起きて!!!!起きて起きて起きて起きて起きて起きて起きて起きて!!!!!!!燃やせ!!!!!!!!!!!!!

 一斗缶には、彼の原稿のほかにも日記帳やCD、ぬいぐるみといった思い出の品がおしくらまんじゅうになって入っている。わたしのものも彼のものもごたまぜに。

 それをトングで掴んだり離したりしながら、じっくりと焼いていく。


「野焼きって違法らしいね」

 やる? とトングを差し出すと彼が思いっきり顔をしかめたので、わたしは声を立てて笑った。トングの先をカチカチと鳴らす。


「家でやればよかったじゃないか」


「儀式は雰囲気が大事なの! 法的にアウトなのは家でやっても同じだし。というか、燃やすことには怒らないんだ?」


「それは……うん。仕方ないというか。君がしたいようにすればいいと思う」


「どうして?」


「小説のモデルは君だから。君が許せないような内容だったなら、それは燃えるべきなんだと思う」


 カチ。缶の中をかき混ぜる手を止める。

「……わたし、きみには怒ってないよ」


「そうは見えない」


「怒ってないってば。だって、書いてって頼んだのはわたしだよ? それが納得のいかない出来だったとして、きみに怒る資格はわたしにはない。それに小説は面白かった。さっき言ったね」

 わたしは振り返り、彼を見て言った。

「きみには感謝してる。でもごめん、これはやらなきゃいけないことなの」


「復讐?」

 言いにくそうに彼が尋ねる。「それは、復讐なの?」

「何それ。何に対しての?」わたしも聞き返す。


「何って、分からないけど」

 彼は続けた。


「強いて言うならば、全部?」


 良識的な大人の顔が、訥々とわたしに同情的な言葉をかけてくる。やめてよ、と言いたかった。


「君はその……自分が何も遺さずに死ぬことを、ひどく恐れていた。だけど君が、存在証明を、この世に残すには、あまりにも時間が足りなかった。君は――」


 彼が言おうとしてくれていることを、わたしは自分で言った。

「幼い頃から家事全般を担い、両親からは日常的に暴力を受けていた。合間を縫って必死で勉強して、成績は学年上位。明るく笑顔を絶やさないクラスの人気者。そんなわたしには何者かになれるような特技も、それを磨くための時間も、お金も、心の余裕もなかった?」

 登場人物紹介の文章を諳んじていたわたしに、苦虫を噛み潰したような顔で彼が頷く。

「そう」

 本当なら、自分の存在証明を他人に託すなんてことはしたくなかった。それが、彼の推理したわたしの感情であるらしかった。本当なら、自分の手でこの世に何かを遺したかったのだろうと。

 はっ、と笑う。わたしは言った。

「でも、今言ったわたしの不幸は、やりたいことをやり切れなかった人の言い訳に過ぎないよ」


「そんなことない」と、模範解答が返ってくる。「君の置かれていた環境は、やりたいことをやるにはあまりに過酷だった」


「言い訳だ!」

わたしは叫び、炭化した原稿用紙の束にトングを突き刺した。


「正しさがどうとか知らないの。他の誰かに言ったら暴力になることだとしても、わたしがそう思いたいのよ」


 火が消えかかっている。空は濃紺に染まり、住宅に灯りがついてゆくのが見える。

そろそろか、と思う。わたしは停めてあった自転車に走る。まだ、まだだ。まだ、一番燃やしたいものを燃やしていない。

 バサッバサッバサッと一斗缶の縁にブレザーを叩きつける。火の粉が舞う。


「わたしを綺麗なまま殺してくれる物語に満足して、わたしは死んだんだっ」


 唾を吐く。燃やされた時は白装束を着せられていたわたしは、次に目覚めた時は制服だった。なぜ。なぜ。なぜ。悔しさで涙が出る。鼻がつんとして、その拍子にくしゃみが出た。さらさらとした洟が流れる。拭うのが間に合わず、そのまま口に入る。しょっぱい。ぬるい。

 やっと、本当にやっと彼がわたしを抱きしめた。名前を呼ばれる。その響きを自分でも気に入っていた。たぶんどの世界線でも美しい名前だった。素敵な字の素敵な組み合わせ。その字の連なりを見るだけでわたしの頬が陽光に白く照らされる様が思い浮かぶような、そんな可愛い名前。わたしは新しく産み直されるたびに、美しい名前を授かった。

 時にいじめに遭い、時に虐待され、時にレイプされた。でも、最期は彼に看取られて死んでいった。幸せだった。ほとんどの場合彼は遺される側だった。でも、彼も何度かわたしの代わりに死んだことがある。彼の死はわたしを哀れんだ人たちによってもたらされた。わたしの死はわたしを愛でる人たちによってもたらされた。


「もう、いいんだよ」

彼は大きな声を出す。


「ぼくらはもう、自由になっていい。小説だってもう書かないよ。その必要がなくなったんだ。君はこうして今、生きている。ねえだから、ずっと一緒にいよう、いようよ」


 その言葉を信じたい。信じてあげたい。ああ、大好きだ、きみよ。いつもわたしの記憶を抱えて生きてくれてありがとう。きみにはつらい思いをさせてばかりだ。わたしはわたしを抱いて離さない彼を見上げる。


「ずっとなんて窮屈だよ!」


「ご、ごめん」とすぐさま彼が謝るのでおかしかった。鼻水と涙で汚れた顔で笑って、こう続ける。


「ね、きみも気まぐれで遠くに行ったりしていいんだよ? わたしもそうしたいから。どこにいてくれたっていいんだ、生きてさえいれば。たまに帰ってきて、話を聞かせてよ」


「それなら君もうんと遠くに行っていい。道中で会った人をあっさり好きになって、家庭を築くかもしれない。築かなくてもいい。何であれ君が選んだ道なら面白いはずだ」


 空に稲妻が走ったような気がして、目を見開いた。抱かれてつま先立ちになっていた足を、しっかりと地面につける。彼はその間、手を握っていてくれた。


真っ直ぐ立つと、彼と同じ高さで目が合った。


「……あれ」


 背が伸びたわたしを見て、彼は呆然としている。


「魔法かな」私は呟いた。


 しばしの沈黙を挟んだ後、彼も呟いた。


「魔法だね」



 からだが、燃えるように熱い。缶の中の火は消えていた。わたしたちを過去にする感傷すべてを焼き尽くして、火は、わたしたちの体内に宿った。

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