公演開始まであと、1ヶ月-③
もはや物置小屋と化しているその部屋が、ちょっとだけ好きだった。
入団して半年ほど経つが、この部屋に入る度に、部屋の中は更にごちゃごちゃしていっている気がする。きっと、皆好きなものを好きなようにとって去るからだ。年末に大掃除を提案しようかな。多分、そういう節目くらいじゃないと皆やりたがらない。私も本腰が入らないと思う。
でも、このごちゃごちゃ具合は少し落ち着く。見知らぬものがあればどんな風に使われてるんだろうって想像したくなるし、見た事あるものだと「あの人が使ってたセットだ!」とはしゃぎたくなる。このごちゃごちゃは、ちょっとした宝の山でもあるなと思う。
今日の稽古で必要なものを思い浮かべながら、宝の山をかきわけ、棚の前で止まる。
ダンボール、養生テープ、ビニール紐、丸められた新聞紙……必要なものを漁り、とりあえずダンボールの中に詰めていく。持ちきれるだけ持って、足りなければまた取りに来ればいい。戻ったら宇鷹さんに確認をとることを忘れないようにしよう。
カシャン。
何の音だろうと下を見ると、私の入館証が床に落ちている。危ない危ない、と思いながら拾おうとして、よろめいた。
そして、入館証を蹴っ飛ばしてしまった。
入館証は綺麗にすべっていき、狭い隣の棚の下へ見事にゴール。
……え。
「……えええええ!!!ちょ、ちょっとまって!稽古部屋に入れなくなっちゃうよ〜っ!!」
入館証は、この建物に入るためだけのカードではない。セキュリティが必要であると判断されている部屋全てに電子ロックがかかっている。そのため、解錠するには入館証が必要なのである。
慌てて棚の下を覗いてみると、ピカピカの入館証は見事に埃と共に鎮座している。手を伸ばそうにも、そこに私の腕は入れない。棚の下は、即刻入店拒否ものの狭い隙間だった。
新聞紙を入れて上手く引っかからないか試してみる。
だめだった。それどころかちょっと回転して、少し奥に進んでしまった。私のバカ。不器用。
棚を動かそうとしてみる。ダメだ。とっても重たい。大きな岩を押しているのかと思う程に重い。
とりあえず誰でもいいから連絡をしよう。そして、宇鷹さんに相談を――
「あれ?電気がついてるね」
「ホントだ。急いでた誰かが消し忘れたんですかね」
人が来た。廊下から足音が2つ聞こえる。
1人は宇鷹さんだ。聞き慣れた声。でも少し疲れてるみたいに聞こえる。
もう1人は……誰だろう、わからない。低くくて、よく通る声。男の人だとは分かる。
「この部屋は基本物置なんで、誰もいないと思います」
「へー、そうなんだ」
その言葉を聞いて、咄嗟に奥のカーテンに身を隠す。今の状況になんとなく後ろめたさがある、というのもあるけれど、”誰もいないからという理由”でこの部屋に来た、という所からも聞いてはいけなかった気がした。
ここまで来たら最初から最後まで聞かなかったことにして息を潜めた方が、宇鷹さんともう一人の人にとっては良い事なんじゃないだろうか。
ギィ、という音と共にドアが開く。そして人が入ってくる気配がする。
いよいよ戻れない所にきた気がして、ちょっとだけ緊張してしまう。
「わぁ。色んな山がいっぱい連なってるね」
「どれも大事な道具です」
「その割に置き方雑じゃない?」
愉快そうに話すその人は、何かをポンポンと叩いてるようで、物音が私のところまで聞こえてくる。
2人とはそこまで距離が離れてないから、何をしてるのかがなんとなく察せられてしまう。
できるだけ耳を塞いでおくから早く本題に入ってください!と願いながら目を瞑った。
「あんまり触らないでくださいよ」
「アハハ。ごめんごめん」
「……それで。本題ですが」
「うんうん。聞かせて」
「1週間ほど経ちましたが、まだお見えにはなってませんよ」
「そっかあ〜」
「はい。既にお伝えしたと思いますが、演出家との打ち合わせはもう少し先です」
「それでも動向は確認せざるを得ないんだよね。念の為というか……早まったとかなんとかいってこっちに来る可能性もあるし」
「分かってます。また連絡が来たらお伝えします」
これは……なんの話をしているのだろう。お仕事のお話とはまた違う、なにか嫌な緊張感が伝わってくる。
でも、そんなに聞かれたくないお話なのだろうか。やましい事もなさそうだし。
「あれから数日経つけど……皆さんの様子はどう?」
「団員たちの、ですか?皆変わらず元気にしてますよ。……ですが……」
「ん?何かあったの?」
「ええ。ちょっとした噂が出回ってるみたいで」
「どんな噂なの?」
「くだらないことです。上層部の人がなにかしたのか〜とかトラブルかな〜とか。恐らく、貴方がたが出入りしていたのを誰かが見たからだとは思いますが」
あ、それ私も聞いたことがあるかも。さっきの休憩時間にも「あーあ、公演近いのに嫌なニュースになったらどうしよう〜」って言ってた人がいた。
私も不安。何かが起こっていることはわかっても、具体的な内容がわからないのは、とってもザワザワする。
「うーん、なるほどね。その不安分子は取り除きたいね〜……」
「兼賀さんの方はどうなんです?順調なんですか?」
カネガさん。
劇団の中では初めて聞く名前。宇鷹さんと仲が良さそうだけど、外部で何か縁があるのだろうか。
「うん。別件で囲う準備も出来てるんだ」
「へえ……それはすごい」
「まあ後は宇鷹くん次第って感じかな!」
「その責任は俺にないでしょ……」
「一蓮托生!捜査に協力してくれるって言ったんだから」
捜査。
いま、兼賀さんは捜査、と言っていた。
じゃあ、兼賀さんは噂にあがっている刑事さんなのだろうか。そもそも宇鷹さんと一緒にいるのは何でだろうか。ますます疑問は止まらなくなった。
だからつい、耳を傾けてしまっていた。
「……なんか、段々わからなくなりますよ」
「なにが?」
「…………本当に……」
「劇団内に、殺人鬼なんているんでしょうか……?」
*
ガタンッ。
仕切りとしてさげているカーテンの方から、物音がした。鈍い音。何かをぶつけてしまったような音だった。
兼賀さんと視線がぶつかる。
「誰か……いたのかな」
「……そうみたいです」
自然と声が小さくなる。内容が内容だ。誰がそこにいるか。早く確かめなければならなかった。
兼賀さんがカーテンの近くに寄っていく。俺もゆっくりと続くと、兼賀さんが緊張感のある表情でこちらを見る。恐らく声をかけるよという合図だった。俺はそれに頷き返した。
少しだけ、息が詰まる。
本当に殺人鬼が潜んでいるかもしれない中で、この状況に緊張しない方がおかしかった。
「どなたかいますか?出てきてもらえると嬉しいんですが」
「…………」
「……カーテンの裏側に、どなたかいますよね?少し、お話を聞き……た……え?」
兼賀さんは、困惑したような様子でカーテンの奥を見ている。
「……どうしたんですか」
思わず寄ると、隅でぷるぷると震えている、見慣れた小さな姿があった。
「……ひっく……盗み聞き……っしました…っごめんなさっ…………っひ……」
「え……あ、浅海……??」
「うっ……うだかさ………」
「えーと……宇鷹くん。この子は……?」
兼賀さんが少し困惑したようにこちらを見る。
それに促されて、俺は口を開いた。
「浅海です。浅海千夏。団員の中では1番新しい子です。……浅海、大丈夫か?どうしたんだ?」
膝をついて浅海の顔を覗く。
怖かったのだろうか。表情は不安に歪んでいる。黒髪の隙間に見える青くて大きな瞳からは、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちていた。
「わ……私っ……盗み聞き……しちゃって……」
「うん」
「こ、小道具……とりにきたらっ……棚の下にっ、入館証おと……落としちゃって、それで……ひぐっ」
「うん、ゆっくりでいいよ」
「それでっ…………困ってたらおふたりがきて……っ……」
「そっか。……入館証、落としちゃったのか」
浅海はこくりと頷いてから、指で棚を指した。
つられてその方向を見ると、この部屋で1番大きい棚がその延長線上にあった。
「入館証落としちゃって困ってたら、俺達が来て、出るに出られなくなっちゃった……って感じだな?」
「っはい……すみまぜん……」
「謝らなくていいんだよ。入館証はこっちで拾っておくから、一旦稽古部屋に戻ろう」
「それはダメ」
兼賀さんの鋭い声が飛んできた。
「……なぜですか?」
「浅海さん。お話、どこまで聞こえましたか?」
「え……えと」
気圧されている浅海に、兼賀さんは淡々と質問を投げる。その雰囲気は、捜査協力を持ちかけてる時みたいだった。
「君は、話の内容に動揺してしまって、物音をたててしまったんじゃないかな。違う?」
「あ、あの」
「兼賀さん」
「ああ、責めてるわけじゃないよ。これは必要な確認。宇鷹くんもわかるでしょ?」
「お、おっしゃる通りです。私は……その、……聞いちゃって、それで……」
「そっかそっか……。ちなみに、どんなことが聞こえてきたかな?」
「……貴方は宇鷹さんに頼んで、捜査を行っていることと……この劇団内に、殺人鬼がいるかもしれない……という内容でした」
「あー……」
思わず兼賀さんと顔を見合わせる。
「まあ、よく確認しなかった私達も私達だったなぁ……ねえ宇鷹くん」
「ええ。それはそうです。だから浅海……自分のことは責めなくていいからな」
「……」
浅海はまだ俯いている。聞いてはいけないことを聞いてしまった、迷惑をかけてしまった、というのが言葉にせずとも雰囲気から伝わってくる。
ちらりと兼賀さんを見ると、何か考えているような素振りを見せている。これは恐らく、俺たちにとっては良くない内容だろう。
例えば、浅海を今回の公演メンバーから遠ざけられないか、とか。
兼賀さんならやりかねない。捜査にとって邪魔になるものは排除する。だから、こちらの都合に無理を言うだろう。まだ短い付き合いだが、この人の考えることがなんとなくわかってきた。
じゃあ俺は、座長として何ができるのか。浅海は新しく入ってきて、ようやく仕事が板についてきた。
そして浅海は今回、初めて役がついた。そんな大切な公演だ。できるだけ守ってあげたい。
小さくなってる浅海を見つめながら、俺は口を開いた。
「あの、提案なんですが」
兼賀さんと浅海の視線を感じる。
2人の顔を目を見た。
「浅海も加えませんか。……この捜査に」
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