第4話
イルカは目を覚ました。すぐ目の前にカザリの顔があった。
「おおう」
寝顔がなんだか眩しかった。照れくさくて、イルカは身体を引く。
そこでイルカは気づいた。電気がついている。
≪再接続完了。外部ネットワークは復旧しました。現在、緊急警報レベルは解除済みです≫
「タロ! もう大丈夫なの?」
AI≪タロ≫の不具合も直ったようだ。イルカとタロを繋ぐワイヤーは、いつも通り淡く光っていた。
イルカは肩の力が抜けるのを感じていた。
≪はい。再起動から約一時間半経過しました。電力・空気に心配はありません。外殻の修理も87%まで完了しています≫
「よかった」
ううん、と小さく声を出して、カザリが目を覚ました。
「助かった……?」
「うん。助かった」
イルカは思わずカザリの手を握った。カザリは微笑んだ。
事件の前と後で、二人の関係は変わっていた。イルカのトラウマをカザリが歌で癒したことで、少しは通じ合えたのかもしれない。
だがそんな安堵の瞬間は、タロの発した不穏な言葉に遮られた。
≪優先メッセージ:見つけた≫
――硬質で、そして血の凍るような声だった。
空気が一気に冷えたみたいだった。
「見つけた……何を?」
「サイアクだわ」
カザリは俯いた。短く一言だけを口にしただけで、それ以上は何も語らなかった。
「っ!」
隔壁のロックが開いて目に入ったのは、荒れたステーションの光景だけじゃなかった。
『Silence and freedom are the biggest Twilight.』
無重力下で描かれたその文字列は、まるで救いの手を伸ばすように泡立ち、固まっていた。
「カザリ。なんて読むかわかる?」
「沈黙と自由は最大の黄昏……偉大な作曲家の言葉をもじった言葉ね……こっちはこっちで……趣味が悪いわ」
「歌が気にくわないやつらがいる?」
格納庫に向かうと、整備士パラボが片手で機材を持ち上げていた。油と静電気と音楽と罵声が混ざる、いつもの場所。
「で、昨日のあれ――何だったの?」
イルカは工具棚にもたれかかりながら問いかける。
「さあな。よくあるシステム障害さ」
「よくあることの方は聞いてない」
パラボは溜息をついた。
「噂だよ。軍にいる過激な反歌姫派……。知ってちゃやばい話。だから、これは独り言だ。回転軸が狂ったらしい。どっかのバカが、端の層をぶっ壊そうとしやがったせいでな」
回転軸――それはステーションの“命”とも言える機構だった。遠心力で重力を生み出し、L2ポイントに安定して浮かぶ。そのどちらも、回転軸が担っている。
「何のためにそんなことするのさ?」
「だから独り言だ。あちこちに描かれたメッセージに、端層の復旧作業中の窃盗。次の犯行予告が来てるだなんて、口外するなと言われてるよ」
「わかった。ありがとう」
「……フン。お陰で商売あがったりだよ。どいつもこいつもヤドカリ持って志願しに行きやがった」
「『自分の身は自分で守れ』……宇宙ヤドカリなら誰でもそうするよ」
宇宙に安寧の場は少ない。その数少ないステーションに害を加えようというなら、立ち上がって当たり前なのがヤドカリ乗りだ。イルカとて、再び殻に閉じこもって、救いを待つのはごめんだった。
「パラボ。わたしのは?」
「まだ無理だ。一回燃料を抜かなきゃなんねえ」
「早く頼むよ! はやく」
パラボが言うなら無理だ。整備士の言葉を聞かずに起こったことは、すべて自業自得なのだ。
作業場を出た二人は、待機所にある端末前に座った。
イルカは、ステーションへの襲撃と反歌姫勢力を思い浮かべながら口を開いた。
「……閉じめられたやつ、さあ」
イルカがつぶやく。カザリは振り返る。
「……?」
「誘拐だったんじゃないか? 本当は。"誰か"をさらいたかった」
カザリの瞳が一瞬だけ揺れた。ように見えた。
「まさか私を、とでも? ありえない」
「けど……。このステーションで一番価値があるのは、カザリだよ」
タロに届いていた『見つけた』というメッセージ。もちろん、反歌姫という予告もある。けれど、それは隠れ蓑かもしれない。
「なら、簡単ね」
ふっと笑って、彼女は言った。
「他の事件を調べましょう」
被害のあった区画は、ステーションの中心に近い貨物層だった。見上げるようなコンテナから積まれた窒素カートリッジまで、ずらっと荷物が置かれている。
「君がイルカ? パラボから聞いたよ。何盗まれたか知りたいんだって?」
そう言って現れたのは、警備員の一人だった。
「そうなんだ。盗まれたもの、足りなくなるだろ? なら、値上がりするかもしれないし。聞いておきたくて」
「クック。その歳で、たくましいねえ」
イルカは適当な言い訳を並べた。やましい調査ではないけれど、盗人が身内というのはよくある話だ。
「盗まれたのは、ここらへん」
「ここらへん……って、どういうこと?」
警備員が案内してくれた場所には何もなかった。より詳しく言えば、目の前はビルが一棟建ちそうな空き地だった。
「これが、ここに置かれてた物のリスト。何しに持ってったんだか」
イルカとカザリは警備員が投影したリストを覗き込んだ。そこには、廃棄されたヤドカリや工業設備などが記されている。
「……ゴミ?」
「せめてジャンク品って言いなよ。カザリ……」
首をひねるカザリに、イルカは控えめにたしなめた。けれど、カザリの言葉はもっともだ。リストを見る限り、価値があるようには思えなかった。
「いやあ、廃品業者だってもう少し目利きするよね。中身の吟味なんて全然……重さが違ってるくらいだから」
「重さが違ってた?」
イルカは聞き返した。カザリはといえば、他が気になるのか倉庫の中を見渡している。
「そう。笑っちゃうんだけど、もう窃盗犯の船のシリアルもわかってるんだよ。出入りログが残ってるから」
「うん。それで……?」
「船のシリアルから登録船種を調べたら、積載オーバーになっちゃうんだよ。でも、出入りログに過積載はなし。異常なし、って!」
イルカは話を頭の中で繰り返す。
盗人は鉄屑を盗んだ。本来なら過積載になるはずの船で。けれど、ログには異常がない。
「……つまり、鉄屑はデータよりも少なかった」
「そういうこと。燃料の足しにはなったかもね。ま、そんなわけだから」
用は済んだとばかり、去っていこうとする警備員の背中に、イルカは引っかかりを覚えた。間抜けな盗人は、自分たちの『閉じ込め』と無関係だったのだろうか。
そこで、カザリが問いかけた。
「ねぇ、警備員さん。最後に教えて? 出入りログにある、盗人が出ていった時刻は?」
「あぁ、それはねーー」
イルカとカザリは滞在区に戻った。
ヤドカリの調整はまだ済んでいない。運び手のいない殻の中で、二人は向かい合っていた。
「イルカ、わかった?」
「変な盗人だな……ってことは」
「……そう。なら、意見を聞かせて?」
カザリは顔をあげた。イルカにその顔は、まるで遥か高みから迷路を見つめるかのように見えた。
「あの倉庫、すぐ隣に液化窒素やマンガンがあったわ。ただの物盗りなら、そっちを狙うわよね?」
「それはまぁ……うん」
足のつきやすさ、という点はある。けれど、普通に盗みが目的ならカザリの言う通りだろう。
「つまり、盗人にはアレを盗む意図があった。単なる板や塊としてではなく」
「……どんな意図が?」
「その前に、念のためタロウさんに聞きたいわ。このステーション、その重力推移を示して」
イルカとタロは、顔を見合わせるように一瞬静止した。イルカはタロから伸びるワイヤーを引っ張ってやる。
≪……ステーションの共有管理システムに接続しました。日時指定はありますか?≫
「そうね。わたしとイルカが眠っていた時間を含めた、およそ24時間」
「えっ。それって……」
イルカは目を見開いた。カザリが宇宙に来てから、ほんの数日のはずだった。
≪……こちらです。いまから約12時間前。お二人が眠っていた頃、最大で30%の重力低下が見られました≫
「そこに、盗人の船が出ていった時間を載せて」
≪……完了しました≫
イルカとカザリの目の前には、直線が一気に下り坂となり、ゆっくり上っていく様子が描かれている。
そして、その下り坂の最も低い地点。そこが、盗人の船が出ていった時刻と重なっている。
「こ、これって……」
「そう。閉じ込めと盗人は連携してる。回転軸を狂わせてステーションの重力を低下。その上でありったけの鉄屑を盗ませる。鉄屑を持っていくのとステーションの異常。優先されるのは当然後者。……恐らくだけど、陽動よ」
「よ、陽動って……おびき寄せてる?」
カザリはゆっくりと、確かにうなづいた。
「だ、誰を? 何のために?」
「決まってる。予告状があった」
「ちょ、ちょっと待って!」
イルカはカザリの話に追いつけなかった。
ひとつずつ、話を整理する。
予告状ーー。これは、反歌姫の奴らが出してきた襲撃予告だ。ステーションの中央を襲うと予告していた。
それから、陽動。自分たちが閉じ込められた事件。これは鉄屑を盗むために起こされた。
一見、何の役にも立たない鉄屑を盗むために、わざわざ、だ。
「宇宙に出ても人の悪意は変わらないのね。ステーションの中央を襲うというのは囮よ。恐らく、本当の狙いは、鉄屑を使って行われる何かーー」
「あんなので、何をしようって言うのさ」
古くなった工業設備にヤドカリだ。せいぜいぶつけるくらいしか役には立たない。
そう考えたとき、イルカは背中に寒気を感じた。
「まさか! タロ!」
≪計算します。……ステーションはL2宙域を放物線を描き、」
「だから! 難しいのはわかんないって!」
難しいこと、それはイルカにわからない。知っているのは、宇宙に浮かぶ物の定めだけだ。
宇宙に浮かぶものは、虚空を、星に引かれながら回っている。けれど、何かの異常でその回転が崩れると、引力に引かれてしまうとーー。
「ステーションが地球に落ちるわ」
「なんでよ!!」
イルカはタロを引っ張った。
タロは、何も発さなかった。
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