第3話



 畑仕事を終えてリビングへ行くと、キイ君は魔伝盤を片手に何やら考え込んでいた。


「キイ君?」


 呼びかけると、「……ん?」と目を上げて笑ってくれたけれど、いつもと違う、何か緊張感みたいなものが感じられて、僕はそっと彼の肩に手を置いた。


「お芋が沢山採れたよ。今日はお芋のパイでも作ろうか。好きでしょ?」


「芋のパイか。いいね。でも今日はこれから仕事に行かなきゃならなくて」


 キイ君はそう言って立ち上がり、僕の腰の後ろに手を回した。優しいハグ。


「急だね……」


「うん……。少し今回は時間がかかるかもしれない。でも必ず帰ってくるから、待ってて」


「うん」


 僕はキイ君の目をじっと見つめた。キイ君の群青色の瞳が柔らかい笑みを形作る。キイ君は僕の瞼と、鼻先と、頬と、唇にキスをしてくれた。



 **



 沢山採れたお芋をミルトさんにお裾分けに行って、少しおしゃべりしてから帰ってくるともう昼過ぎだった。おじいちゃんとお昼ご飯を食べて、片付けをしていると、指を少し切ってしまった。洗い桶に張った水に、僕の指先から流れ落ちた血がじわりじわりと広がっていく。なんだか嫌な気分だった。

 キイ君に魔伝盤で連絡してみようかとも思ったけれど、もしお仕事の最中だったら邪魔になってしまう。僕は悪い気分を振り切るように首を横に振って、片付けを終わらせた。

 キイ君が薬草で作ってくれた傷薬を塗ると、指先の傷はふわりと光ってゆっくりと消えていった。僕は確かにそこにキイ君を感じ、また護られていると感じて、あらためてキイ君の存在の尊さに感謝した。



 **



 キイ君が出掛けて三日目の夜のことだった。

 暗闇に大きな二つの光が浮かび上がり、僕を見ていた。

 禍々しい、赤く光る二つの眼。

 暗闇がまるで大きな手のひらのような形になって僕を捕まえようと襲ってきた。僕は足がすくんで逃げられず、目を瞑った。


「リカちゃん」


 キイ君の声がして、僕は目を開けた。

 大きな手のひらは消え、代わりに目の前にキイ君がいた。キイ君は僕の肩をそっと抱き寄せた。


「帰ってきてくれたの、キイ君」


「うん」


 キイ君と目を合わせる。

 キイ君の目は、赤く光っていた。



 **



 はっと気がつくと、そこはいつもの僕のベッドの中だった。夢で良かった。心臓がどくどくと早鐘を打っている。


「キイ君……」


 僕は枕を抱きしめて、鼓動が落ち着くのを待った。深呼吸を何回か繰り返して、胸を撫でる。

 リビングに灯りをつけ、水を飲んでいると、玄関のドアがノックされた。


「キイ君?」


 僕は急いでドアを開けた。しかしそこには、キイ君はいなかった。代わりに立っていたのは、黒い衣装に身を包んだ、小柄な女の子。この森で見かけたことのない子だ。


「あなたがリカさんですね」


「えっ」


 女の子は僕の手を取り、ついっと引き寄せて、僕の背中に両腕を回した。僕は女の子に抱きしめられる格好になった。


「捕まえました」


 そう言って、女の子は笑った。


「ま、待って、キミは誰?」


「わたしはナルコレピスタと申します、一緒に来てください、リカさん」


 ナルコレピスタちゃんは、そう言うと、虚空に向かってパチンと指を鳴らした。一瞬風景が揺らいだと思うと、僕たちは全く別の場所にいた。

 ひんやりとした広い石造りの部屋。真ん中に蝋燭が何本も火を灯して立っている。赤い塗料で大きな円や古代文字が書かれていて、その円の中心に人が寝かされている。見間違うはずがない、キイ君だった。


「キイ君!」


 駆け寄ろうとしたけれど、ナルコレピスタちゃんに腕を掴まれた。


「ダメですよ。あなたは人質。動かないで」


「キイ君をどうするつもりなの?」


「彼の身体に用はありません。わたしが求めるのは魔王バルザラムの魂核」


「魔王……? 魂核……?」


 ナルコレピスタちゃんはキイ君のそばにしゃがみ込んで、キイ君の髪の毛を掴んで彼の頭を少し持ち上げた。


「もしかしてあなた、何も聞かされていないのですか?

 キッキグラッドリィ・ウィットロック……この男は、魔王の魂核をその身内に封印したのですよ。わたしが欲しいのはその魂核」


 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、ナルコレピスタちゃんの身体が炎に包まれた。キイ君が立ち上がり、ナルコレピスタちゃんのお腹あたりに両手をかざす。バン!と大きな音がして、ナルコレピスタちゃんの身体が弾け飛んだ。焼けこげた黒いものがあちこちに散らばる。


「リカちゃん!」


 キイ君が駆け寄ってきて、僕を支えて立たせてくれる。僕は混乱しかけながらも見た。さっき弾け飛んだはずのナルコレピスタちゃんが、目の前に立っている。


「化け物……」


 キイ君が呻くと、ナルコレピスタちゃんはくくっと喉の奥で笑った。


「リカちゃん、離れてて」


 キイ君が僕を庇って立つ。ナルコレピスタちゃんは片手をキイ君の方へ向けた。キイ君の服があちこち裂けて、血が吹き出す。僕はその場にへたり込んだ。

 足元から冷たいものが這い上がってくる。ぬるぬるした触手が手足にまとわりついて、身動きが取れない。


「リカちゃん!」


 駆け寄ろうとしたキイ君の前、つまり僕とキイ君の間にナルコレピスタちゃんが立ち塞がった。


「魔王の魂核を渡しなさい。そうすれば彼女を傷つけずに返してあげます」


「くっ……」


 キイ君が動きを止めた。ナルコレピスタちゃんはゆっくりとキイ君に近づいていく。


「待って!」


 僕は勇気を振り絞って叫んだ。


「ナルコレピスタちゃん、キミはどうして『魔王の魂核』が欲しいの? それがあるとどうなるの?」


「魔王の肉体を再生して、世界を混乱と恐怖に陥れるのです。魂核には膨大な魔力が封じ込められている。それを解放し我が力とするのですよ」


 ナルコレピスタちゃんはキイ君から目を逸らさずにそう言った。

 僕はごくりと唾を飲み込んだ。


「ねえ、そんなことしなくてもキミは充分強い魔法使いに見えるよ。お願いだからもうやめて」


 ナルコレピスタちゃんは、くるりとこちらを向いて近づいてきた。僕の前にしゃがみ込んで、まじまじと顔を見つめる。


「やめてあげてもいいですよ」


「えっ」


 僕とキイ君は同時に声を上げた。


「あなたがわたしのお友達になってくれるのなら、あなたが生きている間はやめてあげます」


「なに!?」


「そんなことでいいの?」


 僕とキイ君はまた同時に声を上げた。

 ナルコレピスタちゃんは指をパチンと鳴らした。すると僕に絡みついていた触手が跡形もなく消え去った。ナルコレピスタちゃんは僕を支えて立たせてくれた。


「乱暴したことを謝ります。ごめんなさい」


「いいんだよ。わかってくれたんだよね」


「ちっともよくない!!」


 キイ君の喚き声が、石造りの部屋中に響き渡った。




【つづく?】


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