかったんだね」


 陽菜乃の頬に涙が伝った。


「深夜まで一人で勉強して、誰にも気づいてもらえなくて……でも、もう大丈夫です」


 泰河が顔を上げた。陽菜乃の言葉で影の表情が変わったのを、泰河は視ていた。苦痛に歪んでいた顔が、少しずつ穏やかになっていく。


「俺にも視えます」


 泰河は恐怖を振り切るように立ち上がり、陽菜乃の腕を掴んだ。


「あなたはもう一人じゃない。俺たちがここにいます」


 陽菜乃の銀の鈴と、泰河の霊感が共鳴するように、階段全体に温かい光が満ち始めた。先ほどまでの冷気が嘘のように和らぎ、空気に優しさが戻ってくる。

 遼の温度計は正常な値を示し、晴音のカメラに映っていた光の筋も、今度は温かい金色に変わっていた。


 影は徐々に人の形を取り戻していった。泰河には、若い男子学生の姿がはっきりと視えていた。は陽菜乃と泰河を見つめ、口を動かした。音は聞こえないが、『ありがとう』という言葉だということがわかった。

 陽菜乃にも、泰河に掴まれた腕から、そのイメージが流れ込んでくる。


「もう苦しまなくていいんです」


 学生の霊は深々と頭を下げると、温かい光の中へ静かに溶けるように消えていった。階段に残ったのは、四人の学生と、夜の静寂だけだった。


「終わった……本当に、終わったんですね」


 泰河はほっと息をついた。

 晴音が録音機器を確認すると、異常音は完全に止んでいた。遼も温度計と湿度計をチェックしながら頷く。


「すごいな、キミたち。本当に浄化してしまった」


 遼が感心したように呟いた。



 *****



 次の日の昼休み、カレイドスコープの部室は昨夜の調査報告で盛り上がっていた。


「素晴らしい初仕事だったね」


 真澄が満足そうに微笑んだ。


「陽菜乃さんの浄化能力と泰河くんの霊視能力、そして遼と晴音の記録技術。完璧なチームワークだった」


「でも、最初は除霊を試みて失敗したんです」


 陽菜乃は苦笑いを浮かべた。


「除霊じゃダメで、浄化じゃないと……って」


「それが重要な発見なんだ」


 翔也が割り込んだ。


「陽菜乃さんの力は攻撃的なものじゃない。相手の心に寄り添う力なんだね」


 紅葉も興奮気味に資料をめくりながら言った。


「霊感者と浄化能力者のコンビネーション……これまでの研究事例にはない組み合わせです~」


 悠斗は大げさに手を叩いた。


「これで我がカレイドスコープも一段と強力になったぞ! 歓迎パーティーをしなければ!」


「悠斗ってば、それは後だよ!」


 千沙が苦笑いで制した。


「まずは正式な入部手続きを」


 部室の騒がしさから少し離れた窓際のデスクで、陽菜乃と泰河は並んで入部手続きの用紙に記入をしていた。


「昨夜は怖かったですけど……」


 泰河が口を開いた。


「陽菜乃さんと一緒だったから、最後まで諦めずにいられました」


「あたしこそ、です」


 陽菜乃は隣の泰河を見あげた。


「泰河くんには見えないものが視えて、あたしには泰河くんにできないことができる。足りない同士だけど、一緒なら……」


「俺たち、本当に良いコンビになれそうかな?」


 泰河は初めて心からの笑顔を見せた。

 窓の外では、昼間の大学構内が平和な日常を映し出している。けれど、二人はもう知っていた。この平穏な日常の裏側に、様々な不思議が隠れていることを。


「次はどんな都市伝説に出会うんでしょうね」


「きっと大丈夫です。俺たちなら、どんな謎も解けるような気がします」


 陽菜乃の呟きに、泰河が答える。

 デスクでは、真澄が新しい調査資料を広げていた。


「音楽室のピアノの話、知っている?」


 という声が聞こえてきた。

 陽菜乃と泰河は顔を見合わせ、同時に微笑んだ。彼らの都市伝説研究は、今始まったばかりだった。



 *****



 その夜、陽菜乃は自分の部屋で銀の鈴を見つめていた。祖母から受け継いだこの小さな鈴が、まさかこんな力を秘めていたとは思わなかった。


「おばあちゃん、あたしにこの力をくれたのね」


 鈴は月光の下で静かに輝いている。まるで『頑張りなさい』と言っているかのように。


 一方、泰河は窓から夜空を見上げていた。これまで恐怖の対象でしかなかった霊感が、誰かの役に立つ力になるかもしれない。そう思うと、心が軽やかになった。


「明日からまた、新しい毎日が始まる」


 大学の時計台が深夜零時を告げる鐘を鳴らした。文学部棟の階段は、今夜も静かに十二段のまま、夜の闇の中に佇んでいる。


 そこにはもう、迷える魂はいない。二人の新米研究者が残した、小さな希望の光だけが、微かに階段を照らしていた。




 -☆-★- To be continued -★-☆-

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