灰田小吉、広告を見ずに老いる。
@OsugiRun
第1話 人生アドスキップ
世界は、広告であふれていた。
歩くたびに電柱がしゃべり、電車の中では画面が無限に流れ、スマホを開けばどこもかしこも「あなたにぴったりです!」と薦めてくる。
それを見たとき、灰田小吉(はいだしょうきち)、28歳、独身、広告アレルギー持ちは思った。
「“俺にぴったり”って、どこの誰が決めてんだよ……」
その日も会社から帰って、カップラーメンを食べながらスマホを開いた。動画を再生するたびに出てくる広告をスキップして、またスキップして、ふと出てきたバナーに手が止まる。
『あなたの人生、スキップしますか?』
――記憶から広告を消す新薬「人生アドスキップ」
今なら一錠5円。
「……広告を消すって、それ自体が広告じゃねえか」
つっこみながらも、指は自然とリンクを押していた。
数日後、小さな瓶がポストに届いた。白くて細い錠剤がぎっしり。説明書にはこうある。
一錠で見た広告の記憶を完全に消去します。
飲みすぎ注意。
※広告・紹介・宣伝の区別は曖昧です。
「“曖昧”って、そういうとこハッキリしてくれよ……」
それでも灰田は、一錠を飲んでみた。
⸻
翌朝、スマホを開く。動画の合間に、何かが流れていた気がする。が、思い出せない。
なんだか頭が軽い。嫌なノイズが、どこかへ行ってしまったようだった。
「……おぉ、マジで消えてるのか」
昼、会社に行くと、部長が何か大きなプロジェクトの説明をしていたが、内容がまったく頭に残らない。
「え? ちゃんと聞いてた?」と隣の新人に言われるも、曖昧に笑ってごまかす。
⸻
それから数日、灰田は日課のように一錠ずつ飲んだ。
週末になる頃には、会社のプレゼン内容も、居酒屋で勧められた料理の説明も、ほとんど記憶に残らなくなっていた。
彼女からLINEが届いた。
『来週の土曜、例のカフェ予約しといてね!前言ってたとこ!』
灰田は返信した。
『おう、了解!』
が、例のカフェがどこか思い出せない。名前も場所も、彼女が言っていたことすら記憶にない。
⸻
土曜日、案の定彼女は怒った。
「どうして忘れてんの? 何回も言ったじゃん!」
「いや、ごめん……ちょっと、仕事が忙しくて……」
言い訳にならないと自分でも思った。
彼女の目は冷たく、沈黙のままその場を去った。
それ以来、LINEは未読のままになった。
⸻
灰田は薬瓶を見つめた。中にはまだ120錠以上残っていた。
パッケージに書かれたコピーが、心に刺さる。
『いらない情報を、消してしまいましょう。』
“いらない”って、何だ。
じゃあ“必要”なものって、何だった?
頭の中が静かになるたび、心の中が空洞になっていく。
⸻
そしてある夜。
灰田は台所の椅子に座り、瓶の蓋を開けた。
カプセルを一気に掌にあけ、飲み込んだ。
一錠、二錠……十錠……五十錠……百錠。
頭の中が白くなった。
静かすぎて、怖いほどだった。
瞬きすると、部屋が変わっていた。
⸻
ソファの位置が違う。
テレビのサイズがでかい。
スマホじゃなく、ガラスの薄板みたいな機械が手元にある。
灰田はゆっくり鏡の前に立った。
白髪が混じった髪。頬のしわ。
見知らぬ、老いた自分が映っていた。
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