第32話 京極
レイは美桜を後ろ手にかばいながらも、油断なく京極を見据えている。
京極は、レイに敵意をむき出しにされても全く動じず、ただ愉しそうに目を細めてこちらを見ていた。
「美桜、無事か!?」
「ぶ、無事も何も、ここ会社だし……ていうか、どうしてレイがここに?」
よく見ればレイは、いつもの羽織袴でも美桜が選んだ洋服でもなく、蕎麦屋の作務衣を着ていた。仕事中に頭に巻いている手ぬぐいは、外して肩にかけられている。
京極が動こうとしないのを見て取って、レイはようやく、美桜をかばって横に広げていた左手を下ろす。ただし、彼からは視線を外さないままだ。
「……呼ばれたのだ。橘の異能によってな」
「呼ばれた? 異能?」
的を射ない回答に、美桜はますます混乱する。だが、今のレイは
レイは低く鋭い声で、京極に問いかけた。
「おい、一体どういうつもりだ? こうして突然、人を拉致するような真似をして。お前たちの目的は何なのだ」
怒りの滲んだレイの声も、薄く鋭い笑みを浮かべ続けている京極も、何もかもが意味不明で恐ろしくて、美桜は震え上がった。一切質問に答えることのない京極を、レイはそのまま問い詰め続ける。
「いい加減、答えろ。さもなくば――」
「あれれ、いいのかな? お前の大事なお姫様が怖がってるよ?」
「はっ……美桜」
京極が微笑みながら告げた言葉に、レイはようやく美桜の顔をちらりと見た。
美桜の顔からは、すっかり血の気が引いていたのだろう。美桜の表情を見たレイは、拳を握りしめて口を閉じる。
「……ぐっ」
「そうそう。賢明な判断だよ」
京極は、肩をすくめて、応接セットのソファーに腰を下ろした。
「で――橘、お茶は、あー、無理そうかな? まあ、いいか。出前はちゃんと届いたし」
橘は、給湯室へ行ったきり戻ってこない。京極は、そちらを一瞥すると、興味なさそうに視線を美桜たちの方へと戻し、顎をすいと上げた。どうやら、座れと言っているようだ。
美桜たちは顔を見合わせて、向かい側のソファーに座った。
「……それで。何の用があって俺を呼んだ」
「うん、さっき美桜ちゃんにも話したんだけど、二人に契約をしてもらえたらなあと思ってさ」
「契約?」
美桜とレイは再び顔を見合わせる。蓬はまだ警戒しているのか、美桜の膝の上に陣取り、京極をじっと見つめていた。
「そう、契約。とはいっても、雇用契約だよ。ほらさ、引き抜きってやつ?」
「引き抜き、ですか?」
「うん。美桜ちゃんは興味ありそうだね?」
京極グループCEOからの引き抜き……興味がないはずがない。
そもそも社内コンペで本社に異動しようと考えていた美桜だ。本社よりもさらに好条件の会社に行けるかもしれないのなら、断る理由がない。
だが、先ほどのレイや蓬とのやり取りを見ていた美桜は、警戒もしていた。
もしかしたら、京極グループ……というか、京極
美桜は内心の不安を隠そうともせずに、隣に座るレイを見た。レイは、心底嫌そうに京極を睨み付けている。
「で、お前はどうするの? 端的に言うと、この僕――京極白蓮の下で働く気はないかって話なんだけど」
「断る」
「あーらら。聞きもせずに断っていいのかな? 一応、お前にとっても、良い条件を用意してるんだけど」
「俺は姫様以外に忠誠を誓うつもりはない」
「あっははは。ほんとに融通の利かない頑固者だね、
何がおかしいのか、京極は愉しそうに笑っている。だが、瞳の奥はまったく笑っておらず、冷たい光をたたえているのが、不気味だった。
「でも忘れたの? 僕はその姫様の血筋だよ」
「血縁者だろうが関係ない」
「じゃあ、魂の方はどうかな?」
京極の声が一段低く、鋭くなる。
「……貴様……!」
途端に、レイの纏う空気もピリピリとした緊張を帯びていった。対する京極は、氷の刃のような酷薄な笑みを浮かべて、そのまま言葉を並び立てていく。
「いいんだよ、お前は所詮オマケだしね。ちょっと力がありそうだから、ついでに声をかけただけ」
京極は肩をすくめると、レイから視線を横に滑らせ、美桜と目を合わせた。京極は相変わらず氷のような笑顔を浮かべているが、声色は、先ほどより柔らかなものに変わる。
「もう分かってると思うけど、僕の本来の目的は美桜ちゃんの方なんだ。橘をこの会社に置いといたのも、縁談を用意したのも、全部君を手に入れるためだったんだよ、本当は」
「え……?」
「ねえ美桜ちゃん。君はさ、この男と出会わなかったら、橘との縁談を受けていたんじゃない?」
「あ――」
美桜は、その言葉に、ちらりとレイを見た。確かに、京極の言うとおりだ。
実際、美桜自身もレイに同じようなことを告げたばかりである。
レイは、口元をぎゅっと引き結び、悔しそうな悲しそうな、何とも言えない表情をしていた。
「俺、は……」
「あはは、やっと分かった? 突然出てきて、僕の計画をぶち壊したのは、お前なんだよ。京極
「――え? 京極? 京極、黎明……?」
レイの本当の名、それを呼んだ瞬間。
美桜は、その苗字の意味を考える余裕すら持たず、糸が切れるように意識を失ってしまったのだった。
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