第7話 祈らない聖女

 セリーナがサウスハラ領の天候を意図的に操作したという噂はあっという間に広まり、聖女教会には天候操作の依頼が殺到するという前代未聞の事態に陥った。


「セリーナ様、夜にお祭りがあるらしく絶対に晴れにして欲しいとのことです」

「こっちは気温を下げて欲しいと」

「分かりました。順番にやりますね」


 結局のところ、まだセリーナは聖堂と屋敷の往復だけで聖女としての仕事をこなしており、ほかの領地の視察はほとんど出来ていなかった。

 

 しかも、最近は聖堂の前に大行列ができるようになり、一人一人案内された人から順番に中に入って行く。そんな光景が日常になりつつあった。


「次の方、どうぞ」


 この日、昼頃になってようやく修道士に呼ばれたのは杖をつく老人だ。

 これまで使用されていなかった聖堂内にある懺悔ざんげ室の扉を開けると、中には背もたれのない丸椅子だけが置いてあった。


「チッ……なんと粗末な」


 無意識に出る「よっこいしょ」という掛け声と共に慎重に腰掛ける。


「まったく。こんな狭い場所に閉じ込めおって」


 人によっては不安を駆り立てられるくらい密閉された空間。

 すると、壁の向こう側から声が聞こえてきた。


「体のどこに、どのような不調がございますか?」


 まるでハープのように優しく、美しい声に問いかけられた老人は狼狽えながら答えた。


「腰が痛い。本当に治せるのか?」

「分かりました」


 四方を覆われた狭い個室で背中を丸めて座る老人はいぶかしんでいた。


 突如として国中に流れたもう一つの噂は、聖堂の懺悔ざんげ室に行けばジャマガン王国から来た聖女がどんな不調も癒してくれるというものだった。

 そんなことはありえない、と思いつつも友人たちが口々に賞賛するものだから疑心暗鬼ながらも老人はやってきたのだ。


 待たされること数時間。やっと聖堂の中に入れたと思えば、こんな家畜小屋よりも狭い部屋に押し込められ、たった二言の言葉を交わしただけだった。


 腰が痛むのは嘘ではない。痛みに耐えながらわざわざ足を運んだのだ。治らなければこれを理由に異議申し立てを行うつもりでいた。


(納得のいく効果がなければ、聖女教会ごと潰してやるわい。何が聖女じゃ。高値をはたいて買った女が不良品だったとなれば王族の面子は丸潰れじゃよ)


 そんな黒い想いを内に秘めていたはずなのに――



「な、な、なんじゃと⁉︎」



 がたんっと椅子を転かしながら立ち上がった老人は必死の形相で壁を叩いた。


「貴様、わしの体に何をした⁉︎ こんなことがあるはずがない!」

「腰の痛みを取り払っただけですよ」

「そんなことがあるか! 王国随一の医者ですら治せない痛みを! こんな一瞬で!」


 若かりし頃のように怒鳴っても腰に響かない。何より、支えを必要とせずに立ち上がれたのは十数年ぶりだった。


「貴様、奇術師の類か!」

「ふふっ」


 壁の向こう側でセリーナは笑ってしまった。

 ジャマガン王国ではマリアベル・ヴィンストンの代役として聖女のお役目をこなしてきたセリーナのことをここまで不審に思ったのはこの老人が初めてだったからだ。


「否定はしません」

「認めん、認めんぞ! このディナス・イネ、貴様のような存在がサチュナ王国を救うとは信じない!」

「信仰は各個人の自由です。かく言うわたしも神は信じていませんので」

「唯一神ナィユタを愚弄するのか!」


(ナィユタ? それがサチュナ王国の神様の名前かな。どんな神様か知らないけど、どうせ、わたしに手を差し伸べてくれることはないわ)


 セリーナは答えなかった。

 懺悔ざんげ室の中で騒ぐディナス・イネ公爵が修道士たちに宥められ、連れ出される様子を別室で聞いていたセリーナは静かに息をついた。


「セリーナ様、今日はここまでにしましょう。いくらなんでもお身体を酷使しすぎです」


 朝から夜まで休憩も食事もせずに聖女の力を行使し続けることはセリーナにとって当たり前のことだが、サンダルにとってはありえない働き方だった。

 ヨハン第二王子からセリーナを任されているからという理由ではなく、純粋に彼女の身を案じての進言だった。


「でも、まだ外で待っている人たちがいますよね」

「セリーナ様、ご自身では気づかれていないでしょうから申し上げますが、先ほどからずっと顔色が優れていません。きっとセリーナ様は1日に30人程度の治療しかできないのです」

「30人……そんなもの、ですか」

「何をおっしゃいますか! 30人ですよ! 並みの聖女は1日を通して1人、良くても2人が限界です! セリーナ様が異常なのですよ!」


 そう言われても自覚はない。

 ジャマガン王国で代役聖女をやっている時から、これがセリーナにとっての普通だ。今更、認識を変えることは難しい。


「それに、なぜ一度も見ないで癒やせるのですか!? 実際に目で見て、手を触れて、治癒するのが聖女ではないのですか!?」

「失礼ですが、サンダル様は実際に聖女のお役目を見たことがありますか?」

「い、いえ、私が生まれた時には既にこの国には聖女がいませんでしたから。ただ、先代の司教様からはそう聞きました」

「そうですか。先日も申し上げた通り、聖女に対する認識にズレがあるようです。少なくともわたしは必ずしも直接、人と会う必要はありません」


 サンダルには遠く理解が及ばない話だ。


 聖女の能力の一つに”治癒”というものがある。

 しかし、セリーナの能力は他の聖女が扱う力とはまったく異なるものだった。


 セリーナは視覚や触覚に頼るのではなく、香ってくる匂い、聞こえてくる声色、微細な空気の変化を察知して他人の気持ちや体調を推し量ることができる、類い希な才能を持っている。

 だからこそ、ジャマガン王国ではヴィンストン伯爵家に籠もりながら聖女マリアベルの代役を務めることが可能だったのだ。


 セリーナはこの特殊な能力を凄いと思ったことはなく、ただただ便利なものだった。


 マリアベルと同じメイクで顔を作り、口調も態度も癖も完璧に演じきることができるセリーナだが、唯一、思想だけは真似できなかった。


 マリアベルはいつ何時なんどきでも祈りを捧げる。


 聖女としてお役目を果たす時、マリアベルは人々の前に出て、見て、触れて、大袈裟に祈り、心地の良い言葉を吐いて、目の前で奇跡を起こすのだ。


 セリーナにとって、それは不愉快でしかなかった。

 だから、屋内でもできることは屋内で完結する能力を重宝するようになった。



 隣の部屋から出たセリーナは、ディナス・イネ公爵の去った懺悔ざんげ室を覗き、彼の忘れ物に気づいた。


「あなたはもうお役御免かもね」


 壁に立て掛けられた杖を手に取ったセリーナは寂しそうに微笑み、サンダルへと渡した。


「セリーナ様は神を恨んでいるのですか? たしか、ジャマガン王国はイージャヴィ神でしたか」

「恨んでいます」


 セリーナの即答にサンダルの表情が強ばる。


(幼かったわたしが何度お願いしても元の世界には返してくれなった。それどころか聖獣イグニスの器にまでされて)


 セリーナは再び別室へ入り、次の来訪者を懺悔ざんげ室に呼ぶように修道士に声をかけた。



「――だから、わたしは絶対に祈らない」



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