店主の前でキスしたら宿代半額だってさ!!
二木弓いうる
でも俺達まだ幼馴染だから!!
「見つけた。あそこだ、この街で唯一の宿ってのは」
土壁でできた建物を指さした。扉の小窓から、部屋の中の電気がついているのが見える。
「えっちゃん、疲れたでしょ。ここしばらく野宿だったし、今日ずっと歩いてたし」
俺は隣を歩いている白髪の女の子に声をかけた。幼馴染のえっちゃんだ。
旅の途中でこの街に着いた俺達は、宿を探し歩いていた。すっかり暗くなっちゃったな。
えっちゃんは首を横に振り、優しく微笑む。まだ大丈夫だと言いたいらしい。
「そっか。でも無理は禁物。さ、行こっか。夕飯もついてくる宿かなぁ。俺、肉食べたーい」
大きなリュックを背負った俺達は、宿の扉を叩いた。
中に入ると、非常に元気そうなばーさんが出迎えた。
「いらっしゃい。随分と大きな荷物をお持ちで。遠くから来た旅のお方?」
ばーさんだけど、ずいぶんハキハキ喋る。この人が店主なんだろう。
「まぁね。部屋は空いてる?」
「えぇ。ただ当宿は一部屋につき二名様からなんです」
「あぁ、大丈夫。俺達よく二人で雑魚寝してるし」
「なら良かった。ところでお二人、恋人同士で? 夫婦にしちゃあ若いようですが」
そう聞かれて、俺は自分の頬が少し熱くなった事に気づいた。
「いやぁ、そう見えちゃうか。幼馴染なんだけど、そう見えちゃうんだ。困ったね!」
まぁ恥ずかしくはあるが、そう見えるなら俺は嬉しい。なんならもっと言ってほしい。
えっちゃんは恥ずかしそうに俯いていた。元々えっちゃん、恥ずかしがり屋だしな。決して嫌がられている訳ではないと信じたい。
店主は俺達を見ながらニコニコしている。
「そうでしたか。でも見た所二人旅のようですし、嫌い合っている訳でもないでしょう」
「まぁね! 商売も二人でやるくらいには仲良しだよね! 手先の器用なえっちゃんが物を作って、それを俺の話術で売る!」
ついつい浮かれて、別に言う必要のない事まで言ってしまう。でもここまでお似合いって言われたら、ねぇ?
店主は何故かニヤリと笑った。
「実は当宿、キス割というキャンペーンをしておりまして」
「キス割?」
「私の前でキスをしてみせて下さい。そうしたら宿代半額です」
「は?!」
予想外の提案に、俺の顔は余計に赤くなった。多分、えっちゃんもだ。
戸惑う俺達を見て、店主はとても嬉しそうにしている。
「もちろん、魚のキスじゃないですよ。恋人や夫婦がするキスです。手や額ではダメです。口にして見せて下さい」
「なんのためにそんな割引を」
「趣味です」
どう考えたっておかしいのに、あまりにも堂々と言い切られたせいで何も言えなかった。話術が売りなのに、悔しい。
「半額は大きいと思いますけどねぇ」
そう言う店主の顔は、期待に満ち溢れている。
いやぁ……流石にダメだよな。
はっきり言って、えっちゃんの事は好きだから。キス出来るなら、喜んでする。
けど今は、まだ幼馴染の関係性だし。良く言っても、友達以上恋人未満。
それなのに半額のためにキスをするなんて。いくらなんでも最低な理由だよなぁ。
とは思いつつも、わずかに期待してしまう。チラッと、えっちゃんの方を見てみる。
おぉ、目があってしまった。
えっちゃんはすぐ、俺に背中を向けた。けど髪の間から見える小さな耳は、かなり赤くなっている。
……あらぁまんざらでもない感じぃ!?
そりゃ嫌われてはないだろうなと思ってはいたけどー? ほんとにー? えー!?
いやまて、落ち着け俺。トキメキはしゃぐな。冷静を装え。
勢い任せて聞き出すの、多分良くない。
「そんなこと言われても、えっちゃんだって恥ずかしいでしょ?」
嫌でしょ? とは聞かないし、聞けない。
えっちゃんは俺に背中を向けたまま、小さく頷いた。
まぁそうだよね。そりゃいずれは、とは思うけど……多分今じゃないよな。
少し残念ではあるが、俺はにっこりと笑顔を作ってみせる。
「やだなぁ、えっちゃん。恋人でもないのに、流石に俺も恥ずかしいって。ここは諦めて普通の値段で泊めさせてもらお」
えっちゃんはようやく俺の方へ顔を向けて。恥ずかしそうに頷いた。
「あのー、泊めてもらっていいですかぁ?」
俺達の背後から、若い男女が入って来た。カップルかな、腕を組んでいる。羨ましい。
店主は俺の事を突き飛ばし、カップルの前に立つ。
一応「何すんだ!」と怒ったものの、俺の声なんて届いていないのか。店主はカップルにもキス割の説明をしていた。
「キス割? 半額ならするしかないな」
「やだぁ、恥ずかしーい」
そう言いながらも、カップルは――軽くキスをした。
目の前で行われた行為に、俺とえっちゃんは思わず固まった。
なんでそんな簡単に出来るんだよ、あっ、カップルだからか! 畜生!
店主は興奮した様子でカップルを見つめている。
「まぁ、素敵なご関係で! 良いものを見せてもらったお礼に、半額に加えて夕食には豪華肉料理をサービスしますわ」
「おっ、ラッキー」
カップルは手続きを済ませ、部屋の奥へ入っていった。
その場に残った俺達を、店主は呆れた様子で見つめてくる。
「ほら、今みたいなので良いんですよ。簡単でしょ?」
「そんな簡単に言わないでくれる!? もう普通の値段で良いから」
「お断りです。半額にさせてくれないなら泊めません」
「なんでだよ……」
「趣味です」
「まぁ立派なご趣味ですこと! もういい、泊めてくれないなら諦めるしかないな。えっちゃん、悪いけど今日も野宿で……」
店主に嫌味を言いつつ、えっちゃんの方を見てみるも。
えっちゃんは何故か、何かを考え込んでいる様子だった。
「えっちゃん?」
えっちゃんは、赤くさせた顔を俺に向けて。
目をギュっと瞑った。
まるで……キスを待っているかのように見える。
「えっ、えっちゃん!?」
な、何で? いつもはえっちゃんが何考えてるか大体分かるけど、今は何も分からない。どうしてそうなった!?
えっちゃんがキスしても良いと思うような何かがあった?
そんなのあるとは思えないんだけど……待てよ?
そういや俺、肉が食べたいって言ってたな。さっき目の前でキスをしていたカップル、肉料理のサービスを受けてたな。
……いやいやいやいや!
「そんな、肉のために頑張らないで。もっと自分を大事にして!」
俺はえっちゃんの肩を掴み、大きく揺らす。だがえっちゃんは目をギュっと瞑ったままだった。変な所で気をつかうの、嬉しいけどやめて!
「ほら、言わせるんじゃないよ。つまり、彼女はオーケーという事じゃないか」
店主に言われて、心が揺らぐ。
確かに肉を食べたがったのは俺の方だ。なのにキスをして良いって言うのなら。
それはもう、俺のためって事で……良いんだよな?
ヤバい、嬉しいのかトキめいてるのか。むしろ両方か。とにかく熱い感情が、胸の奥から込み上げてくる。
「ほら早くー、もう朝になっちゃうよー」
黙ってろババア……!
とは思ったものの。かわいく待っているえっちゃんを目の前にして。俺は思わず唾を飲んだ。
えっちゃんの肩に両手を乗せたまま、俺は彼女の顔を見つめた。
本当に、キスして良いのだろうか。ファーストキスをこんなババアの前で済ませてよいものなのか。
「えっちゃん……」
あれこれ考えはしたものの、やっぱりキスしたいなという気持ちが勝ってしまって。
俺は目を瞑って、えっちゃんに顔を近づけていった。
バン!
「この色ボケババア! また勝手に変な割引しやがったな!」
突然聞こえて来た男の怒鳴り声に驚いて、俺は目を開いた。えっちゃんの驚いた顔が見える。急に恥ずかしくなってきた。えっちゃんも同じ気持ちだったようで、俺達は互いに離れた。
「なんて所で来るのよ、あと少しだったのに! いいじゃないの、年老いた母親の楽しみを奪うんじゃないよ!」
「息子の商売の邪魔をするんじゃねぇ! それに、どうせまた一部屋二人からとか適当言ってるんだろ!」
「当たり前だよ、でないとラブロマンスが始まらないじゃないの!」
息子の商売って事は……もしかしてあのばーさん、店主じゃない!?
本当の店主らしき男は、俺達に頭を下げる。
「すみませんねお客さん、ここはお詫びにキスなんざしなくても半額で良いからさ。当然、一人一部屋で」
「ちょっと! それじゃあ明日の朝『昨日はお楽しみでしたね』って言えないじゃないの!」
「うるさい!」
店主の男は早くに手続きを済ませ、俺達をそれぞれ別の部屋に案内した。しばらくして肉も運ばれてきて、俺は一人で食事する事になった。
……これで良かったような、少し残念なような。
結局はもどかしい夜を過ごす羽目になってしまった。
えっちゃん、今頃どうしてるかなぁ……。
翌朝。宿の外に出て、えっちゃんと再会を果たす。うぅん、若干気まずい。
キスをしようとしたとはいえ、告白をしたわけでもないし。かと言って、ここで告白をするのもババアの功績になりそうでなんとなく嫌だった。
「い……行こっか! 次の街には何があるかなーっ」
誤魔化してしまった俺に同意するように、えっちゃんはコクコクと頷いた。
良かった、一応嫌われてはないみたいだ。
いつかは告白して、それこそキスする仲になりたい。けど……いつになるかは、俺自身で決めるから。
俺達の旅は、まだまだ終わらない。
店主の前でキスしたら宿代半額だってさ!! 二木弓いうる @iuru
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