起きて!!!!起きて起きて起きて起きて起きて起きて起きて起きて!!!!!!!燃やせ!!!!!!!!!!!!!

椎人

起きて!

 わたしが余命を宣告されて、彼と付き合って、死ぬまでの出来事を、彼は小説に書いた。

 わたしは今その原稿を、彼の目の前で燃やしている。


「というわけで復活したからよろしく。あ、でも小説はけっこう面白かったからまた書いてほしいな。わたしが気持ちよーく成仏できるような、とびきりの話をさ」


 パチ、パチと火花が散る。

 一斗缶の中で黒くなってゆく原稿用紙を覗き込むと、熱風が顔に当たってまぶたが重くなった。それは泣きそうになる時の感覚に似ている。

「危ないよ」と彼が言う。構わずこの熱さを感じ続ける。限界かも、と思ったところで煤が鼻に入り、わたしは激しく咳き込んだ。涙が出る。(これこれ!)と思う。

 後ろにのけぞったわたしの肩を彼が支えてくれた。スクールシャツ越しに感じた体温に、感想を述べてみる。


「きみの手、死人より冷たい!」


「そうだね。そしてぼくを真冬の川に連れ出した誰かさんは、自分だけ火に当たってぬくぬくしているね」


 軽口を叩いた後、彼の表情は変わり、その首が不安げに辺りを見回した。


 河川敷には時々人が通りかかった。犬の散歩に来た人、ランニングする人、下校する中学生。遠くで子どもが母親を呼ぶ声がする。空は茶色に染まりつつあった。

 彼はジャージのポケットに手を突っ込んで身を縮こまらせた。確かにすこし寒くなってきたかも? とわたしは自転車カゴに突っ込んであるブレザーに目をやった。学校にバレるとよくないので、上着は脱いである。


 彼はわたしから離れた。一歩引いた位置で生徒の逆上がりを見守る教師のように、腕組みをして待っている。わたしに注がれるその視線が十年前とは違い、無機物を見るようなものに変わっていることに、わたしはとっくに気付いていた。


 なるほど、きみは真っ当な大人になったのだ。たとえ目の前にいるのが恋人だろうと、そして別れていなかろうと、その肉体が十年前から成長することなくそこにあるならば、きみはわたしを、そういう目で見ない。

 信頼できる。相変わらず、信頼できるなぁ。だからきみを好きになったんだ。

 胸が潰れそうになる。彼が人格者の担任のような顔をしてそこにいることはまったくもって正しいが、その正しさにわたしは傷ついていた。次はきみが十年の眠りにつけばいいのに、と思ってみたりする。そうすれば今度はわたしが十年分の歳を重ねて、きみに会うことができるのに。


 眠っている間は歳をとらない、あれはどういう仕組みなんだろう? 火葬炉で燃やされて灰になってプラスチックの箒と塵取りで骨壺に注ぎ込まれたわたしの肉体は、今こうしてここにある。ほくろの位置も目尻にできたにきびも、空が翳るとやってくる偏頭痛もそのままだ。ということはわたしを死に至らしめた病気もそのままなんだろうか。そう思うと絶望的な気持ちになってくる。神様がいるとすれば、その人は何のために死者を眠りから目覚めさせたのだろう。そしてそれは、どうして今でなくてはならなかったのだろう。どうして、わたしなんだろう。

 きっと答えは得られない。でもこれは、何度も繰り返されてきたことのような気がする。わたしは以前も、彼の小説を燃やそうとしたことがある気がする。


 眠っている間のことは、肌寒かったことしか覚えていない。夢は見なかった。その冷たい場所に、何か温かい風のようなものが入り込んで、目を開くと学校にいた。夏の昼下がりだった。わたしは机に突っ伏したまま眠っていたようで、腕をどける時に汗が天板に張り付いた。教室を見回すと、わたしに気が付いた学生たちが怪訝な顔でじろじろ見てくる。全員、知らない子だった。制服のデザインも少し変わっているように見える。わたしは慌てて教室を飛び出したのだった。


 母校近辺には概ね見知った景色が広がっていたけれど、ところどころ、新しく家が建っていたりコンビニがなくなったりしていた。知っている限りの友達の家を回る。お子さんの友人だとインターホン越しに伝えると、扉を開けて出てきてくれた人もいた。だけど皆一様に、わたしと顔を合わせるなり、「あの、人違いだと思いますよ」と言った。無理もない。わたしは歳をとらないまま、制服を着てそこにいたのだから。

 一回か二回、家に行ったことがある程度では、十年も経てば忘れられていた。わたしも友達の親の顔をよく覚えていなかった。


 最後に行き当たったのが彼の家だった。きっと彼も実家を出ているだろう、と諦め半分でインターホンを押すと、彼が出てきた。後から聞いた話によると、足を悪くした母親を案じて地元に戻ってきたらしい。彼の両親は数年前に離婚し、以後は離れて暮らしているのだという。


 彼はわたしにいくつかの質問をし、わたしが十年前に死んだ恋人その人であることを確かめた。そして、涙を流した。

 だけど、一連の動作はすべて玄関前に棒立ちのまま行われた。彼がわたしを抱きしめることはなかった。

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