第9話 サチュナ王国の王太子

 セリーナは鏡に映る自分の顔から目を逸らして、手のひらを見下ろした。

 これまでジャマガン王国で代役聖女として長年活動してきたセリーナだが、手からお菓子を出したのは今回が初めてだった。


 しかも、手のひらにあったのは異世界に召喚される直前まで食べていたマフィンだ。もちろん、こっちの世界に来てから見たことなんてなかった。


 洗面所から医務室へと戻ったセリーナはベッドの上を見つめ、目を細めた。

 あの後、一心不乱にマフィンを頬張った男の子は気を失ってしまい、今では規則正しい寝息を立てている。


「セリーナ様、先ほどの現象はいったい何でしょうか?」

「わたしにも分かりません。あんなこと、こっちに来てから初めてで」

「こっち? では、ジャマガン王国では経験がおありなのですね!」

「あ、そうじゃなくて。今はわたしのことよりも、あの子の今後を考えるのが先です」


 セリーナの強引な話題のすり替えにもサンダルは嫌な顔をしなかった。


「実はあの手の親は少なくありません。国からの補助金や税の減免を目論んで我が子を犠牲にする者もいます」

「王族の対応は?」


「王都近郊から手を回しているところだ」


 聞き慣れない声に振り向く。

 そこには、あの母親から庇ってくれたロイハルド王太子がいた。


「聖女殿には怖い思いをさせてしまってすまなかった。勘違いしないでもらいたいが、我らは貴公を大歓迎している。やや暴走気味の者がいるということを理解して欲しい」


 ヨハン第二王子とは似ても似つかない憂いをおびた笑顔。

 ヨハンが自由奔放な弟なら、ロイハルドは苦労人の兄といった様子だ。


「我が国は問題が山積みで手が回っていないのが現状だ。おかげで貴公の歓迎パーティーにも顔を出せなかった」


 セリーナに近づいたロイハルドが膝を折る。

 今から何をしようとしているのか察したセリーナはロイハルドが床に膝をつくよりも先に手を引っ込めた。


「いけません、殿下。わたしのような者に――」


 しかし、ロイハルドはセリーナの手を優しくすくい上げ、片膝をついた姿勢のままで手の甲に口付けした。


「これはお礼と謝罪だ。サチュナ王国に来てくれてありがとう」


 セリーナは硬直して声も出せなくなってしまった。

 マリアベルにふんしていた時ですら、男性にされたことがなかった行為に手も足も震えていた。


「サンダルもよく聖女殿が到着するまで持ち堪えてくれた」

「勿体無いお言葉です」

「孤児の数はどうだ?」

「様々な理由で、年々増えています。」


 ガチガチに固まるセリーナを置き去りにして繰り広げられる会話に、どこかへ飛んで行っていた意識を引き寄せる。


「孤児? どういうことですか?」

「長年、聖女が不在だった我が国が聖女教会を存続できたのは孤児院を経営していたからだ。もっとも、いずれ現れる聖女殿の居場所として残しておきたかったというのが本当の理由だが」


 そんな話は聞いていません。と、念を送ってみるとサンダルは申し訳なさそうに眉をへの字の形にして苦笑いした。


「王都の外れに孤児院を開いています。セリーナ様にもご覧いただく予定ではあったのですが」


 セリーナが聖堂に引きこもって仕事をするようになってしまったから言い出すきっかけも、足を運んでもらう機会も失ってしまった。というのがサンダルの言い分だった。


「話を戻そう。さっきの子供の様子は?」

「今はセリーナ様が与えてくださった食べ物のおかげで回復したようです」

「その食べ物とはどのようなものだ?」


 2人に見られたセリーナはとっさに手を隠した。

 出せ、と言われても瞬時に出せる気がしなかった。


「聖女殿、その食べ物を見てみたい。お願いできるだろうか」


 半ば強制とも受け取れるお願いにセリーナは諦めた。


「出来るか分かりませんが……」

 そう前置きしてから手を開き、一点を見つめて想いを込める。


(もう一度、さっきのお菓子を。あと一口食べれば、あの子はもっと良くなるはずだから)


 強く念じていると手のひらに僅かばかりの重みを感じた。


「……出た」


 無意識のうちに呟いてしまうほど、セリーナにとっても驚きの現象だった。


「これはなんだ……?」

「えっと、多分、マフィンだと思います。洋菓子の一種です」

「こんなものは初めて見たぞ。菓子? これが?」


 この世界のお菓子とは似ても似つかないビジュアルにロイハルドもサンダルも目をしばたたせた。


「失礼する」


 セリーナの手からマフィンを取り上げたロイハルドは上下左右、様々な角度から眺め、慎重に半分にちぎった。


 そして、迷う事なく口元へ。


「殿下!? いけません!」


 壁際で待機していた王太子専属の護衛が声を荒げる。


 買い取ったとはいえ、得体の知れない他国の聖女が手から出した食べ物を毒味もせずに食べるというのはあまりにも危険な行為だ。

 しかし、ロイハルドは護衛たちを無視してマフィンを口の中に放り込んだ。


 時間が止まってしまったかのような沈黙。

 ある者はセリーナを睨み、ある者はロイハルドを案じ、ある者は腰の剣に手をかけた。


 やがて、ごくんっとロイハルドがマフィンを飲み込んだ。


「…………んっ!?」


「殿下! 貴様、よくも殿下を!」

「やはりジャマガンの刺客か!」


 口を押さえ、全身を震えさせるロイハルドの反応を見た護衛たちが口々にセリーナを責め立る。

 サンダルだけは庇ってくれたが、王太子専属の護衛たちは彼を押し退けてセリーナに迫った。


「なんて美味なんだ」


 が、ロイハルドの一言で室内は再び、静まり返った。


「しっとりとした口当たりに、優しい甘さ。鼻腔をくすぐるハチミツの香りはこの世のものとは思えない。なんだこの、高揚感は! 何日でも徹夜できそうだ」


 静寂を破ったのもまたロイハルドだった。


「聖女殿、この菓子は無限に出せるのか!? であれば、もっと出してくれ! 貴公の菓子は我が国を救済するものだ!」


 唖然とするセリーナの手を取ったロイハルド。

 その興奮ぶりはあまりにも第一印象と異なっていて、セリーナは困ったように苦笑いを浮かべることしかできなかった。

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