公演開始まであと、1ヶ月-④
稽古場から徒歩5分圏内にあるカフェバー『オズリック』。
明るい時間はカフェとして、夜はバーとして運用されている。人が行き交うその通りを抜けた先にあるためか、店内はこじまりとした雰囲気がある。
そして今、兼賀さんと浅海の3人で件のお店、オズリックのテーブル席に座っている。
「いやあ、さっきは怖がらせちゃってごめんね!もう落ち着いた?」
「はい!お陰様で!」
兼賀さんは、気前の良さそうな近所のおじさんみたいに浅海へ話しかける。物置での雰囲気とは打って変わったその雰囲気に、警察官って
「2人は何飲む?お詫びと歩み寄りの印に奢るよ」
そう言いながらメニューを指さしている。
「え!いいんですか?」
「勿論!」
兼賀さんは浅海にウィンクしてみせた。この人は一々動作がうざい。うるさい。やかましい。
「警察官ってこういうの経費で落としてるんですか?」
そう軽口を叩きながら、浅海にメニューを渡す。
「宇鷹くんマジ無粋〜〜〜!ていうか俺はそんなケチ臭いことしないよ!」
片手でナイナイと兼賀さんは否定した。
「へえ……意外」
わざとらしく目を伏せることを意識しながら、視線をスライドさせる。
目は口よりものを言うのだ。感情を伝えるのなら、視線を動かせばいい。
「宇鷹くんマジ失礼〜〜〜〜!意外って何さ!」
今度は兼賀さんが少し前のめりになってこちらに指を指す。
「他の人はしてるんですか?」
「知らないよ!そんなの話題にしないし聞かないし」
「接待費とかで精算してるかと思った」
「ほらほら飲み物決めなよ。それ以上脱線するなら宇鷹くんはお冷ね」
「えーと私は……オレンジジュースでお願いします!」
浅海は元気に決めた!と顔を輝かせている。
「……冷えないか?」
浅海は寒さに弱い。
ましてや、最近急に冷え込んできている。過保護なのはわかっているが浅海を思うと口出しをせざるを得なかった。
「ん〜〜〜!……そうですね!!やっぱりカフェラテのホットで!」
浅海はそう元気に返事をしてくれる。
「オッケー!宇鷹くんは?」
「ウーロン茶で」
「はーい。じゃあ店員さん呼ぶよー」
すいませーん、と兼賀さんが声をかければ、お店の奥から茶色のエプロンをした女性が出てきた。
お昼時にいつもいる人だ。この人は夕方くらいの時間にもいるんだな、と思った。
「ご注文承ります」
「カフェラテのホットとウーロン茶を1つずつ」
「はい。カフェラテのホットとウーロン茶をおひとつずつですね」
「以上でお願いします」
「それでは少々お待ちください」
店員さんが軽いお辞儀をしてお店の奥へと戻っていく。
「……兼賀さんはいいんですか?」
「うん。この後行かないといけないとこあるからね」
兼賀さんはニコリ、と音が出そうなくらいの笑顔をこちらに向ける。兼賀さんもこんなんだけど捜査員だったことを思い出した。
「それにしても、兼賀さんがまさか刑事さんだとは思いませんでしたよ!」
浅海は興味津々な様子で前のめりになる。
「でしょー!このナリならバレないと思ってね!俺も晴れて劇団関係者デビュー!……という名の潜入中だよ」
潜入中だよ、はヒソヒソ声で言う。
そんな事するくらいなら言わなきゃいいのに、という文句は腹の中で潰した。
それはそれとして、確かに今の兼賀さんは警察関係者には見えない。ピッシリとセットされたサイドパートは崩され、前髪がふんわりと額を覆っている。装いはスーツではなく、オーバーサイズのラフなパーカーに丸眼鏡。
この間までとはだいぶ様子は変わった。きっと兼賀さんの知り合いも分からないのではないだろうか。
「立場とか、人物像とか?は宇鷹くんに考えて貰ったんだよねー。」
だよねー、と言いながらこちらに視線を寄越してくる。
「だよねー、じゃないです。ちゃんと立場分かってますよね?」
余計なことをしてくれるなよ、という言葉を飲み込み、代わりに力を込めた視線を送り返した。
「宇鷹くんは俺のことナメすぎ」
「信頼してないだけですよ」
「へえ〜?」
兼賀さんの瞳は弧を描き、口角は上がっている。
どこからどう見ても完全な笑顔だが、その視線の鋭さは言ってくれるねと言いたげだ。
「お待たせいたしました。カフェラテホットのお客様」
絶妙に気まづい空気の中、飲み物が運ばれてきた。
「あ、はい!」
浅海が手を挙げて飲み物を受け取る。
「ウーロン茶のお客様」
「はい」
続いて自分も受け取る。カラン、という氷がぶつかる音共に自分の前へとグラスが置かれた。
話にもひと段落ついた。浅海の様子もだいぶ落ち着いてきた。
そろそろだろうか、と思いながら口を開く。
「それで……今後についてのお話なんですが」
「ああ、さっき言ってくれた提案のお話だよね?」
「そうです」
提案。さっきの物置で思わず口走った話。
浅海を、潜入捜査の協力者にするという話だ。
ウーロン茶を一口飲んでから口を開く。
「じゃあ、宇鷹くんの考えをまず聞かせてほしいな」
「はい。俺が思うに、理由は3点あります」
「うんうん」
「まず1つ目。単純に色んな視点から見れるのは利点になります。俺は座長として、しかも今回は責任者としての立場も兼ねてる。多くの人と接するからこそ俺は全員の違和感に気がつけないかもしれない。彼らのことを細かく見れるとは思えません。だから必要です」
「なるほどね」
「それに、団員から見る他の人間という視点は大切になると思います。座長の俺ではなく」
「なんで?」
「今回の演劇は、1人演劇ではありません。皆で作るものです。演技の応酬を重ねることでコンデションだってある程度分かるもの。確かに浅海は新人ですが、相手との演技の掛け合いについて考える指導はしてきました」
「浅海さんなら、色んな事をしなければいけない宇鷹くんよりは相手のことを細かく観察できるかもしれない、ということかな?」
「はい」
「わかったよ。2つ目は?」
「浅海の雰囲気です」
「雰囲気」
兼賀さんはキョトンとしている。
何かおかしいことを言ったかもしれない、と思い恥ずかしくなるが、もうこのまま話し続けることにした。
「ええ。浅海には、親しみやすい雰囲気があります」
兼賀さんは浅海を見る。つられて俺も浅海を見た。
「そ、そうなんですか?」
浅海は兼賀さんと俺を交互に見る。
「ああ。浅海は俺みたいに取っ付きにくくないし、警戒心も薄れると思うんです」
「うーん、確かに宇鷹くんよりはね!」
ニコリ!と音が出そうな屈託のない笑顔だ。顔面に一発殴り込みたくなるほど。
兼賀さんは人をイラつかせる天才かもしれない。
「……参考までにどんな所が?」
「いつもぶすーっとしてるとこ?」
「で、でも!宇鷹さんはとっても優しいんですよ!お話してみると!」
両手をぐーにしつつ、まるで応援するみたいなポーズで浅海がフォローを入れてくれる。
「……ありがとう浅海」
「はは。じゃー、最後の理由は?」
「最後の理由は……」
言葉を紡ぐために口を開いた。
が、それは紡がれずに終わった。
「……あ、ちょっとすみません……」
「ん?電話?」
「はい。少し離席します」
右ポケットに入れていたスマートフォンが振動している。
席から立ち上がり、お店の出入口の方へと歩みを進めた。画面を確認すると【
「お疲れ様です。ええ……そうですが。え?……ああ、はい。……わかりました」
電話は切らずに席へと戻る。
そして、スマートフォンをスピーカーに切りかえる。
「……どうしたの?」
「責任者の貴船が、兼賀さんにお話したいことがあるようです。……貴船さん、スピーカーにしましたよ」
スマートフォンをテーブルの真ん中に置き、3人で覗き込む。
彼は、一体何を言い出すのだろうか。
『初めまして、劇団責任者の貴船です。ご挨拶が音声越しで申し訳ない』
低くて耳触りの良い声がスマートフォンから聞こえてくる。
「とんでもないです。お忙しい中ありがとうございます」
『手短にお話しますね』
「よろしくお願いします」
兼賀さんからはおどけた様子がすっかり消えていた。
浅海と俺にも緊張が伝播する。
『元劇団職員だった
「連絡を取れなくなったのはいつ頃からですか?」
『9月の終わりごろ……ああ、9月の30日です』
貴船さんは何かを遡るようにしながらそう話す。
「今日は10月5日……」
「1週間くらい連絡がとれないなんて、おかしいですよ」
兼賀さんの顔を見ながら、俺はそう言う。
『私もそう思いました。連絡を疎かにするタイプでも無いので、違和感がありました』
「どこか他に連絡などはされましたか?」
『宇鷹くんに連絡はしました。もしかしたら何か聞いてるかな、と思って』
「そうなの?」
兼賀さんがこちらを見た。
「ええ。確かに貴船さんから電話は来ましたよ。でも、朶さんからは何も」
『このお話、何かお役に立てそうですか?』
「はい。とても良いお話が聞けました。ご協力ありがとうございます」
兼賀さんは少し早口になっている。察するに、次の被害者になりうる人間の輪郭が全く掴めなかったのではないだろうか。
まあ、そんなのは
『良かった。では私はこれで失礼します。朶さんをどうかよろしくお願いします』
プツリ、という音と共に電話は切れた。
「はあ、思わぬ所で収穫があったや……」
兼賀さんは脱力したようにソファにもたれかかる。
「あの、エダさんってどんな方だったんですか?」
浅海はおずおずとした様子で質問を投げる。
「浅海は知らないか。前の座長。あの人が辞めるから俺が継いだ」
「そうなの?」
兼賀さんが興味深そうに食いついてきた。意外だった。警察なら元関係者の経歴は調べてたと思ったが。
「朶さんのことは何か調べられていなかったんですか?」
「ん〜……なんていうか……。色々探ってはみたんだけどね。家には帰ってないみたいだし、今、どこに勤めてるのかも不明なままでさ。ロンドンまでなんで行くのかも今の情報だけじゃよく分からなかったよ」
言葉を選んでいるのが伝わってきた。
朶さんの話せるような経歴は、確かにめちゃくちゃだろう。
「あー……ウチの劇団員は結構浮世離れしてる人多いですから」
思わず苦笑いを浮かべる。
兼賀さんもつられて苦笑した。
「ははは、勉強させてもらいました」
そう言い放った兼賀さんは、テーブル席の伝票をスルッと取ると、席を立った。
「あ、もう戻りますか?」
自分も慌てて立ち上がる。
浅海もカフェラテを急いで飲んでるのが横目に見えた。
「うん。情報の精査をしないとね」
「浅海の件はどうなるんでしょうか」
「それも含めて。上と相談してみるよ」
動いてるのは俺1人じゃないからさ、と言う。
が、何かを思い出したようにくるりと振り返ってこちらを見た。
「そうだ、浅海さんを加える最後の理由はなんだったの?」
「……勇気が萎みました」
「え?どういうこと?」
「また言います」
兼賀さんは少し怪訝そうに見ている。
視線が床に落ちる。
あの時は緊張感と焦りでどうにかしていたなと改めて思った。
そもそもあの提案だって、かなり焦って口走ったことだった。アドリブをきかせるにしても強引だったなと恥ずかしくなる。
いや、こちらの気待ちを素直に伝えるためだ、と誰に言う訳でもない言い訳を心の中で浮かべ続ける。
浅海を守るためです、と堂々と言う勇気は、もう枯れてしまっていた。
*
浅海を先に劇団に帰し、兼賀さんを駅前まで送る。
誰が見てるか分からないから、兼賀さんとは念の為多くの時間を一緒に過ごすようにしている。
「ねえ、宇鷹くん」
「はい」
「浅海さんって何歳?」
「18です」
「ほんとに?」
「ええ。警察に嘘ついてどうするんです?調べたらわかるのに」
「それもそっか」
「俺からもいいですか?」
「もちろん」
「何でそんなこと聞くんですか?」
いつもツラツラと言葉を並べる兼賀さんが、少し言い淀んでるのが気がかりで、様子を伺うように兼賀さんへと視線を移した。
「……これは、貶してるわけじゃないんだけど」
あ、身構えなければいけない、と思った。
「なんだか子供みたいに見えて。14歳くらい?」
まるで凹凸がカッチリとハマったように、視線が動かせない。
「だからもし未成年だったら、巻き込むなんて大変だと思ってさ。念の為ね」
兼賀さんの言葉に、色々な配慮を感じた。
大変、という言葉の意味。
これから非常に多くのストレスを抱える可能性があるということだろうか。
「嫌な気持ちになったらごめんね」
「あ、いえ。大丈夫ですよ」
正直、浅海の幼さは俺も気になってた。
分かってる。
浅海に、”性格”で片付けられないような違和感があるのなんて。
皆が皆同じ人生を生きてるわけじゃない。人がどういう変化を遂げるかなんて想像つく人なんかいない。もしも出来ると豪語する人間がいるのなら、それはその人が傲慢な証拠だ。
でも。
あの幼さには心当たりがある。
……俺のせいかもしれない。
気付けば日が傾いてる。晴天の夕方。西日は少しきつい。
時計を見ればもう17時近くだ。
日没は近い。
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