第36話 お見合い




 美桜と橘とのお見合いがセッティングされたのは、その週末のことだった。


 お見合いの会場となったのは、京極グループの所有する、とある料亭だ。

 美桜は慣れない振袖を着て、橘と二人、向かい合っていた。

 先ほどまでは美桜の両親と橘の両親、そして仲人が同席していたのだが、今は二人きりである。


「さて、これでやっと本題に入れるな」

「……橘先輩、今回の縁談なんですけど」

「うん、分かってる。深村さんの心は、黎明さんのところにあるんだろ? でも、若様が手紙に書いたと思うけど――」

「はい。私も、ちゃんとわきまえてます」


 あの日、蕎麦店でレイから渡された手紙――京極白蓮が記したと思われる便箋には、美桜の心を揺さぶるような文言がいくつか書かれていた。

 その一つが、レイの気持ちが向いている先が、桜花姫だということだった。どうやって調べたのかは知らないが、京極に言われるまでもなく、それは事実だ。美桜ももう受け入れている。


「京極様からのお手紙には、『私はレイにとって、桜花姫の代わりにすぎない』と書かれていました。それが真実だってことも、知ってます。でも……それでも……」


 桜花姫にとっては、レイは自分の子であり、弟だった。レイにとって、今でも桜花姫は姉であり、主であり、初恋の女性だ。

 今のレイにとって、美桜自身がどう見えているのかは、さっぱり分からない。だが、少なくとも美桜にとって、レイは弟などではなかった。

 美桜にとってのレイは頼りになる大人の男性であり、恋愛に及び腰だった美桜が、初めて本気で好きになった人なのである。

 誰に何を言われても、美桜は美桜であって、桜花姫とは別人。諦めるつもりも、今はもうない。


「そんなの、どうでもいいんです。理屈なんかじゃない」


 彼と、一緒にいられる。そのことが、美桜にとって、今は何よりも大切なのだ。

 レイと一緒にいる理由となるのであれば、今は、誰かの代わりでも構わない。けれど、少しずつでいい。同じ時を過ごしているうちに、いつか虚像ではなく、彼にとっての真実になれたら――美桜は、そう願っている。


「桜花姫の気持ちとも、レイの気持ちとも関係ない。私は、レイがいいんです」

「そっか。でも彼を選ぶことは、君にとって辛い道かもしれない。深村さんは、それでもいいの? 僕だったら、君だけをちゃんと大切に愛するのに」

「……確かに、愛情を返してもらおうと思ったら、大変かもしれません。でも、私は、自分の気持ちを大事にしたいんです。私は、レイが好き」


 美桜は、自らの胸に手を当てて、レイに抱いている気持ちを口にした。

 そうして美桜は橘の目をじっと覗き込むが、橘の黒い瞳は全く揺らぐことなく、美桜を真っ直ぐに見つめ返している。


「それに、前々から思ってましたけど、今確信しました。橘先輩、私に興味あるフリをしてましたけど、本当は私のこと、好きじゃないんでしょ?」


 美桜が口端を上げてそう言うと、橘の瞳が初めて揺らぐ。


「……バレてた?」

「バレてましたよ」

「はは、そっか。バレてたか」


 橘は面白そうに目を細めて、屈託なく笑う。美桜もつられて、笑いをこぼした。

 これをきっかけに、堅苦しかった空気が少しだけ緩んだ。


「ていうか橘先輩って、恋愛とか結婚とかに興味ない感じですよね」

「うーん、そんなことないんだけどな。まあ、でも、恋愛や結婚が、僕の人生にとっての第一優先じゃない……ってのは事実かな」

「橘先輩にとっての第一優先は、お仕事ですか?」

「んー、どうかな。……それより、続きを話そうか」


 いつものように人好きのする笑顔を浮かべる橘からは、その真意を読み取ることができない。あまり自身のことに踏み込んで欲しくないのか、橘は、あからさまに話題を変えた。


「深村さんももう知っていると思うけど、今回の縁談で、若様は君を完全に自陣に取り込む予定だったんだ。深村さんが結婚を断ったとしても、社内コンペを理由に異動してもらうつもりだった。それも断られたとしたら、今回の縁談で繋いだ、君のお父さんの会社と京極グループの関係を利用することも考えてた」

「……そんなことになってたんですね……」

「若様は、何重にも策を巡らせる方だ。敵に回せば恐ろしいけれど、味方になれば心強いよ。だから安心して――」

「――安心できません」


 美桜がはっきりとそう告げると、橘は目を見開いた。


「こんな風に、無理矢理追い込むようなやり方で味方に引き入れようとする人を信じるなんて、私にはできません。そういう人って、不要になったら、トカゲの尻尾みたいに味方を切り捨てるんじゃ――」

「――深村さん、僕を怒らせようとしてる? 意外と策士なんだな。それとも、黎明さんの入れ知恵?」


 橘は固い声で、美桜の言葉を遮った。瞳の奥にはわずかに焦燥が宿っているが、口元はゆるやかに弧を描いている。


「……っ、バレました?」

「バレバレだよ。お人好しの深村さんらしくないし」

「そうですよね……慣れないことをするものじゃないですね」


 先ほどとはまるっきり立場が逆転した美桜は、小さく笑いをこぼして、ため息をついた。


「橘先輩のおっしゃるとおり、私は、最初からそちらに協力するつもりでした。でも、ちょっとでも橘先輩を怖いと思ったら、断るようにって……本当に私を大切に守ってくれるつもりなら、少しぐらい怒らせても、強く出られないはずだからって」

「流石だな。黎明さんの言うとおりだよ。僕たちは、喉から手が出るほど深村さんの異能が欲しい。けれど、君が心から協力しようと思ってくれないと、その力を十全に活かすことができないからね」


 橘は頷き、どこかほっとしたように目を細める。

 美桜はその反応を見て、先日の社長室で見せた橘の固い態度と、京極の冷たい眼差しを思い出す。橘と『若様』の関係に、何となく想像がついた。


 美桜の異能を発動するには、対象に触れる必要がある。だから、美桜が自らの意思を持って協力することが必須だ。それは、京極も承知しているのだろう。

 桜花姫が最期に使った術のように、神術を組み合わせればその限りではないが、それは知られていない可能性が高い。

 それに、神術は複雑すぎるのだ。桜花姫はともかく、美桜ではその力を正しく扱うことができないだろう。


 対象に触れなければ発現しない異能。その力を効果的に発揮するために、美桜を橘の伴侶とし、橘の意のままに動く駒とするべく計画したのだろう。


「ふふ。それにしても、良かったです」

「ん?」


 美桜が笑みをこぼすと、橘は、目を丸くして首を傾げた。美桜は、橘に向かって悪戯な笑顔を浮かべる。


「さっきはああいう態度を取りましたけど……お手紙に書かれてた報酬、破格だったから。橘先輩が怒りませんようにって、ちょっと祈ってました」

「ああ、なるほど。深村さんは現実的なんだな」

「ふふ。お金はいくらあっても困りませんからね」

「ははは。それはそうだ」


 橘は、面白そうに笑った。


「じゃあ、僕と深村さんの婚約は、破談。雇用契約に関しては、話を先に進める、ってことでいいのかな?」

「はい。それでお願いします」

「うん。ありがとう。望み通りになって、良かったよ」


 そうして美桜と橘は、笑顔で握手を交わしたのだった。


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