第21話 神

 一対一で魔物と対峙するセリーナの手にはじっとりと汗が滲んでいた。


 ジャマガン王国で代役聖女をやっていた時はイグニスがいてくれたから実質は二対一だったが、今は正真正銘、一人きりだ。


 セリーナを丸呑みしようとする魔物の口はまるで洞窟のように暗く、異臭を放っていた。


 誰もが死を覚悟する状況。

 それはセリーナも例外ではなかった。


 聖獣と契約し、体内に宿すことで沢山の弊害はあったけれど、ジャマガン王国の魔物被害を最小限に抑えることが出来たのはイグニスがいてくれたおかげだ。


(イグニス……ッ、ごめん)


 命を諦めた時、脳裏に浮かんだのは、ダン王太子やマリアベルへの恨み節でもなければ、ヨハンやミリアーデとの思い出でもなかった。


 浮かんだのは、かつて見知らぬ異世界に召喚され、不安がいっぱいだった幼い自分の側に唯一いてくれたイグニスの姿だった。



『これからはマシュガロンがいる。案ずるな、"せりな"』



 カッと目を見開く。


 もう体の中にいるはずがないのに、魂の繋がりも断たれたはずなのに――

 以前と同じ背筋が凍るような、だけど優しさを隠しきれない声で、イグニスだけが知る本当の名前を呼ばれた。


 イグニスとの契約を強制破棄された日。

 体内から引き抜かれたイグニスが最後に伝えた言葉が今になって聞こえた。


 正しくは


 セリーナの絶叫が掻き消してしまっただけで、本当は聞こえていた。

 痛みとショックで忘れていただけだった。



 セリーナは手のひらから"聖女のギフト"と呼ばれているマフィンに似た洋菓子を出し、魔物の口に放り込んだ。


「飲み込みなさい」


 イグニスが取り憑いたかのような凍てつく声。

 気づけば、さっきまでじっとりと滲んでいた汗も引いていた。


 ゴクンッ! と魔物が"聖女のギフト"を丸呑みした音が聞こえた。


 威嚇のために喉を鳴らしていた黒い魔物の瞳は興奮状態が収まり、ネコのように伏せの体勢をとった。


「あなたがジャマガン王国周辺に生息する魔物を統率しているのは知っています。どうしてサチュナ王国側に来たの?」


 魔物は答えてくれない。

 いくら知能が高くても、人の言葉が話せる魔物は存在しないからだ。


「マリアベルが結界を強化した? ヴィンストン伯爵がマリアベルとイグニスを討伐に出さなくなってしまったの? それとも――」


 セリーナがマリアベルにふんして魔物を討伐していた頃は、イグニスの気が済むまで魔物を狩って餌としていた。


 おかげで日頃からジャマガン王国周辺に魔物はおらず、仮に魔物たちが大移動してきたとしてもセリーナを派遣すればすぐに討伐が完了していたので、他国に大勢の魔物が押し寄せるということもなかった。


 しかし、セリーナがジャマガン王国を追放されてから、サチュナ王国周辺に現れる魔物が増えているという。


 自惚れているわけではないが、こう考えずにはいられなかった。


「わたしがいなくなったから?」


 魔物は答えない。

 この場にいる兵士やミリアーデも誰も答えてくれなかった。


「まぁいいわ。もう二度とサチュナ王国には来ないで欲しい。約束してくれる?」


 セリーナが手を伸ばす。

 細くて、しなやかな指先に契約精霊――マシュガロンⅢ世が止まった。


「約束してくれないと、あなたを奪うことになってしまうわ」


 セリーナは反対の手のひらから洋菓子を生み出した。

 それは、"聖女のギフト"よりも毒々しく、「食べてはいけない!」と直感的に忌避きひするビジュアルだった。


 魔物の瞳が揺れている。

 人間よりも鋭敏な感覚を持っている魔物も、セリーナの手にある食べ物が危険なものだと本能的に察していた。


「さぁ、山へ帰りなさい」


 セリーナが命じると伏せていた魔物が体を起こし、空気を揺るがすほどの咆哮を上げた。

 その声を聞いた魔物たちが動きを止め、キョロキョロしてから山岳の方向へ走り出した。


「……セ、セリーナ様!」


 すとん、と腰を抜かしたセリーナ。

 ミリアーデが駆け寄るとセリーナに先ほどまでの威圧感はなく、体は小刻みに震えていた。


「この魔物騒ぎはわたしのせいみたい。わたしのせいで多くの人が亡くなってしまった」

「そんなことはありません!」


 瞳に溜まった涙がこぼれ落ちる。

 ミリアーデは何度も否定しながら、セリーナを抱きしめた。


「セリーナ様が悪いわけがない! セリーナ様はサチュナ王国を救ってくれた大聖女様なんですよ!」

「……わたしが、ジャマガン王国を去ったから」

「うるさい! 違うったら違う! セリーナ様は何も悪いことをしてない!」


 ミリアーデも涙を流しながら叫ぶ。


「立て、セリーナ! あなたは聖女でしょ! 最後まで自分に出来ることをしたいのなら、後悔する前に生きている人に希望を与えなさい!」


 こんなにも感情を剥き出しにしているミリアーデを見るのは初めてだった。


 とめどない涙を何度も何度も拭って立ち上がったセリーナは救護活動に尽力し、魔物の侵攻を真っ向から受け止めたヨハンたちの無事を祈り続けた。



◇◆◇◆◇◆



 あれから丸二日。

 王都に戻らず、辺境伯領で負傷者を癒し続けるセリーナは時間を見つけては教会へ通い詰めた。


 神を憎むセリーナは祈らない。

 祈ったところで何も変わらないことを嫌というほど思い知らされたからだ。


 それでも祈らずにはいられない状況だった。


 ヨハンの部隊が前線から帰って来ず、シュメーロ辺境伯も生死不明となっている。

 捜索隊は派遣されたが、まだ有力な情報は持ち帰られていなかった。


「お願いします。ヨハン殿下を無事に帰してください」


 今日はこれで5回目だ。

 前線で戦っていた兵士たちが帰還する度に重傷者は増え続けている。しかし、その中にヨハンの姿はなかった。


「わたしが本物の聖女なら――」

「いや、聖女だろ」


 ばっと勢いよく振り向く。


 困ったように微笑むヨハンの姿にセリーナは声を出せなかった。


「セリーナ嬢は神に祈らないんじゃなかったのか?」

「……はい。神様、キライなんです」

「悪い。色々あって帰りが遅くなった。まさか待ってくれているなんて思ってなくて」


 力なく歩き出したセリーナがヨハンの前で立ち止まり、人差し指を突き出す。

 言葉を交わさずともセリーナの意図をくみ取ったヨハンは膝を折って、額をセリーナの指にこすりつけた。


「もう二度とわたしに祈らせないでください」

「あぁ、約束するよ」


 セリーナのかたわらには手作りマフィンが入ったバスケットが置かれていた。

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