『白衣の午後、ジムの朝』

 雨が降っていた。


 クリニックの窓に、静かに雨粒が打ちつける音が響いている。診察の合間、穂村(ほむら)はぼんやりとその音を聞きながら、ふと、あの人の顔を思い出していた。


 ——朝倉 蓮(あさくら れん)。

 近所のジムでインストラクターをしている男。年齢は穂村よりも二つ下で、初めて出会ったのは三ヶ月前、腰痛で受診してきたときだった。


「職業柄、無理な姿勢が多いので……気をつけてるんですが」

 そう言って笑った彼の顔は、無防備なほど明るかった。眩しすぎて、直視できなかった。


 医師と患者。

 本来なら、それ以上の関係にはなれない。でも、診察後にふと話しかけられた。


「先生、もしよかったら今度……ストレッチ、教えましょうか? 医者にも身体のメンテナンス、必要ですよね」


 軽い冗談のようで、どこか本気だった。

 穂村は断れなかった。それが間違いの始まりだったのかもしれない。


 ——ジムで会うたび、彼は笑っていた。

 手を伸ばせば届く距離なのに、手を伸ばせない。患者という立場を外れれば、ただの年下の男にすぎない。そう思えば思うほど、心は不安定に揺れていった。


 蓮は、何も気づいていないような顔で、穂村の肩に手を添えた。

 柔らかくて、あたたかくて、そのくせ突き放されているような感触。


 「先生って、いつも距離を取りますよね。…俺のこと、苦手ですか?」


 そう言われたとき、心臓が跳ねた。

 違う、と言えなかった。言えば、壊れてしまいそうだったから。


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