第2話






 経セラ美術館で頭に赤いリボンを付けた某ネコちゃんを筆頭としたキャラクターたちの特別展示が開かれるらしい、という電車内のポスターに目を奪われていた。

 窓の外の景色は見慣れたもので心を動かされることもない。



 5月特有の気だるさに身を任せて、このままサボってしまおうかとも思った。

 それはそれで後々のことを考えると余計にめんどくさくなりそうだと考え直し、電車に揺られ続けることを選択する。



 元来、私はそういう人間だ。

 何かを始める度胸も、辞める度胸もない。

 ただただ面倒くさくない方へ、楽な方へと流されるのだ。



 母親とは口うるさいものである。



 口を開けば勉強のことばかり言われ続けた。

 おかげでそれなりの進学校に通うことになるのだが、そこに私の意思は何一つなかった。

 母親が言っているから勉強する、反抗して何かの意見を交わし合うことが面倒くさいから。

 自分の進路についてさえそのように決めてしまうくらいなのだから、私という人間の在り方については議論の余地もないだろう。




「次は和田駅、和田駅、お忘れ物のないよう……」


 そんなアナウンスが聞こえてきて電車が止まった。

 ホームに降り立つと和田駅と大きな看板が立っている。

 たしかこの看板は駅名標と呼ばれるものらしい。




 ホームから続く階段を下ると南口の改札を抜けた。

 鬱陶しいほどの青空が広がっていて。

 元気出せよ。とでも言っているような気がしたので、私は無言で恨めしい青空を睨みつけた。




 人通りも疎らな商店街を一人で歩いていると、今朝の出来事が思いだされ、ふつふつとした苛立ちが胸を支配していく。

 とはいえあんなことは日常茶飯事だ。

 約束を反故にされたことなんて、両手足の指を使い切ってもまだ足りないくらいにはある。



 それでも送ってほしかった。

 もっといえば少しでも彼と一緒にいたかった。

 こんなこと考えていいはずない。

 そんなことは頭ではちゃんとわかっている、でも心がちっともわかってくれないんだ。


 とんだ思春期であるなと自嘲気味に笑った。


 自嘲だろうがなんだろうが笑うと少しは気分が晴れてくるもので、先ほどよりも軽い足取りで商店街を抜けた。






 泉高等学校いずみこうとうがっこうという文字を横目に校門を通ってしまおうかというときに私に向けられた声が掛かる。



「山田おはよう」


 声のする方を見ると、名前も覚えていないが確か体育の教諭であったはずの男性がこちらを見ている。



「おはようございます」



「なんだ山田、今日も覇気の欠片もないな、もっと声を出せ」


 そういうと何が可笑しいのかわからないが大きな声で笑い出す。



 覇気がないかなにか知らないけれど、お前はデリカシーがないな。

 そう心で悪態をつきながら、名前も知らぬ男性教師を無視して昇降口へと向かった。





 無事に3年1組の教室につくと廊下側にある自分の席へ腰を下ろした。



 こそこそと聞こえるか聞こえないか絶妙な声で私をなじる言葉が聞こえてくる。

 彼女たち曰く私は誰とでも寝るような女で、パパ活に励むどうしようもないクズ女とのことである。


 そんな声を聞きながらトイレに行っておこうと思い立ち、彼女らの隣を通りすぎたあたりで、今度はクスクスと嘲るような笑い声を背中に受けた。



 まぁ慣れてしまえばこんなことされたって何も感じない。

 授業中だろうが私が話しかけようと、まるで存在していないかのように無視されることだってなんとも思わない。


 直接的な暴力を振るわれたり、お金を巻き上げられたりするような、苛烈ないじめを思えば、こんなものいじめかどうかさえ疑わしいものだ。




 そう耐えられるのだ。

 ことさら行動を起こすのも面倒くさいし、絶妙に耐えられるギリギリのラインではあるが、耐えられてしまうのだ。


 そうはいっても心が擦り減らないわけではないというのもまた事実であり、ここ最近はほんとうにどうにかなってしまいそうだなと感じることもあるにはある。






 サボればよかったな。

 トイレの中で頭を抱えているとHRの開始を告げるチャイムが鳴った。

 貴重品はスクールバックの中だしそれも教室に置いている。

 体1つで学校を飛び出し、さぁサボりますかというわけにもいかないので、しぶしぶ教室に戻る。



「山田さん遅刻ですか?」


 私達が高校生へなるのと同じタイミングで教師になった渋谷しぶやという女性が問いかける。



「すみません、バックだけ置いてお手洗いに言っていました」



「そうですか、山田さんが遅刻というのも珍しいので今回はお咎めなしとしましょう、ただし次はないので気をつけてくださいね」



「ありがとうございます、以後気をつけます」



 答えながら頭を下げたところで、来週に控えている自由参加の勉強会について話題が移っていった。


 頭を下げたまま、机の上に置かれた勉強会の出席確認のプリントに目をやる。

 山田やまだ 朝陽あさひと名前を記入し、当たり前のように不参加に印をつけた。




 その後は特に変わったこともなく、いつも通り授業を消化し、些細な嫌がらせを享受して放課後を迎えた。



 キリキリと痛む胃を擦りながら朝の通学で通った道と真反対の道を歩く、少し行くと幹線道路が横に伸びていて大きな陸橋が圧迫感をもたらす。


 そんな口が裂けても都会だとは言えないが、何も無い田舎とも言えないような中核都市である和田市の街並みを眺めながら歩いていると『炉端 扇』の暖簾が見えてきた。


 炉端と名打ってはいるものの、その実態はほとんど焼き鳥屋さんと変わらないのはご愛嬌というこの炉端 扇は、私がバイトをしている居酒屋である。




「おはようございます」


 店内に入り普段より気持ち元気な声で挨拶をする、いつもなら元気な挨拶が返って来るのだが、どういうわけか今日はなんの返答も得られなかった。



 おかしいなと思いつつ事務所のドアを開け中に入ると、勤怠などを管理するノートパソコンが置かれたデスクの上で、椅子に座ったまま気持ちよさそうに寝ている店長の姿が確認できた。



 いろんな紙が貼ってある壁に、整頓できているとは言えないデスク周りを背景に机に突っ伏している姿は、立派な社畜を想起させ哀愁が漂っているような気もする。



 個人店を経営していて、社畜というわけではないのだろうけれども、私もあと数年経てばこういう哀愁を振りまく存在になるのかと思うと、店長には申し訳ないが遣る瀬無い気持ちになって然るべきではないであろうか。




 出勤開始の時間まではまだ余裕があるし、気持ちよさそうな寝顔を見ていると起こすのも忍びない。


 可哀想だしこのまま寝かせておいて着替えでもしようと結論付けたところで、事務所のドアが配慮を感じさせない力強さで、その動作に相応しい爆音を伴って開かれる。



 壁が震えたような気がしたのは、気のせいではないと思う。


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