第20話 襲来

 魔物の侵攻を食い止めてくれている辺境の部隊は苦戦を強いられていた。


 かつてないほどに魔物の数が多い。

 理由は分からないが、見たこともない凶暴な姿をした魔物がうじゃうじゃと湧いて出てくるのだ。


 そんな絶望的な状況でもシュメーロ辺境伯は冷静に対応し、野営地の天幕の中で次の作戦を立案していた。


「シュメーロ、戦況はどうだ?」

「ヨハン殿下。芳しくはありませんな」


 国境の守備を任されるとなれば、王国内で優秀な人材だ。

 あの特級危険種であるホワイトシヴァの討伐だって、シュメーロと共闘できたから成し遂げられた。

 ヨハンが絶大な信頼を寄せるシュメーロが苦戦するとなれば、国の一大事だ。他のどの予定を後回しにしても駆けつける必要があった。


「この数をどう見る」


 指令本部に乗り込んだヨハンはいつになく鬼気迫る表情で問いかけた。


「奴ら、こちらに魔物を放っているなんてことはありませんよね」

「ジャマガンの連中か? 考えたくはないな」


 シュメーロが目配せすると部下が一枚の資料を持ってきた。


「セリーナ様がいらしてから初めての魔物の繁殖期。こちらは昨年同時期の魔物討伐数ですが、ざっと4倍の数がサチュナ王国側に侵攻しています」

「何が言いたい?」


 いつも飄々ひょうひょうとしているヨハンにしては珍しく低い声で問いかける。

 歴戦の騎士であるシュメーロ辺境伯は怯むことなく、ヨハンの厳しい視線を受け止めて答えた。


「ジャマガン王国は本当に結界を張っていただけなのかはなはだ疑問です」

「この数の魔物を討伐していたと言いたいのか?」


 シュメーロはトントントン、とリズミカルに指で机を小突き、ヨハンに一つの仮説を提示した。


「セリーナ様の護送任務にあたった騎士が聞いたのは真実だったのではないかと考えています」

「あれは、セリーナ嬢の言い間違いだったと報告を受けているぞ」


 シュメーロの部下は別の資料を取り出して、ヨハンが見やすいように机の上に置いた。


「あの日、魔物の話題になった時のセリーナ様は『わたしもたくさんの魔物を殺めてきましたから』と言ったそうですね。騎士が指摘すると『わたしはマリアベル様が討伐される姿を間近で見ていました』と言い直された。しかし、我々は聖女マリアベルは国の周辺に結界を構築して魔物の侵入を許さないと聞いています」

「お前はセリーナ嬢が魔物の討伐をしていたと言いたいのか……?」

「そう考えるのが自然ではないかと」


 実のところ、ヨハンはセリーナのことを何も知らなかった。

 ジャマガン王国から聖女を買うと言い出したのは兄であるロイハルドで、ヨハンの知らぬ所でとんとん拍子に話が進み、早々にセリーナがサチュナ王国にやってきた。


 あの華奢な体で武器を振るとは思えないし、聖女が攻撃手段を持つなんて聞いたことがない。

 しかし、セリーナはやけに魔物の生態に詳しく、討伐への参加を依頼しても顔色一つ変えなかった。


 思考を重ねるヨハンはセリーナの言葉を思い出し、頭の中にある疑問点の一つ一つが繋がって線になるような感覚が強くなっていく。

 

(それに魔物には慣れていますし、か。セリーナ嬢は何を隠している。そんなに知られたくない事実があるのか……?)



◇◆◇◆◇◆



 夜になると魔物の活動が活発になるというのは嘘だ。

 奴らはいつ何時なんどきでも襲ってくる。賢い魔物は夜の方が人間を襲いやすいと知っているのだ。


「痛みは取れますが、だからと言って戦えるわけではありません。このまま救護部隊に運んでもらって戦線から離脱してください」

「馬鹿を言うな! 俺はまだ戦える!」

「ダメです。あの地獄のような痛みをもう一度味わいますか?」


 冷淡なセリーナの脅しには誰も逆らえない。


 兵士は有事の際ということで興奮状態な上に、セリーナの癒しで痛みを忘れられているから大見得を切れるだけで、脇腹には大きな爪痕が残っている。

 このまま傷の手当をせずに戦い続ければ、すぐに死んでしまうだろう。


 そんな状態の兵士を再び戦場に送り出すことはセリーナには出来なかった。


「まだまだ負傷者が多い」


 セリーナが到着する頃には多くの兵が横たわっていた。

 眠るように即死している者、どこの誰かも判別できない者、たった今息絶えた者。


 そんな光景を目の当たりにしたセリーナは初めて悲痛に表情を歪めた。



(こんなことになるなら、最初からわたしが出ていれば良かった。マリアベルにイグニスを奪われていなければ――ッ)



 今更になって聖獣イグニスが引き抜かれたことを悔いるとは思っていなかった。


 イグニスと契約したことで身体的な変化があったことも、いつ喰われるかもしれないという恐怖に駆り立てられたことも、代役聖女として魔物の排除を命じられたことも、全て嫌な記憶だ。


 だけど、他者が無残に命を散らすくらいなら、自分が犠牲になることの方がよっぽど良い。


 セリーナは爪が食い込むほど拳を握る。

 最前線ではなく、後方でしか活動できないことが何よりも悔しかった。


 ふと、隣から、ギリッ……と耳に付く音が聞こえた。それとは別にポタポタと何かが落ちる音も聞こえる。


「ミリアーデ?」

「ふぅ……ふぅ……ふぅ……」


 瞳孔の開いた瞳で遥か前線を睨むミリアーデは、セリーナ以上に強く拳を握り、唇を噛み、食い込んだ爪と歯が傷をつけ出血していた。


「悔しいね」

「今すぐにでも救援に向かいたい。でも、今の私には出来ないッ――!」


(ミリアーデもわたしと同じなんだ)


 悔しい気持ちの強さが同じだとは思わない。

 今にも飛び出しそうになっているミリアーデが隣に居てくれるから、セリーナは冷静さを取り戻せた。


 ミリアーデが居なければ、セリーナの情熱は燃え上がり、前線に向かっていたかもしれない。


「ミリアーデは負傷者の護送を手伝って。ここで出来る応急処置では誰も助からないわ。早く町に戻って、適切な処置を受けさせてあげて」

「……承知しました」


 後方支援とはいえ、安全ではないことは分かっている。

 セリーナは兵士たちの痛みを除去し、"聖女のギフト"で一時的に高揚感を高めさせ、気絶してしまいそうな人に声をかけ続けた。


「……っ! 皆、逃げて! ここにも来る! 魔物が迫って来てる!」


 聴覚と嗅覚が常人よりも優れているセリーナだけが気づくことができた。

 だが、セリーナが感知してからわずかな時間で、ものすごい勢いで風を切る"何か"が草むらから飛び出した。



「グルルルルルルッ」



 奴だ。

 セリーナとイグニスが唯一、喰い殺せなかった魔物がサチュナ王国に来てしまった。


「……嘘、でしょ」


 目を見張るセリーナの周りをジリジリと歩き回るライオンのような魔物。

 そのタテガミは夜空のように黒く、常人であれば闇夜に溶け込んで見失ってしまう。


 後方部隊にも騎士や兵士は配置されているが負傷者を守りながら戦える自身のある者は少なかった。


「ダメ、やめて。皆、殺気を立てないで。大人しくしていて」


 幸いなことに魔物はセリーナしか見ていない。

 セリーナはゆっくりと移動し、魔物を惹き付けるつもりだった。


 ミリアーデはセリーナの言葉を信じて手を出さないつもりだった。

 しかし、誰もがミリアーデのように出来るわけではない。感情コントロールの行き届いていない未熟な兵士たちは、わなわなと震えている。

 恐怖は人を冷静ではいられなくする麻薬だ。


「……はぁ、はぁ……クソ、クソ、クソ。こ、こんな、こんな所で――っ!!」

「ダメーーーッ!」


 兵士が切りかかるよりも、一瞬だけ速く飛び出したセリーナ。


 セリーナは狂乱状態の兵士には背中を向け、魔物に手のひらを向けながら睨みつけた。

 兵士のことはきっとミリアーデが何とかしてくれると信じていたからだ。


「精神の軟弱な者を戦場に駆り出すとはッ! シュメーロ辺境伯の軍も落ちたものだ!」


 兵士の剣を受け止め、渾身の力で頬をぶん殴ったミリアーデが背後を振り向いて目の当たりにしたのは異常な光景だった。



 セリーナに襲いかかる魔物が牙を剥く。

 したたよだれがどれほどまでに空腹か、あるいは憎らしい相手と対面しているのか、知らしめているようだった。


――自分なら死を覚悟して目をつむっていただろう。


 ミリアーデはそう直感した。


 しかし、セリーナは魔物に向けていた手のひらから出した"聖女のギフト"をその巨大な口の中に放り込んでいたのだ。


「飲み込みなさい」


 威圧感のある声で命じるセリーナの後ろ姿に以前のような弱々しさはなかった。

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