第5話
「おい。いつものクラゲはどうした?」
パラボの呼びかけにイルカは答えなかった。
格納庫にやって来たのはイルカひとりだ。いつも一緒にいたクラゲーー支援AIの≪タロ≫はいない。もちろん、停電のとき支えてくれたカザリもいない。
イルカは並んでいる機体を前にして訊いた。
「……わたしのヤドカリは?」
イルカの脳裏にはカザリとタロが浮かんでいた。
ふたりは専門的な会話をして、何やら計画している様子だった。
イルカは蚊帳の外だった。難しい話の前では、自分はなんの役にも立たない。とても、みじめな気分だった。
――いつだって、わたしはひとりだったじゃないか。
宇宙では音がなく、誰かとすれ違うこともない。生身では生きていけないし、移動すらままならない。
けれど、ヤドカリの中にいれば安全だ。水と空気の中で過ごせるし、移動だってできる。
これから何かが起きて、このステーションが地球に落ちようと関係ない。もう、ひとりで良かった。だから、イルカは格納庫に来たのだ。
「あ? もう調整済みだよ。いつでも出せる」
だがな……。そう言って、パラボは一枚の紙をイルカに突きつける。
「……何これ? 請求書?! ツケにしといてよ」
「うるせえよ。ステーションが落ちるんだろ? だったら、ツケは精算しなきゃなんねえ」
イルカには、もちろん貯金なんてない。採掘品と交換で物資こそもらっているが、余裕なんてないし、修理費にしてもーー。
「ヤドカリの掟でしょう? 出来る者は出来ない者を助ける。パラボは修理できる、だから……」
「掟を破ったのはお前だ。イルカ。そのまま逃げるなら、ツケを払え」
その言葉に、イルカはパラボを睨みつけた。パラボは、自分より頭ひとつは大きい。腕も太い。生身では敵うはずがないけれど。
「自分の命が最優先でしょ!」
「掟だ。仲間のために、働け」
イルカは無言のまま拳を握りしめた。理屈はわかっていた。けれど気持ちが、心がもう囚われていた。
ヤドカリの掟で助けられてきたことは否定しない。でも、自分が宇宙の無音と暗闇に閉じ込められていたとき、誰も助けてくれなかった。
周りの小さな声が少しずつ消えていって、自分の呼吸音だけがコンテナに響いていたとき、誰の声も聞こえなかったのだ。
「もう……嫌なんだよ。宇宙は怖いんだ。誰の声も聞こえなくて、寒くて、息ができなくなるんだよ」
「……」
「お願い……。このまま見逃して」
イルカは声が震えるのを無理やり抑え込んでバイザーを被る。これで、外の音は聞こえない。何も聞かなくていい。
イルカの足が、パラボの横を超えようとしたときだった。
『昨日 言い過ぎちゃった ついつい』
「っ!」
『えらそうに説教して やだごめんね』
耳に流れてきた暖かさに、イルカは足を止めた。声の主は、振り返らなくてもわかっていた。
「……もう少し聞いていかない?」
「何を言いにきたの。カザリ」
「別に。お別れをとでも言ったら納得するのかしら?」
皮肉めいた言葉にらイルカは振り返る。
そこには、≪タロ≫に繋がってイルカに通信している、カザリの姿があった。
「……何なのその格好」
「手伝って」
カザリの言葉は有無を言わさない迫力があった。言葉だけではない。彼女は船外活動用の簡易アーマーを身につけている。まるで、そのまま宇宙に飛び出そうとでも言うような格好だった。
「……言ったはず。歌いながら身投げするのに付き合う趣味はないの」
≪否定。カザリの作戦には、一定の成功確率があります≫
「タロ!!」
タロとカザリを繋ぐワイヤーの色は、オレンジから青を行ったり来たりしている。イルカにはわかった。それは、警告とまではいかずとも、危険であることを知らせる色だった。
「時間がない。聞いて。わたしはこれから外に出て歌う。タロには周囲のAIと連携して、なるべく多くの人に、わたしの声を届けてもらうわ」
「こんなときに歌姫気取り?」
「いいえ。燃料になるのよ。あなたと、敵の!」
イルカには意味がわからなかった。作戦も、今さら歌う意味も。タロの勝算もだ。
無言で二人に背中を向ける。進もうとしたとき、背中に強い衝撃を受けた。
「お、おい」
イルカは倒れて、うつ伏せになった。重くて身体が動かせない。バイザー越しの後頭部に、コツンと軽い振動がした。
「お願い。助けて。わたしが宇宙で頼れるのはイルカ。あなたしかいないの。あなたをひとりにしようとしたわけじゃないの。頭を働かせていると、何も見えなくなっちゃうのよ」
「カザリ……」
「あなたみたいな人に会えて、嬉しかった。自分をまったく知らない人よ。あなたがいなかったら、わたしは宇宙でも『プレアカのお嬢様』にしかなれない。だから……お願い。力を……貸して」
イルカはここでようやく、カザリがどういう子なのかを、少し理解できた気がした。
イルカの知るカザリは、単身宇宙に飛び出して歌う大馬鹿で、地上の常識を宇宙に持ち込んで大惨事にしようとする大アホで、そのくせ物分かりと頭の回転がやたら早くて――。
「……ははっ」
「な、なによ……」
「バイザーつけて泣くもんじゃないんだよ。無重力に行くと水滴になって邪魔だから」
「えっ。えっ」
イルカの身体が軽くなった。それは、カザリが自分の背中から降りたからというだけではない。
彼女と自分は、どこかでとても似ているのかもしれない。イルカはそう思った。
「……で、何をやればいい。優しいお姫様」
「ありがとう。みんなを、助けるの」
---
-
「パラボ。これ、本当に動くの?」
イルカは、自分のヤドカリのコクピットで様々な調整をしながら、問いかけた。
「あぁ。だが、反応値はいつもよりあげておけ。おまえの『ヤドカリ』が動くのと『ヒトガタ』の反応には少しラグがある。あと、三人称視点は使うな。HUDも腕と足で固定だ」
「はいはい」
イルカのヤドカリは、大型外装である『ヒトガタ』の中にいた。元々は輸送船やステーションの機材などを曳航するための代物で、いつも使っているヤドカリの何倍も大きく、力も強かった。
「わたしの座標と周波数は絶対消さないでね」
「カザリが宇宙で溺れないかの方が心配だよ」
≪否定。姿勢制御は私が行います≫
≪タロ≫のいつも通り無機質な声が、イルカには妙に自信満々に聞こえる。案外、電子回路の中は燃えているのかもしれない。
「きっと大丈夫。私が敵の船を抑えているから」
「うん。タロウさんたちが船とヤドカリ無力化するまで、わたしは歌う」
作戦では、カザリの歌をパスワードにすることでタロや他のAIを守るらしい。歌詞が桁数となって増えていくほど、解読は難しくなる。
「歌を聞いて、助けが来るかもしれないーーか」
「信じてないの?」
「いいや。それは一度、経験があるから」
イルカが暗闇と静寂から救われたのは、歌姫の咲かせた宇宙の花だ。カザリなら、自分を救おうとしてくれた彼女なら、もしかするかもしれない。
「イルカ、出ます」
大きな振動とともに、イルカの『ヒトガタ』は宇宙に飛び出した。
--
-
≪よろしいのですか?≫
「大丈夫。パラボさんが人、集めてくれたし」
カザリが陣取るのは、廃輸送船からでっち上げた簡易ステージだった。ステージを守るように、数体の機体が巡回している。
心許ない布陣には違いない。それでも、計算では十分対処できるはずだった。
≪違います。あなたとイルカのことです≫
「……」
≪あなたの計画では、あなたとイルカは離れ離れになる可能性が高い。それでもよろしいのですか?≫
タロウの言葉にカザリは押し黙った。イルカが敵の物理的干渉を防いでいる間に、カザリとタロウで敵の攻撃手段を奪う。
単純な作戦だから、成功への筋道はそれなりに立つ。問題は、敵がイルカとカザリ、どちらの方に来るかがわからないことだ。
「……イルカは大丈夫よ。『ヒトガタ』はとても強そうだったから」
≪はい。特殊作業用大型外装『壱型』は堅牢です。しかしながら、この拠点の防衛力には疑問があります≫
敵は、ステーションを地球へ落とそうとする無茶苦茶な犯罪集団だ。歌姫への恨み—―、それがどんなものかはわからない。けれど、そんな連中の前で、カザリは歌わなければならなかった。
「じゃあ、暗号キーを変える? 『お経』ってのがあるらしいわよ」
カザリは大げさに手を広げて、タロウに向けて首を傾けた。
敵のAIからの防御は、単純に長いパスワードをリアルタイムに作り続けることが合理的というのがタロウの提案だった。ただし、単純な本など先が予想しやすいものではなく、拍や音程が変わるもの、ということで歌を選んだのだが—―。
≪『ロマンがない』というのが、あなたの本心であることは理解しました≫
「そうよね。わたしにとっては、一石三鳥……ううん。四鳥の策よ」
タロとカザリを繋ぐワイヤーが不安を表すかのように、赤と青で揺れ動く。恐らくタロは様々な事例と照らし合わせて、リスク評価をしているのだろう。
「せいぜい地球に帰るハメになるくらいよ」
≪しかし、身の保証は≫
「……わたしはプレアカよ。殺されたりしない」
殺すより、もっと良い使い道があるだろう。もっとも、思想というものはときに理性すらを飛び越えていくのだが。
「とにかく、わたしは歌うから」
タロは困惑を表すように、イリデセントカラーを浮かべていた。
--
-
L2宙域の暗礁空域に身を隠していたのは、輸送艦二隻と軍用ヤドカリ三機だった。軍用ヤドカリは一般的なヤドカリと異なり、居住区の代わりに増設バーニアを搭載している。そのシルエットはまるで、深海を進む捕食者のようだった。
「諸君。我々の悲願はもうすぐ成就する。歌姫の奇跡から、我々は十年、十年待ったのだ!」
数名が無言のまま拳を挙げる。音もなく、光もない。冷たい宇宙の中で、彼らの復讐心だけが燃え盛っていた。
ステーションの、回転駒のような全景がスクリーンに投影される。
「輸送艦は三号機までの出撃を確認次第、待機。三〇〇秒後に所定の宙域で回収して離脱だ。二号機、三号機は俺とステーションのエッジに輸送艦をぶつけるぞ。その後は、時間まで破壊の後、帰投だ」
盗んだ輸送艦の軌道は、回転駒形式のステーション、その先端に向かっている。ここに高質量のジャンクを巻き込ませる。そうすることで、地球に沿った周天軌道は地球に向かう曲線へと変わっている。
「宇宙の民に歌を学ぶ資源はあるか!地球で当たり前の読み書きさえ、我々にはなかったにも関わらずだ! ……感じるか? この声を。言葉さえあれば良い! 歌は空気のある世界の象徴だ。宇宙には必要ない!」
言葉の終わりに合わせ、一同は一斉に敬礼の姿をとった。
--
-
「見えた!」
イルカは拡大鏡を払いのけ、レーダー上の4つの光点をタップする。光点はターゲットとして固定され、メインモニター上にフォーカスされる。
「……どれが。これだ!」
そのうちのひとつだけが大きい。これが、盗まれたジャンクを積んだ輸送船だろう。イルカは繋がっているカザリとタロに呼びかける。
「見つけた! いま映像回したのが輸送船だ。周囲にヤドカリ三機!多分だけど……軍用!」
輸送船に気を取られていたが、軍用ヤドカリも十分危険だった。≪ヘルダイバー≫の名を持つ彼らは、普通のヤドカリよりも早くて小回りも効く。
大きな警告音がした。
「っ!」
『ヒトガタ』が大きく揺れる。まだ敵機は遠い。きっと何かを撃たれたのだろう。このまま待っていたら、どうなるかわからない。
イルカは距離を詰めようと斜行した。
「聞こえるか? パラボだ。居住区に張り付いてた奴らも映像で移動を始めた。もう少し耐えてくれ」
「……うん!」
答えている余裕はない。ずっと警戒音が鳴っているし、息が苦しい。目の前で何かが強く光った。思わず顔を背けた瞬間、ものすごいGと大きな揺れを感じた。
「ぐ……。は。どこ? いない?」
断続的な揺れと合わせて、左足に不自然な振動を感じる。アラート。敵はきっとそこにいる。
「どけ!」
左足を精一杯持ち上げて、左手で払う。急な姿勢変更に、モニター端に警告が点滅するのが見えた。
左手に振動を感じて、一機が弾き飛ばされたのがわかる。安心する間もなく、これまでにない大きな振動がイルカを襲った。
「っ! なにさあ!」
右腕の付け根に一機の≪ヘルダイバー≫が噛み付くように、何かを突き立てていた。たぶん、回転刃の類いだろう。装甲の隙間を狙って、侵食していた。
「くそ!」
≪ヘルダイバー≫の位置は、『ヒトガタ』の腕の可動範囲外だった。イルカは輸送船に向かって加速する。輸送船への到達が早いか、腕が落ちるのが先か。瀬戸際だった。
「ぐ。う……」
背中から大きな衝撃。続けて、右側からも。ようやく輸送船にたどり着いた。それに、右肩にいた機体も振り払えた。
けれどイルカは、まるで強い眠りに呼ばれるように、意識が落ちていくのを感じていた。
「ま、ずい……。敵が」
輸送船は動けなくなったイルカを置いて、ゆっくりステーションに進んでいく。手を伸ばそうとしても、動かない。すでに右腕は機能を停止していた。
――もう、限界……だ。イルカの目の前は白くなっていった。
『恋の予感は 甘い風にのって 勇気を出して』
そのとき、歌が聞こえた。なぜ、カザリはわかるのだろう? イルカが欲しいときに、必要なときに届けてくれる。
ザザ、とノイズ混じりに、平坦な声も耳に届いた。≪タロ≫からの通信だった。
≪敵輸送船のコントロール奪取開始。航路変更に支援を≫
「あぁっ! が……。まだだっ」
イルカは無理やり足と腕を動かして、『ヒトガタ』を強制起動させる。続けて、叫ぶ。
「操作系統を『ヒトガタ』直結! ヤドカリのジェネレーターを最大出力!」
≪警告:航行距離が著しく短くなります。問題ありませんか?≫
「イエス!」
帰り道の心配なんてする必要はない。イルカが、そしてタロが、きっと見つけてくれる。だから今は、何よりもステーションを。
『朝焼けの空に 託した電波を』
輸送船との間に、動きの悪くなった≪ヘルダイバー≫が、這うようにやってくる。けれど、イルカはもう、迷わなかった。
「邪魔、するなら!」
≪ヘルダイバー≫に『ヒトガタ』の左腕が突き刺さる。その圧倒的な質量差の前に、≪ヘルダイバー≫は、崩れ去る。
『どこか遠い世界 あなたのもと』
—―さよなら。振り返らずにイルカは呟いた。そのパイロットへの、短い葬送に。
輸送船がぐんぐんと迫る。全体が見えていたのはほんの数秒前。いまは、その横部分しか見えない。
「っ。止まるな!」
イルカの『ヒトガタ』は輸送船との接触に耐えきれず、崩れていく。それでも、イルカはただ、目の前の輸送船だけを見つめてバーニアを踏み続けた。
『もし届いたらいいな わがままかな』
輸送船がステーションからのコースを外れたとき、『ヒトガタ』も崩れ去った。
イルカは自身を守ってくれた半壊のヤドカリを撫でる。その指先の感覚はまるで、カザリの歌を響かせるように思えた。
「……届いて、いたよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます