第4話



「なんですか、せっかくわたしとリカさんが親交を深めているというのに、水を差すのですか」


 ナルコレピスタちゃんは僕の腕を抱き抱えるようにして、ぴったり寄り添いながら、キイ君にそう言った。キイ君は額に血管を浮かせながら叫ぶ。


「お前の言うことなんて信じられるか! リカちゃんから離れろ!」


 こんなに怒ったキイ君を僕は見たことがない。でも。


「キイ君、ひと同士は信じ合うことから始まるんだよ。キイ君ならわかってくれるでしょ?」


「リカちゃん、そいつは……!」


 キイ君は呼吸を整えてから詰め寄ってきて、ナルコレピスタちゃんを指差した。押し殺した声で言う。


「協会が何十年も追ってる危険な魔術師なんだ。口で何を言ったって、腹ん中で何を考えてるかわからない。俺は信じられない」


「キイ君……」


「リカさんとの約束なら、守りますよ」


 ナルコレピスタちゃんはこともなげにそう言った。そして、僕の腕から離れると、くるりとターンした。次の瞬間には、彼女の姿は消えていた。


「また遊びましょう、リカさん」


 ナルコレピスタちゃんの声があたりに響いた。


「くそ……逃げられた」


 キイ君はあたりを見回して、それから僕に向き直った。無言で、少し怒った顔をして、ぎゅっと僕を抱きしめた。


「リカちゃん、巻き込んでごめん」


 耳元でそう低く囁くキイ君の声は、かすかに震えていた。僕は抱き返して、彼の肩をぽんぽんと叩いた。


「大丈夫だよ。僕は大丈夫」



 **



 僕が連れてこられた石造りの部屋は、フィレアリアの東に位置する丘陵地帯の、もう使われなくなって久しい、魔王軍の砦跡だということだった。

 外に出ると夜は明けていて、お日様が顔を出したところだった。

 キイ君は荷物の中から外套を取り出すと、僕の肩にそっと掛けてくれた。そういえば寝巻きのまま連れてこられたんだった。


「仲間を探してくる。みんな怪我して倒れてるんだ。少し待ってて」


 そう言い残して、キイ君はまた砦跡に入って行った。

 僕はその場に座り込んだ。

 いろんなことがあったし、いろんなことを聞いてしまった。僕はあらためて、キイ君が置かれている状況、キイ君の『仕事』がいつも死の危険と隣り合わせであることに気づかされた。キイ君はいつもそれを隠して、家では、僕の前では、『ただのキイ君でいてくれていた』んだ。



 **



 しばらくすると、キイ君は、背の高い、鎧を纏った男の人と二人で出てきた。港町で会ったことがある。確かイッサ君だ。キイ君は法衣を着た男の人を背負い、イッサ君は革鎧を着た女の人を背負っていた。女の人は、アネモネさんだった。

 キイ君は荷物の中から薬瓶を取り出して、法衣を着た男の人に飲ませた。男の人はアネモネさん、イッサ君、キイ君の順に治癒魔法をかけてあげて、全員の傷を癒したあと、自分の傷も癒した。


「エリクス、先に宿屋に帰っててくれ。俺はリカちゃんを家に届けたら、すぐに行くから」


 エリクス君と呼ばれた法衣の男の人は、僕をちらりと見てから頷いた。



 **



 キイ君は僕を抱えて転移魔法で森の家まで届けてくれた。

 キイ君はあたりを見渡して、「森の結界が壊れてる……あいつの仕業か」と呟いた。


「バタバタしてごめん。またすぐ行かなきゃ。森の結界は、近いうちに必ず張り直すから」


「キイ君、無理しないで、ちゃんと休んでね」


 僕はキイ君の手を握って、目を見て言った。

 精一杯の笑顔を作ると、キイ君は少し驚いたように目を見開いて、それから、いつものように優しく抱きしめてくれた。


「……ありがとう。行ってくるね」


 キイ君は僕から離れると、転移魔法ですぐに姿を消してしまった。



 **



 おじいちゃんに朝食を出して、自分も食べようと思ったけれど、なんだか喉を通らなかった。キイ君のことばかり考えてしまう。

 仕方なくお皿を片付けようと立ち上がったその時、足元に何か触るものがあった。見ると、黒い猫がじゃれている。僕は目を丸くした。


「……まさか……」


 僕はしゃがみ込んで、猫を抱き上げた。


「ナルコレピスタ、ちゃん?」


「そうですよ」


 そう言った瞬間、猫の姿は消えて、僕の目の前にはナルコレピスタちゃんの姿があった。


「ナルって呼んでもいいですよ。リカさんなら特別に」


「ナルちゃん」


 そう呼ぶと、ナルちゃんは頬を染め、にっこりと笑った。肩に手を回して、すり寄ってくるその姿はまるで猫のようだった。


「リカさんは心地よい人ですね。こんな気持ちは数百年ぶりです」


 そう言って、僕の首筋に鼻先をこすりつけてくる。くすぐったいけれど、嫌な気分ではなかった。触れたところから、『好き』の気持ちが伝わってきて、それに嘘はないように思えた。


「数百年って……ナルちゃんは長命種なの?」


「結構長く生きてますよ」


「そうなんだね」


「聞かないんですか?」


「何を?」


「わたしが何をしてキッキグラッドリィ・ウィットロックに追われているか」


 僕はナルちゃんの目を見つめた。揺らめく炎のような赤い瞳。


「僕はキイ君が何をしているかも知らないの。キイ君が話したがらないから……。

 だから、キミが何をしたのかも、聞かないでおくよ」


 ナルちゃんはふふっと笑った。


「キイさんを信じているんですね」


「そうだよ。キミのことも信じてるよ。約束を守ってくれるんだよね?」


 ナルちゃんはにっこり笑って、「はい」と頷いた。



 **



 ナルちゃんはキイ君が居ない間ずっと僕のそばを離れなかった。一緒にご飯を食べたり畑仕事をしたり僕のベッドで二人で眠ったりした。その間ナルちゃんは物騒なことは一切しなかったし言わなかった。

 三日が過ぎ、「そろそろ退散します」と言って姿を消すと、入れ替わりにキイ君が帰ってきた。


「ただいま……。疲れた……」


 キイ君はそう言って僕に抱きついてきたけれど、すぐに身体を離した。


「この魔力の匂い……ナルコレピスタがここにいたの?」


 キイ君は僕の目を見つめて、低い声で尋ねてきた。僕はどうしようか一瞬迷ったけれど、正直に「そうだよ」と言った。


「ちょっと泊まってただけ。一緒にご飯を食べたり家事をしたりしただけだよ」


「うぅ……」


 キイ君は呻いて、両手で頭を抱えた。



【つづく?】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る