第2話

「あー…… 分かった分かった。絶対誰にも言わないから、ね?」


 完全に終わったと思ったが、先輩は取り乱すこともなく苦笑したまま約束してくれた。


「ごめんね…… 流石にそろそろなんとかしなきゃいけない気がして……」

 妻は放置していたガキの死体を押入れから出していた理由を、うなだれながら今にも泣きそうな顔で説明していた。


「だからあ、内緒にしておきますから! 気にしないで!」

「先輩…… すいません……」

「まあまあ! 子ども育てるのって大変だって聞くしね! そんなこともあるよ!」

 先輩は、怒りもしていなければ引いてもいなかった。


「ありがとうございます……」

「うん。

 ……でもさ、奥さんの言う通り、ずっとこのままってわけにもいかないでしょ?」

「そうですけど、どうしたら……

 山とか海に、って話もありますがここからじゃどっちも遠いですし……

 ……バラバラにするのもやり方が分からないし、っていうかできる気がしないし、できたとしてもそのへんに捨てたらすぐバレそうですし……」

「うん、だよね……」

 

 先輩は、一瞬だけその左目の視線をあらぬ方向にやって。


「あの、さ」




 こういうの、絶対にバレないように処理してくれる人がいるんだよ。

 メチャクチャ金はかかるんだけどさ。




「申し訳ございません、お見苦しくて。外が暑すぎましたもので……」

 

 先輩にバレたあの日から数日。

 俺と妻はその死体処理屋とやらを家に招いていた。


 文字通り滝のような汗をタオルで拭いているそいつ。

 どこにでもいそうな地味顔。

 服装は黒一色の清潔感のあるスーツだが、これって確かファストファッションの安いやつだ。それも何年も前に発売されたやつ。

 タオルにも、数年前に倒産した会社のロゴが入っている。


 一ミリたりとも崩さない満面の笑みといい、必要以上に丁寧すぎる敬語といい、明らかに俺や妻よりも若い容姿といい。

 言いようのない胡散臭さ。


 こいつについて一通り説明してくれた後、先輩がポツリと「……ごめんな」と言っていたのが気にかかっていたが、もしかしたらこういうことか?


 が、そんな贅沢を言っている場合ではなかった。


「では、あなたの先輩さんからお聞きいただいた部分もあるかとは思いますが」

 ひとしきり汗を拭き終えると、そいつは畳の上で正座し、姿勢を正した。


「わたくし、死体処理を生業としております。

 よろしくお願い致します。

 名無しだと不便かと思いますので、仮に『モリール』とお呼びください」

 

 深々と頭を下げつつ、「Morir」という何語なのか分からない単語とメールアドレス(明らかに捨てアド)だけが書かれた名刺を差し出してくる。

 妙に洒落た名前名乗りやがって。そういう顔じゃないだろこいつ。それにしてもどういう意味なのか……


「さて、死体は今お風呂場にあるということでよろしいですか?」

「はい……」

 俯いたまま頷く妻。

「では早速ですが」

 モリールは背負ってきた、これもファストファッションのリュックから、メジャーと秤を手早く取り出す。

「死体のサイズや重さで料金を決めさせていただいておりますので。少々失礼致しますね」

 言うが早いがビニール手袋を装着し、風呂場のドアを開けるモリール。


 開けてすぐに床に置かれた布団圧縮袋とその中身が目に入っただろうに、奴はノーコメントだった。

 すぐさましゃがみ込み、先程までのテキパキした動きとは真逆の、丁寧な動作でそろりそろりと中身を取り出す。

 むわりと充満する、鼻を突く匂い。

 



 奴は本当に、ノーコメントだった。

 中身…… ガキの死体の身長やら、頭の周りの長さやら、体重やらを黙々と確認し続けていた。


 ガキの体が年齢の割に小さくて痩せていることにも。

 多数のアザや傷があることにも。

 苦悶の表情を浮かべていることにも。


 気付かなかったはずはないのに。

 先輩が「事情は何も聞かずに、秘密厳守でやってくれる。金さえ払えば」と言っていた通りに。

 モリールは、何も言わなかった。

 ずっと笑顔だった。




「はい、死体の処理料金はこちらですね」

 ガキの確認をし終え、モリールは100均で買ったような小さな電卓で何やら計算し終えた数字を俺達に提示した。

 俺と妻の年収を合わせた額の、倍だった。


「こちらには死体の痕跡の処理料金も含まれております。死体は思った以上に匂いや液体を出しているものですので、そういったものも完全に消しておいた方がいいかと思います。

 ちなみに、今回は先輩さんからのご紹介でしたが、ご紹介割引などは一切行っておりません。あしからず」

 俺達が金額に突っ込むよりも早く、言い訳のように説明するモリール。

「あの…… その、本当にお任せしていいんですか?」

 唾を飲む音が聞こえたと思ったら、妻がそう発した。緊張すると唾を飲むのは、こいつの癖だ。

「ええ、そちらは信頼していただいてまったく問題ございません。

 わたくしには、これまで87体の死体を内密に処理してきた実績がございます」

「はっ、87…… バレてないんですよね?」

「もちろんです、バレていたら今ここにはおりませんので」

 俺の質問に答えつつ、自分の発言の何がそんなにおかしかったのか、口を押さえてふふふふと笑うモリール。

「さて、お支払いいただけましたらすぐに処理に取り組ませていただきますが。どうされます?」

 妙に黒目が大きく、白目が少ない目が俺と妻に向けられる。


 俺と妻は顔を見合わせた。

 暑い日なのに、妻の顔は青白くて。困惑しているようにも不安そうにも恐怖しているようにも見えて。

 かいている汗もきっと暑さによるものではないのだろう。

 でもきっと、俺も似たような状態だったと思う。

 妻の喉が、唾を飲み込んだために動いたのが見えた。

「あんた……」

「ああ……」


 モリールに向き直った俺。

「分かりました。家具とか売れる物は売って、知り合いとか消費者金融に借金してでも金は作ります。

 なので、じゃあ…… 5日に来てください。

 その時に金をお渡しするので、その……」

「はい、かしこまりました。

 5日に金をいただけましたら、その日に処理もさせていただきますので」


 モリールは笑顔を貼り付けたまま一礼し、俺達の家を跡にした。

 鏡のようにとはいかないまでも、もしかしたらある程度顔が映るのではないかと思うくらいに磨き上げられた革靴を履いて。



「なんかあの人、気持ち悪かったね……」

「ああ…… でもこれで、やっと解放されるな」

「うん。アイツ、何日も留守番させても大人しく待ってたし、何してもあんまり悲鳴も上げない方だったし。

 ビビりだから近所の人に助けも求めなかっただろうしね」

「幼稚園なんかに通ってたわけでもないんだ。俺達のしたことなんてバレねえよ。

 5日に全部終わったら、俺達は救われるんだ」

「だね。あ、でもその前に金なんとかしないとね……」

「ああ。まずはあの後輩共を呼び出す」

「私もあいつらから引っ張ってこないと」


 俺達は腰を上げた。

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