天空を駆る姫様

三八式物書機

第1話 王都空襲

 聖歴1931年5月11日夕刻。

 「間もなく日没です」

 航海士は船長にそう告げる。

 船長のガリゥ陸軍大佐は火の点いてないパイプを咥えながら頷く。

 彼らが乗り込んでいるのはかつて、世界中を飛び回った豪華飛行船。

 真っ白な船体から白鯨の通り名で知られた超大型飛行船だった。

 現在は真っ黒に塗り潰され、船体に大きく記された帝国紋章も今は無い。

 ゴンドラ中央にあったパーティホールも爆弾庫に改装され、50キロ爆弾が50個も吊るされている。

 ゴンドラ後方にはワイヤーに吊るされた複葉機が2機。

 それも真っ黒に塗り潰されている。

 船体の彼方此方には機銃座が追加設置された。

 豪華飛行船は完全に軍用飛行船に変わっていた。

 かつての栄華は内装の一部に見受けられるだけ。

 船長は華美な船長の座席でゆったりと座っていた。

 航海士は風を読み、航路の確認を行っていた。

 現在、彼らは最前線近くの帝国領に居た。

 眼下では長らく続く王国との戦いで疲弊した兵士達が居る。

 3年に及ぶ戦争で帝国兵士の士気は大きく落ちている。

 

 「この作戦で王国が大きく混乱すれば、一気に戦局を変えられるかもしれない。だが、その為にこの船に乗り込む54名の命が失われるかもしれない。我々の命が国家の命運を担ってくれれば良いのだがな」

 船長の言葉に操舵室は暗くなる。

 「必ずしも戻れないわけじゃありません。暗闇と混乱に乗じて、逃走が出来れば、逃げ切れる可能性はあります」

 副船長がそう告げる。それに船長は苦笑いをする。

 現在、飛行船が軍から受けた命令は王国の首都を空爆する事だった。

 その為に豪華飛行船は改装された。

 水素から貴重なヘリウムガスへと換えられた。

 彼らは夕刻より最前線を超えて、8時間を掛けて、敵首都へと到達。

 爆撃を行い、6時間後、夜明け前後に最前線を超えて、味方領土へと戻ると言う作戦であった。

 飛行船の性能は最高到達高度1750メートル。最高速度時速170キロ。

 現在の飛行機の性能からすれば、圧倒的に分が悪い。

 もし、迎撃されれば、撃墜されるのは確実。

 飛行船に分があるとすれば圧倒的な航続距離と夜間飛行が可能な事だった。

 その為、夜の間に任務を終えねばならなかった。

 まだ、夜間飛行が危険な時代。迎撃のためとは言え、夜間に飛行機が飛び立つことはないと考えられる。

 この作戦の最も重要なポイントだった。

 4基のエンジンはプロペラを回す。

 夕闇間近になり、飛行船はゆっくりと最前線を超えた。

 真っ黒な船体は闇に溶け込む。

 幸いにして、雲が低く垂れ込む為、夜空は暗かった。

 

 高度は1000メートル。昨今の飛行機は3000メートル以上を飛ぶことを考えれば、これでも低い高度だった。だが、それでも地上よりも気温は低い。

 即席で設けられた銃座は覆う物が無い為、寒かった。

 防寒具を着ているが、アデス上等兵は凍えるようにしていた。

 水筒に入れた珈琲もすでに冷めている。

 だが、自分達がこれから生きて帰れないような作戦に従事しているとは思っていない。そもそも重大な作戦を末端の兵士にまで教える事は無い。

 それでも突如、転属を言い渡され、飛行船に乗せられた時から死を覚悟していた。

 船内通信機から声が響き渡る。

 『総員に告ぐ。これより第一種戦闘態勢。銃座は機銃の点検を行え』

 「船尾銃座了解」

 アデス上等兵は目の前に据えられた連装10ミリ機関銃のコッキングハンドルを引っ張る。そして、安全装置を解除した。

 暗闇に向けて、彼は数発を発砲した。

 無事に射撃を終えると彼は操舵室にその事を伝える。

 これから何時間後に本番が訪れる。その時まで、緊張を続けるしか無かった。


 日付が変わる。

 王都は僅かな灯りがあるだけだった。

 まだ、電気が当たり前ではない。街路灯もガス灯が多かった。

 それでも官庁街などは夜間でも働く者の為に電灯が点いている。

 その灯りだけでも暗がりの中では目立つ。

 暗闇を航行する飛行船からは良く見えた。

 監視員がその灯りを双眼鏡で確認した。

 「二時の方角に灯り」

 操舵室でも確認された。それは予定通りだった。

 航海士は自ら描いた航路が合っていたことに安堵する。

 「船長。予定通り、爆撃コースに入れます」

 それを聞いた船長も頬を緩めた。

 「爆撃準備に入れ」

 その言葉に総員が慌ただしく走り回る。

 爆弾庫では爆弾の安全装置が外される。そして、爆弾庫の床にある扉の開閉が確認される。基本的にはハンドルを回せば開く仕組みだが、壊れて開かなければ、爆破する事になっている。

 操舵手は高度を下げる。

 飛行船の高度は1000メートルから500メートルまで下がる。

 街が近付いている。爆弾庫の扉が開き、爆弾が丸見えとなる。

 「爆弾投下用意」

 航海士が告げる。爆弾庫の兵士は投下スイッチを指を掛ける。

 「爆弾投下せよ」

 その合図で投下スイッチが押された。

 懸架装置のロックが外れ、爆弾が次々と落ちていく。

 

 街中で爆発が起きた。

 官庁街の建物は次々と爆散する。

 古い建物は爆発に耐え切れず、崩落した。

 一瞬で街並みは瓦礫の山と化した。

 作戦は成功した。

 2.5tの重さを失った飛行船は突如として、高度を上げていく。

 あまりの急上昇に乗組員の誰もが驚き、転びそうになる。

 船長も焦りながら、指示を出す。

 「転身!転身!国境へと最速で向かえ」

 飛行船は高度を上げながら急旋回を行う。


 丘の上に建つ王宮では一人の少女が勉学に励んでいた。

 王女、ステラ=バスル。

 16歳にして、王立大学に入学する才女であった。

 すでに二人の兄は軍に所属して、前線に出ている。

 自分も王族として、国の役に立ちたいと思っていた。

 その為、勉学に励む毎日であった。

 日付が変わる頃、そろそろ就寝しようかと思い、席を立ち、窓に向かった。雲が多く、夜空は楽しめそうにない。

 眼下に望む王都。

 微かな明りだけが彼方此方に点る。

 戦争中とは思えぬ程、王都は平穏だった。

 だが、その時だった。

 突如として王都中心で爆発が起きた。

 激しい地響きが王宮の彼女にも感じられた。

 ステラは何事かと凝視した。

 王都の爆発の灯りに照らされ、巨大な船体が空に照らし出される。

 「な・・・飛行船だと?」

 それが飛行船であるとステラは確信した。

 そしてすぐに察した。これが帝国の奇襲だと。

 「くそ・・・逃がすか」

 ステラはすぐに駆け出す。

 彼女は寝間着のまま、ブーツを履いて、部屋から飛び出す。

 侍女が慌てて、彼女を止めようとするが、それを無視して、廊下を駆け抜ける。

 そして、王宮の外に停めてある彼女の自動二輪車に飛び乗る。

 兵士達が慌てて、駆け寄るもその前にエンジンを始動させ、彼女は走り去った。

 

 王都空襲は成功した。

 戦果の確認は不可能だが、確実に王都中心に爆撃が出来た。

 これだけでも王国は混乱するだろう。

 明日にはその混乱は全土に広がる。

 前線の士気に繋がるはずだった。

 船長は一気に高度を上げ、速度も上がる飛行船で満足気であった。

 「このまま、何事も無ければ、我々の勝ちだ」

 船長の言葉に全員が固唾を飲む。

 あとは時間の問題だった。

 夜明け前までに国境を越えれば、勝ちなのだ。

 航海士は必死に地図と風を睨んだ。

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