ストリートハッカーズ-dianoia street-

人生

プロローグ 未完成リアリティ

プロローグ 幽霊の居る島




 耳を澄ませば、遠くからかすかに波の音が聞こえてくる。


 夜の静けさと人工ひかりの騒々しさの合間を縫って、不意に届いた潮のにおいがふと思い起こさせる。


「ここって、十年くらい前はまだ海の中だったんだよね」


 そこは住宅街のど真ん中だ。量産コピペしたような住宅群と、等間隔に並んだ街灯。その照明あかりは、この場所がまるで舞台のセットであるかのように思わせる。

 だけどそれぞれの家にはちゃんと人が住んでいて、窓から光の漏れる家もあれば、零時を回ったにもかかわらず香ばしいにおいを漂わせている家もある。

 そうして目を凝らせば生活感は感じられる。しかしどこか不自然つくりものな空気がこの場所にはあった。


 東京都近海にある、名も無き無人島。その島を開拓し、海上を埋め立てつくられた人工の島。それがこの『カナイ市』という街だ。

 時に「カナイシティ」とも言われるが、なぜだか不思議と「カナイ島」とは呼ばれない。「島」という響きには田舎っぽさが感じられるせいなのかもしれない。


 カナイ市は広義で言う「田舎」とは真反対にあるような性格を持った街だ。

 海上につくられた埋立地であるため陸地の都市ほどの規模はなく、比較的静かな夜を過ごせる点では田舎的かもしれない。しかし、この市の本質はそうした環境とは別にある。


 たとえば、各住宅の屋根に備え付けられた太陽光パネル。住宅街のただ中に接地された風力発電機。空を振り仰げば、島の中心に高い塔がそびえ立っているのが見える。島内全域をカバーする電波塔、あるいは通信基地である。


 この島は、さまざまな分野における最先端の科学技術、その実地テストを行うために用意された「実験都市」という面を有しているのだ。


 2035年現在、この日本で……ともすれば世界で、もっとも技術的に発展した都市。そしてもっとも豪華な実験シミュレーション施設という訳なのである。


 それではこの島の住人、あの家々の住民は実験参加者モルモットかといえば、そういう訳ではない。


「僕は今、海の上にいるんだ」


「……急にどうしたわけ?」


「突然、気が付いたんだ」


 たとえば、彼。名前は不二倉ふじくらハルタ、中学二年生。

 彼は別にこの島で生まれたクローン人間でもないし、ゲノム編集によって特別優れた能力を手に入れた訳でもない。ごく普通の、連休の終わりに何か特別なことがしてみたくて、夜中に家を抜け出してしまうような、そんなちょっとした悪さをしてみたい年ごろの少年である。


 ハルタの父親はこの島に勤める研究者だ。そのため彼もまたこの島に住んでいる。生まれは「本土」だが、この島の第一期定住者として既に四年余りを過ごしている。


 そんなハルタが「本土」の同年代と異なっている点があるとすれば、それは「島の住人」のひとりとして、最先端技術の機能試験への参加が許されていることだろう。


 ハルタは現在、自宅もある住宅街のストリートを歩いている。

 水泳に使うようなゴーグル状の眼鏡をかけているが、これは「本土」でも珍しくないARグラスの一種だ。普段は身に着けないそれをして、こんな夜中に、それも屋外を歩いているのにはもちろん理由がある。


「海のにおいがしたんだ」


 ハルタの隣――というより、頭上。人の家の塀の上を歩いている、ひとりの少年がいる。ハルタはそちらを仰ぎ見ながら、


「一瞬だけ。あ、なんか生臭いなって」


「それが?」


 と、塀の上の少年はわずかに首をかしげてから、


「……あぁ、"におい"ね」


 合点がいったように頷き、くずれかけたバランスを保つ。


音の風景サウンドスケープまでは分かるけど、確かに、においまでは伝わらないなぁ」


「これは現地にいないと分からないよね」


「……海、ねえ……」


「どうかした?」


「ん、別に。行ったことないなって」


「僕もだよ。なんかこう、いまいち想像つかない。海の上にいるのにさ」


 ここは完全に街の中だ。内陸部の都市の片隅、少なくとも地上にいるとそう感じる。水平線は見えず、海岸も見当たらない。


 ハルタの生活圏内から見渡せるこの街の"端"は建物で、灰色だ。実際には高潮対策のための堤防が築かれていて、もしもドローンなどで上空からこの街を見下ろせば、黒い海の中で光り輝く船舶のように映るだろう。その様子は実に非日本的景観で、外国にある城塞都市などの外観イメージがより近いかもしれない。


 あるいは、巨大な工場だろうか。

 この島は今なお海上の埋め立てを進めていて、人工の陸地を広げている。

 特に昨年からは国が主催する大型イベントに向け、会場建設などを日夜続けているものだから、こんな夜中にもかかわらず、遠くからは工事の音が響いている。空に目をやれば、ひときわ白く輝いている一帯が確認できた。


 住宅地の建物は防音設備が整っているから、家の中にいれば気にならない程度の騒音ではある。


 が――


「……うるっさいなぁ……」


 遠くから、上空を近づいてくる激しい風切り音。その騒音は時に、窓ガラスなどを震わせる。


 見上げれば、曇り空を進む赤い光点。地上のハルタからはそれ以上の様子を確認できないが、未確認飛行物体のたぐいではない。


 大型の無人機。ドローンの一種だ。少なくとも、無人だと聞かされている。


 近年、世界的に大きな争いは起こっていないが、国際情勢は十年ほど前からあまり芳しいものではないらしい。この「本土」の基地からやってきた無人機も、いちおうは防衛目的の巡回、という扱いで島の上空を飛び回っている。

 ……実際のところはどうだか知る由もないが、ハルタが聞いている限りだと、夜間の飛行は「しないこと」になっていたはずだ。


 にもかかわらず、住宅街の上空を通り過ぎていく。


 陰謀論が好きな人間は、あの無人機の目的は、この島の最先端技術を盗むことではないか、そううそぶいている。あるいは、この国が独自の発展をすることへの牽制、威圧行為なのではないか、と。


 ……そもそもこの島自体が、外国の手先なのではないか、などと。


 そうしたキナ臭い話とは関わり合いになりたくないハルタだが、嫌でもインターネットを通して情報が入ってくる。

 なんにしても、そうした政治的なあれこれとは縁もゆかりもない一介の中学生からすれば、夜間の飛行は「うるさい」以外の何ものでもない。


「地面は海の上だし、空にはいつ落ちてくるかも分からない機械が飛んでるんだ……」


 そうそう落ちてくるものではない、と知識として分かってはいるが、そんな愚痴も言いたくなるというものだ。


「……そんな、いいもんじゃないのにさ」


 あの音、夜をかき乱す様々な騒音を感じるたびに、ネットで目にした様々な情報が脳裏をよぎる。


 不快感に体温が上がる。夜風が少しだけ身に沁みる。季節は夏だが、この都市は海上にあるためか、それとも何かしらの設備でもあるのか、「本土」より平均気温がやや低い。ヒートアイランド対策とかいうやつかもしれない。

 そうした様々な設備、環境が整えられているものだから、この島で暮らせることを「恵まれている」と「本土」の人たちは言っているようだ。


 しかし実際はどうだ。


 トンチンカン、トンチンカン。そんな感じで、こんな夜遅くまで働かされている人たちがいる。世界が注目する壮大な「見世物」として、常に誰かに監視されているような気分で、息苦しい。


 ……今後は、今以上にはっきりとその「監視の目」を意識することになるのだろうか。


(……まあ、悪いことばかりでもないけど)


 頭上の友人を見上げて、気を取り直す。


「この島も、だいぶ変わったでしょ」


「まあ、変わらないものなんてないからね」


 友人の言葉に、ふとハルタは足を止める。


「……世のなか、どんどん変わっていくんだよ。否応なく、ノンストップで。立ち止まって、少しでも迷ってたら、いつの間にか置き去りにされるんだ」


 久しぶりに聞く彼の声が、言葉が、そこに込められた何かが、少しだけ気になったのだ。


「そしていつの間にか、ひとりきり。みんな、どんどん孤独になってくんだ」


 以前から突然ヘンなことを言い出す少年ではあった。ハルタよりふたつ年上なだけなのに、やたらと大人びた雰囲気があった。そうした空気は変わらない。


 変わらないのだが――以前は、もうちょっと前向きだった。


「なんか、あった? オサム」


「いやぁ、別に? なんでもない。世を儚んでみただけだよ」


「はな、はかなんで……?」


 どういう意味だろう、とハルタは密かにポケットに手を忍ばせる。携帯端末デバイスのスクリーンを指先で軽くタップ。


『この世の無常さや無意味さを感じ、人生を悲観的に考えること。変化の速い社会、その割に人生は短い。そうしたことを考えてネガティブになっている、様子』


 ハルタの耳元、片耳につけたイヤホン(無線ワイヤレス)に中性的な声がささやく。


 デバイスに搭載された頼りになる隣人AIが、会話の流れを汲んでハルタの疑問に答えたのである。


「なるほど……? 儚んでる訳ね、うん。……うん? やっぱ、何かあった? 体調が悪いんなら――」


「ハハ。いや、大丈夫。ぜんぜん元気だから。……でもまあ、俺もそろそろ休もっかな。ハルタも明日からは普通に学校あるでしょ?」


「学校かぁ――」


 本日は連休の最終日一区切り。そして数日登校すると、また休みがある。いわゆる飛び石連休というものの前半、その終わりが今日だ。時間的にはもう、夜が明ければ登校日になる。


「メンドくさいなぁ……」


 つぶやくと、あくびがあふれた。目元の涙をぬぐおうとして、ゴーグルのレンズに指紋が残った。ハルタは顔をしかめる。


「まあ、そう言わずにさ。リアルに登校できる喜びを噛み締めなよ。高校になったらイヤでもリモート通学なんだから、島から出ない限りはさ」


 オサムは今年、高校生になった。義務教育登校からの卒業だ。


(学校で、なんかあったのかな)


 無意識にデバイスの画面を叩いていると、


『長期連休明けは未成年の不登校や自殺のリスクが高まるという統計が、』


「おいコラ、アイちゃん?」


「なんか言った?」


「なんでもない」


 AI相手とはいえ、独り言に反応されて多少気恥ずかしくなった。


 何か――悩みでもあるのなら相談に乗るよ、とか。そんなことを口にしようと思って、ハルタは音もなく唇を動かす。


 会話の空白を埋めるように、空から再びの騒音。巡回ドローンなのか、物資を空輸しにきたものかは知れないが。


「……『万博』が近いからかな、あいつら最近ほんっと、うるさいんだよね」


 赤い光点に向けて、ハルタは手を伸ばす。それを掴もうとしたのではない。


「銃でもあったら、あれを撃ち落としたい?」


「……え?」


 オサムの不意の言葉に、ハルタは一瞬答えに詰まった。


「……あれが墜ちたら、この島も沈んじゃうかもだから」


「そこまでの被害はさすがにないんじゃない?」


「分かんないよ……」


 本気で思った訳ではない。でも何か、モノでも投げてやりたい。そんな心境だったのだ。自分の上に落ちてくることは分かっていても。……それよりむしろ、他所の家の窓ガラスなどを割ってしまわないかと考えて、仮にそんな衝動に襲われても実行したりはしないのだが。


 そもそも、この辺りには小石のひとつも転がってはいないのだが。


「――じゃ、俺はそろそろ落ちるよ」


「あ、うん……。おやすみ」


「また今度」


 塀の上から、ふわっと。

 身を投げたオサムの姿は、瞬きのあいだに消えていた。



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