青の花嫁衣装
白茶けた草が乾いた風に揺らされてかさりかさりと音を立てている。視線に入った刺繍の裏側。糸のほつれを見つけてここの始末をしたのは妹だったかと思わず笑う。
青の生地に金糸で華やかに入れられた花嫁衣装。
ぽつんとひとり、神の妻となる。
共生者の声が『いいの?』と問うてくるけれど、解決策をくれるでなし、私ひとりで里の者の命と妹達の命が長引くならそれは価値ある嫁ぎで死でしょう。
共生者には付き合わせてしまうけれど。
青い花嫁衣装には色が足されている。
黒い救い手が花嫁衣装に白のイメージがあるというから一年をかけて白糸で刺繍した。
一度目の救済では会話はなかった。
二度目の救済で言葉を交わした。
私が嫁ぐつもりだったと知った彼が三度目の救済に来ないことだって考えられる。
三度。
三年間。
私が里を守ったようなもの。
わかっている。
ここに立つのが私でなくとも彼はそこに立つ者を助けていたことも。
来年は私の家から花嫁はでない。
妹は約束通り里長の息子に嫁ぐだろう。
生き延びたなら私は里長の妻の末席になる。
守護者を御したなにかあった時の生贄として。
家族が、友人が、皆が救われるために。
大人たちがうっとりと犠牲の少ない世界になったと私でない子供を撫でているのを見ていた。
不自由はない生活を送ってきた。
私で多くを守れるならそれは正しいとわかっている。
それでも、少しだけ息苦しくて。
花嫁衣装の重さに顔を上げることを忘れて過ごしていた。
会話のならぬ力ある隣人。
里長が里を守らせるために共生者を駆使して結んだ契約。
恩恵を受けるのは私たち里の者。
一年に一度の花嫁という生け贄は十二才から十五才までの娘がいる家にまわってくる。
娘が生まれた家では嘆きが聞こえるとか。
里の中に同年代の娘がいる家が複数あれば名乗りでとくじで決まる。
帰ってきた花嫁は私がはじめてで。
その年は皆、いつ隣人に襲われるか怯えながら暮らしていて、家族は肩身が狭かったらしい。
外に出ることを禁じられた私には知ることのないもの。
花嫁の持参品は残らず、私ひとり受け取られなかったことは不名誉であると妹の母である人に詰られた。
すぱりと刃が掠めて切れたかぶり布を丁寧に縫い直す。
持参品は里が隣人に用意する物。
私はただ花嫁衣装を整え刺繍する。
庭に咲く花で匂い袋を作ってみたり、救い手の姿を思い出して空を見上げたりした。
性別も種族もわからない黒い歪な影のようと私は感じた。
長い棒をふるう黒。
たぶん、手足頭は私達と同じ位置なような気はする。
たぶん、音は発していたから言語は違う。
私を助けてくれた。
いつしか連れていってくれたならよかったのにと考えていた。
生活には困っていなかったけれど、きっと恵まれていたけれど、さびしくて。
救いの手という妄想に恋をはじめた。
二度目の邂逅救済で私は彼を彼と知った。
違う土地で私達と同じように共生者と契約した男の子。
頭の覆いを取ることはなかったけれど、前回より早く戦闘行為を終えた彼は私に声をかけてきた。
前回の時に切り裂いたかぶり布の謝罪とあぶない場所にいる理由の問いかけに。
音は聞こえる。
私には音であり言語だとは思えなかった。
意図がわかったのは共生者が『念話』と教えてくれたから。
彼の住んでいるあたりと私達の住むあたりでは言葉が違うらしい。
人は私達と同じ言葉を使うのではないの?
普通に、あたりまえにはじめて疑問を抱いた。
「えぇ。お嫁さん? お嫁さんかぁ。ねぇさんの写真では白い衣装だったけど、このあたりでは青なんだぁ。お嫁さん。綺麗だよね」
白?
白は子供の色でしょう?
彼はわからないことを言う。
念話で会話がなっても彼が発する言葉の意味が私にはわからなくて困ってしまう。
写真?
白い衣装は彼の住まうあたりでの花嫁衣装?
綺麗なのはおねえさま?
「食べる?」
私は持参品からひとつ果実を服の内側、外気にも私の肌にも触れない部分で拭って差し出す。
彼はきっと意味をわかっていない。
私は狡い。
少し躊躇って彼が受けとってくれる。
黒い光沢の指先が果実に触れる前にとまる。
どこか荒い動きで脱皮するように黒い光沢の手を抜き、口元の装甲をずらす。
ああ。
少し私達とは違う色だけど、私達と同じ人なんだと思った。
「アリガトウ」
受けとって皮も剥かずに齧り付いた彼に私は目を見張った。
皮は渋いのに。
すごい。
渋さに彼が咽せたから私が同じ果実を皮を剥いてから差し出しなおした。
なかなか受け取らない彼にひとくち齧って渋くないと示して差し出す。
意味のわからない音を彼がこぼす。
ふたり立つと彼の方が少し背が低い。
なんと呟いたのか。
私は知らない。
わからない。
二度目の婚儀を生き延びた私を里長はなにも言わなかった。
ただ、次の花嫁も私と定められた。
私はそれが嬉しかった。
また彼に会えるなら。
私は狡い。
誰にも知られたくなかった。
私が持参品を彼に食べさせたこと。
同じ果実を口にするなんてはしたない真似をしたこと。
なにも知らない彼に婚礼の持参品を受け取らせたこと。
私は彼のもとにいないけれど、私はすでに彼の妻と言っても誰にも否定できないこと。
私は彼が婚礼衣装は白と言ったから白い糸で青を染めていく。
彼だけを想って時間を過ごしていく。
三度目の婚礼の日。
「えー。また花嫁なの? あぶねーよ?」
長い棒を持つ彼の声が上空から聞こえる。
また、逢えた。
「なんか外野多いし」
外野?
「害虫が!」
里長の罵り声が聞こえる。
「はぁ!? おれはアンデッドを、不浄を浄化しているだけだっつーの! えーっと、土地防衛に支障は出してないはずだぜ!?」
救い手が彼が里長に向けて吠える。
「余所者を許容する余力はない。貴様が我らの支配下にくだるのでもなければな」
里長が返す。
「おれはアンデッドをブチノメスだけで長居しねぇよ?」
「わけのわからないさえずり。言葉すら使えぬ低脳か」
不思議そうに頭を揺らした彼は里長の言葉を解している。理解していないのは里長の方。
彼が私の方を見た気がした。
「里長様、彼は成すべきをなせば、去るお方です。三度、三年に渡って私達の里を守ってくださった方です」
私には里長の罵りの態度が良いものとは思えなくて震える。
敬意を表するものでしょう?
「小娘が意見をするな」
里長に一瞥されて身がひける。
男性に、目上の存在に意見するのはたいそう失礼で私のような者は頭を下げて頷くことしか許されていない。
「くそじじぃかよ」
彼が私の前に立つ。
里長から私を庇うように。
妹の母が、妹を私の視線から遮るように。
私の前に立ってくれている。
ああ。
このまま消えてなくなりたい。
共生者の制止は聞こえない。
「あんたの立場が悪くなることすんなよ」
ああ。
もういい。
「里長様」
口を開いた私を里長が忌々しげに睨めつける。
「私は私を、救い手様に捧げます」
「はぁ!?」
だって、私。
今がなによりもしあわせすぎてこのまま消えてしまいたいから。
「待って! 待ってよ! おれ花嫁さんのことなんも知らないよ!?」
世界は壊れて共生なくとは生き難い世界になった。
私の世界はその前から壊れてて共生してはじめてよりそうことを感じれた。
「貴方は私に二度、いいえ。三度命をくださった。私にはそれは十分すぎる大恩。私の命をありよう総てなどという安くて軽いものしか返せぬ恩知らず。私はなにもできぬ小娘に過ぎません。それでも私は貴方のためになにかしたいのです」
「恩? 命? アンデッド退治はおれの都合だよ!?」
ええ。
わかっています。
私は貴方にだって価値のない瑣末な存在。
「私はきっと貴方のお役にはたてないでしょう。それでも私でも、貴方を貴方に救われた存在に軽んじられることはいやなのです」
ええ。
このまま生きていても私は里長の妻の末席におさめられる。
貴方を想って飾ったこの花嫁衣装で。
ならもういいのです。
赤い死装束に変えてしまえばいいのです。
「それに、私」
「それに?」
貴方の言葉は私だけに伝わっている念話でとても特別で私はとても嬉しい。
「貴方に花嫁の持参品を口にして頂きました。受けとってくださったでしょう?」
昨年のことです。
覚えてらっしゃらないかもしれませんけれど。
私にはとてもとても大切なことでした。
ええ。
「私がはじめて選んだだけのことなのです」
貴方にはなんの責任もない。忘れていい出来事。
ただずるく淺ましい私が覚えていて欲しいと望んでしまっただけ。
貴方の記憶に残れたら嬉しいと。
できれば貴方の持つ棒で赤く染めてほしいけれどきっとそれは難しい。
「花嫁の持参品ってなに!?」
ああ。
やはりご存知なかった。
「愚かな」
里長が忌々しげに吐き捨てる。
ええ。
他の方に持参品を受け取らせた私を里長の妻に置くわけにはならないでしょうから。
里における私の立場はなくなる。
なに不自由なく過ごしていた私にはなにもできない。
庇護なくば食事も寝床も屋根もなくなると聞かされてきたのだから。
私には生きる力なぞないと私はちゃんと知っている。
私を助けてくれる人は里には誰もいないのだから。
「あー。おれバカですけどね! 花嫁さんの持参品受け取ったらなんなのさ! 食べさせてもらったよ!」
そうですね。同じひとつの果実を食べましたね。
「里長には貴方の言葉は届いてませんよ?」
「知ってる!」
「持参品を受けとったということは」
「持参品を受けとったということは?」
「花嫁を受けとったということですね」
知らなかったのですし、他所の方な訳ですから無効だと言われてもしかたないことですが、私の里では私は人妻と見なされます。
つまり、夫に庇護されぬ妻として父母の屋根からは出されるでしょう。
「はぁ!?」
ええ。
私が勝手に行なった余計なことです。
「気になさらないでください」
貴方はなにも悪くない。
「つまり、人妻を花嫁に出す里ってこと!?」
は?
ああ。たしかに花嫁という名目の生け贄に人妻は相応しくないでしょうね。
「あー、ちょっと待ってな! 状況整理するから! あーもーわけわかんねー」
「流れの余所者にだと……愚かが過ぎるだろう」
「うっせぇよ。じじい。名前も外見もわかんねー胡散臭いだけの存在の方がじじいより救いになるって思わせる環境しか与えてねぇってことじゃねぇか」
生命の危機を三度に渡り救ってくれた恩人という事実は特別なことだと思うんです。
「おれ、まださ。そういう歳じゃねぇから。花嫁とか結婚とかまだわかんねーけど、おれがさ、えっと、花嫁さん連れて行っていいんだよね?」
え?
「おれ、余剰分運べねーから今身につけているモノくらいしかもたせてやれないし、先の約束はできねぇから今ついてくるならだけど」
え?
「言葉が通じないのは大変だと思うし、おれここの場所きちんとは認知できていないからここに連れて戻してはやれないんだ」
来てくれたのは三度目なのに?
「はい。もちろんです。私はできることが少なくてご迷惑をおかけいたしますがお役に立てるようしたいと思います」
ええ。
救い手たる貴方が望んでくださるならば。
「第五夫人でも、下働きでもかまいませんので!」
「そんな相手いねぇよ!?」
ああ、いないのですね。
すこしだけうれしいと考える私は本当にあさましい。
「里長様、私は救い手様に嫁ぎます。守り手様は救い手様が浄化された土地に満足なされておりますから問題はありませんよね?」
一年間、里は安全でいられるのです。
三度、私が花嫁をつとめたことで二人の娘に猶予があったでしょう?
だって、私一年目で死ぬはずだったでしょう?
妹の話では妹はお相手の方と親しくしているようだし。
「守り手に嫁いだはずだ」
「守り手様はご満足しておられます」
私は身ひとつで救い手様に嫁ぐのです。
私は悦びで里長の表情をうかがえない。
ここに私が必要ないことはずっと前からええ。気がついていたの。
「私は、ハリエットと申します。以後よろしくお願いいたします。旦那様」
貴方のために白の刺繍を足した花嫁衣装。
美しいとおもってもらえるとうれしいの。
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