第6話 代役聖女のやり方
古い本の香りが鼻に付く。
テーブルを挟んでサンダルの正面に座ったセリーナはサチュナ王国の地図を開いて姿勢を整えた。
「まず、サチュナ王国は国土の小さな国です。国が管理する鉱山から鉄や鉱石を掘り出し、生計を立てている者も少なくありません」
「危険なお仕事ですか?」
「えぇ、とても。鉱夫の方々が危険を冒して手に入れた鉱石を確かな技術で加工する職人もいて、それらを他国へ輸出しています」
そういえば、マリアベルがサチュナ王国製のネックレスを欲しがっていたことを思い出した。
宝石や装身具に興味がないと言えば嘘になる。
マリアベルに成りすまして聖女のお役目に出かける時だけは、彼女のコレクションの中から好きなアクセサリーを2つだけ選んで身につけることができた。
自分のアクセサリーを買うこともできず、誰かにプレゼントされることもなかったセリーナにとって細やかな楽しみの時間だった。
しかし、それも今はもう過去の話だ。
セリーナは小さく首を振り、サンダルに続きを促した。
「その反面、野菜や果物などの作物の生産には難渋しており、他国からの輸入を頼りにしています」
「難渋? どうしてですか?」
「年々、サチュナには聖女が生まれなくなっているのです。聖女認定されても力不足だったり、短命だったり。いつしか祈りの力が発揮されず、天候に恵まれない国になってしまいました」
聖女を重宝するのはジャマガン王国だけではない。
より強い力を持った聖女が生まれやすいとされているのがジャマガン王国というだけだ。
「不作のもう一つの原因は魔物です」
ぴくっとセリーナの頬に力が入る。
“魔物”という単語に誰よりも敏感になっているセリーナはテーブルを乗り出す勢いでサンダルの話に耳を傾けた。
「最近になって魔物被害の報告が多くなりました。奴らが作物を荒らし、行商人の荷馬車を襲うのです。今では危険過ぎて通行禁止の道も増えてしまい、交易にも支障を来しています」
「……問題ばかりですね」
ようやく自分が買われた理由を知ったセリーナは、サチュナ王国が直面している問題を目の当たりにして唇をすぼめた。
("今"のわたしにどうにかできる範囲を超えているような)
ジャマガン王国で役立たずと言われてきたセリーナにサチュナ王国を救う自信はなかった。今は
しかし、「できません」と言える立場でもなければ、言いたくもない。
どうにかして、ゆっくりでもいいから一つ一つの問題を解決していこう、と前向きに考えたその時――
「サンダル様! サウスハラ領の農民たちが聖女様を出せと門を叩いています!」
「なんですって!? セリーナ様、ここは危険です。裏口からお逃げください」
脱出を促されてもセリーナは背筋を伸ばしたまま微動だにしなかった。
「ここに
「しかし!」
「ここまで来て引き返すことはないでしょう。せっかくなのでお話しを聞いてみたいです」
セリーナの頼みを渋々承服したサンダルは、聖女の居場所を聞きつけたサウスハラ領の代表者を
四方を壁に囲まれた狭い小部屋の上には手が通るくらいの隙間が空いていて、向こう側を見ることはできないが声はしっかりと聞こえる造りになっている。
セリーナは
「こんにちは。セリーナと申します」
「挨拶なんかいらないんだよ。俺たちの領地に雨を降らせてくれ! 大至急だ!」
驚くことも、嫌な顔もせずに頷くセリーナ。
壁の向こう側にいる男が椅子に座ることなく、立ち上がって熱心に、顔の見えない、ましてや会ったこともない
「昨日、セリーナ様に懇願されていた貴族を覚えていらっしゃいますか? あの方がここから南の領地――サウスハラ領を治める領主様です。きっと領主様からの言いつけを破って単独でここを訪ねて来たのでしょう」
耳打ちしてくれるサンダルに「覚えています」と返事した。
昨日は次から次へと話しかけられたが、その中でも熱心に領地問題の深刻さを語っていた細長い男性がいたことは覚えている。
「日数と降水量のご希望は?」
セリーナは理由を尋ねず、同情することもなく、単刀直入に要望を聞いた。
壁の向こう側で男が言葉に詰まったのも手に取るように分かる。
セリーナの質問は、まとまった雨が降らなくなってしまったサチュナ王国民にとって想像もつかない話だった。
「そんな難しいことを聞くなよ! なんて答えればいいのか見当もつかねぇよ」
「では、とりあえず丸一日、小雨を降らせましょうか」
そう言ったセリーナは書庫室から持ち出した地図を広げ、サンダルに「サウスハラ領はどこでしょうか」と問いかけた。
無言のままサンダルの指が一点を差し示す。
いつもなら瞳を閉じて想像するだけで事足りるのだが、まだサチュナ王国を見て回っていないセリーナはサウスハラ領をイメージすることができなかった。
「その領地の雰囲気を教えてください」
「な、なんだよ、突然」
壁越しに問いかけると
「空は青くて、太陽は高くて、いつでも川で遊べる所だ。森の中が一番涼しくて、子供の頃はよく木登りをして王都の方角を見ていた。大人たちが汗水流して野菜を作っていることなんて知らずにな」
やがて男の声には嗚咽が混じり、声が震え始めた。
「これ以上、家族に負担はかけられねぇんだ! 炎天下の中、ジジババもガキも朝からずっと外で作業をしても金にならねぇ! あいつらを飢えさせるわけにはいかないんだよ。頼むよ」
消え入りそうな男の嘆願に、セリーナはゆっくりと瞳を開いた。
「教えていただき、ありがとうございました。あなた様の故郷を救える手助けができて何よりです」
涙を拭う男にセリーナの顔は見えない。
しかし、サンダルの目に映るセリーナはまるで天使のようだった。
母性と慈愛に満ち満ちた表情は見る者を虜にし、呼吸を忘れさせた。
「……ど、どうことだよ?」
「もう雨は降っていますよ。一日雨が降った後の領地の様子は後日、視察させていただきます。不安はあると思いますが、どうか信じてください」
男には理解できなかった。
こんな嘘みたいな話を信じろという方が馬鹿げている。だが、男は自分でも驚くほど素直に、見えないはずのセリーナに頭を下げていた。
壁の向こう側で
「じ、冗談です、よね……? だ、だって! 祈りも何もしていません! 聖女様が祈るから願いが神に通じて、奇跡は起こるものだと言い伝えられているのに!」
しかし、現実とは残酷で、
サンダルには、ほんの数秒前まで天使のように見えた笑顔も、今では堕天使の微笑に見えた。
セリーナは残念そうに、あるいは虚しそうにドアノブに手をかけた。
「幻想を打ち砕くような事を言いますね」
念の為に前置きしてから告げる。
「祈りなんてものはただの演出です。聖女はサンダル様が思っているほど神々しい存在じゃないですよ」
◇◆◇◆◇◆
同時刻。サウスハラ領にて。
「ヨハン殿下、昨日の疲れが残っているのではありませんか?」
「聖女様の歓迎パーティーのことか? オレは挨拶しただけで何もしていないから疲れることなんてないぞ。逆に体を動かさないと鈍っちまうよ」
農業を生業とする領民たちと一緒になって炎天下の中、畑仕事の手伝いをしているヨハンの頬には泥がついていた。
ヨハンは普段から執務室にこもるのではなく、国民たちの意見を聞き、実際に彼らの仕事を体験して辛さや楽しさを共有することを大切にしている、一風変わった王子だ。
そんな第二王子を護衛する側近たちも普段は純白のマントを翻して涼しげな顔をしているが、気兼ねなく笑い合って、汗を流すことができる。
そう言う意味では王宮の堅苦しい雰囲気よりもこっちの方が性に合っていた。
「今日はやけに熱心ですが、何かありましたか?」
「いや、まぁ、ちょっとな」
作業の手を止めたヨハンの頭の中には、パーティー会場の端っこで黙々とサラダを食べていたセリーナの姿が浮かんでいた。
「……あんな微妙な顔をされたら黙っていられないだろ」
「なにか?」
「美味い野菜を食べさせたい人がいるんだよ」
照りつける太陽の光を遮るように手を上げた時、小さな粒が降ってきた。
「なんだ……?」
手のひらにある水滴を見つめる。
すると、霧雨が風に流されてきて、一瞬にして地面が濡らした。
「あ、雨だ……っ⁉︎」
「まさか⁉︎ 雨の知らせはなかったはずなのに!」
「あいつら、やりやがったのか!」
「王都にいる聖女様に俺たちの声が届いたんだ!!」
空を仰ぎ、歓喜した領民たちは「奇跡だ!」と何度も叫びながら走り回っている。
ヨハンの側近たちも自分のことのように喜び、抱き合っていた。
だが、ヨハンだけは全力で喜びを分かち合えなかった。
「まさか、本当にセリーナ嬢なのか?」
再び、昨日出会ったばかりの少女の姿が脳裏をよぎる。
遠く離れた王都の方角を振り向いての呟きは雨の音にかき消されてしまった。
「オレたちはとんでもない人を引き抜いたってのかよ……っ」
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