横断歩道横断

白川津 中々

◾️

横断歩道前では信号待ちをする人々が犇めいていた。


皆、スマートフォンを覗いたり欠伸をしたり音楽を聴いたりと様々な方法で待つ時間を過ごしている中、一人だけ、行き交う車を見守るように、直立不動で真っ直ぐ視線を定める人間がいる。彼の名は無地野美琴むじのみこと。21歳男性。乙女座のA型。趣味は横断歩道横断である。横断歩道を横断する事が、彼にとっての生き甲斐なのだ。


美琴の視線が少し動いたのは車が停まり出し始めたころである。歩行者信号は未だ赤だが、フライングをして歩き出す中年男に、彼は目を向けていた。


「若いな」


美琴は小さくそう呟いた。

彼自身、子供時分によくフライングを行っていた。実のところ、歩行者信号は車道信号の後に色が変わるため、若干の猶予がある。真面目に歩行者信号が変わるまで待つなど馬鹿のする事。自分は隠された仕組みを理解して華やかに横断していると信じ込み、美琴はいきがっていたのだ。

しかし歳を重ね、待つという時間に意味と美を感じるようになる。嫌でも出社しなければならない会社。一度タイムカードを切れば止まる事なく働き続けなければならない社会。そんな苦しみの中、一と時だけでも立ち止まるのが許される時間。それが横断歩道。待つ間は何を考えてもいい。家族、将来、世界平和。人それぞれだろう。わずかな間に思考を詰め込んで待ちに待ち、信号が変わって車道に切り込む。その瞬間、美琴は堪らない高揚感に満ちたような表情を浮かべる。まるで停止した時間の中から一歩を踏み出したように歩き出すのだ。待って、渡る。それが彼の最大の喜びだった。


信号が変わった。

横断が始まる。

動き出す人の足音が響く中、美琴はまだ進まない。皆がずらりと向う側へ渡り、最後の一人となった時、ようやく前へ踏み出す。さながら、海を割るモーセのように。


「あ、危ない!」


通行人が叫ぶや否や衝撃音。一台のSUVが突入し、横断中の美琴を跳ねたのだ。

長い間飛翔した美琴は頭から着地し脳と頚椎を損傷。救急車で病院へ搬送されるも死亡した。


横断歩道は、さっさと渡ろう。 

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