指と紅
馬渕まり
指と紅
人差し指になった夫が帰ってきたのは、ルビス川の戦いから一月後のこと。
夫は伯爵でしたが実戦派で第二騎馬隊隊長として長らく王国の戦力を支えておりました。平民上がりの第一隊長とも馬が合い、王国軍の双璧として部下に尊敬され、国民に敬われ、そして女性に人気がありました。
結婚して二十年になりますが、夫の浮き名は多過ぎていちいち覚えておりません。
だけど必ずあの人は、私の元に帰ってきてくれました。国一番の歌い手と恋に落ちた時も、公爵の未亡人とただならぬ関係になった時も。叔母に手を出しかけた時は流石に離縁を考えましたが、あの人はいつも跪き私に赦しを乞うのです。
赦すたび、あの人は笑い、ごつごつした指で髪を撫で、熱いキスをしました。
「なぁに、軽い戦いさ。いざとなったら部下を盾にしてでも帰ってくるから心配すんな。」
夫は笑って出ていきました。そんな言葉と裏腹に、中立の盟約を破った隣国が敵と共に襲ってきた時、夫は勇敢に戦い、最後は殿となって部下を撤退させました。騎馬隊の粘りのおかげで友軍が間に合い、国境線は守られました。
戦いが終わった後、戦場に戻った隊の方が、夫の指を持ち帰ってくれました。鎧や剣、装飾品は剥ぎ取られ持ち帰れるものは指だけで、遺体は損傷がひどく、夏の暑さもあったため、亡くなった場所にほど近い小高い丘に埋めたと。
おそらく首都について移し替えられたのでしょう。塩に浸された夫の指は、純白の絹にくるまれ、箱には王家の紋章が刻まれておりました。
絹布をほどくと、中から指が見えました。爪の下の小さな黒子。
婚約式のあの日、伝統の儀式にのっとって私の唇に紅を塗ったあの指です。
黒子の下の傷跡は私がつけたもの。六人目の浮気で、もう赦さないと爪をたて結局赦したあの日の痕跡。
「あなただけを一生愛します。」
一生で何人愛したか数えてごらんなさい。
「生涯あなたを護ります。」
ええ、ありがとう。あなたのおかげでこの街には敵兵一人来てはいません。
小さく小さくなったけれど、最後は私の元に帰ってきた夫を抱きしめ、その指先にそっと紅を置きました。口元に近づけると、わずかにすえた匂いがしましたが、戦いの後なので仕方がありませんね。
ゆっくり、ゆっくりと唇に紅色が広がりました。
「おかえりなさい。」
これが最後の赦しです。あなたはもう誰の元へも行けません。私の勝ちですね。
私は髪を切り、もう開かれぬ玄関に鍵をかけ修道院に向かいます。
──あなたの塗った紅と共に
指と紅 馬渕まり @xiaoxiao2
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます