家族の気配

二晩占二

第1話

 休日の昼下がり、俺は高校の同級生とばったり出くわした。

 といって、それほど親しかったわけではない。何度かクラスが一緒になった程度。だが、顔を見たとたん妙に懐かしくなってしまい、思わず声をかけてしまった。


「あっ、久しぶり……」


 少し高く、細い声で応じる友人。

 そういえば、内気な性格だったかもしれない。学生時代の面影を残す彼は、少々戸惑った表情を浮かべている。

 片手には、エコバッグ。パンパンに膨らんだ袋の口から、青ネギやら牛乳のパックやらが、はみ出ていた。量からして、四人家族くらいだろうか。


「買い物か? 嫁さんは別行動? すごいな」


 男性も家庭に参加を、などと叫ばれはじめて久しいが、つい嫁さんに任せきりになってしまっている俺は、心から感心した。

 特に料理など、たまに手伝おうものなら邪魔者扱い。おつかいとて、どこでどんな食材を買えばいいのか、見当もつかない。


 と、真心こめた賞賛のつもりだったのだが、褒められたほうは、相変わらず戸惑ったような笑みを浮かべたままだ。


 うん、まずいな。

 気まずい。


 やはり、大して親しくもない同級生から突然声をかけられて、困っているのだろうか。声をかけたのは、独りよがりがすぎたかもしれない。

 ここは早々に切り上げるが、吉だ。


 と、決心したところで、突然に彼が声を大きくした。


「よかったら、うち来る?」

「――え?」

「うち。僕の家。すぐ、そこなんだ」


 別れようとした途端の意外なお誘いに、逆に俺のほうが当惑してしまう。


 家?

 いきなり?

 なんで?


 そういえば、コロナ禍以降、他人の家に上がり込むという習慣も久しく経験していない。

 少し迷いつつも、俺はお言葉に甘えることにした。




 立派、とまではいかないが。

 きちんとした一軒家だった。白とグレーを基調にした、落ち着いたデザインだ。 駐車場にはファミリーカー。後部座席にチャイルドシートが設置されている。


「持ち家?」

「まさか。借家だよ」

「はー。何部屋あるの?」

「そんな豪邸じゃないよ。普通の3LDK」


 面白みもない状況確認のような会話。

 ふと、学生時代の彼を思い出す。グループの輪の中に入ってきても、あまり発言せず、ただいるだけ。目立たないやつだったな。

 そんな彼も、今ではちゃんと家庭を築いているんだな。幸せそうで何よりだ。


 などと、何様目線で妙な感慨をふける俺。


 彼は鍵をあけながら、玄関へと入っていく。

 少し遠慮しつつ、その後ろをついていった。


「ただいまー」


 彼の声が細いせいもあってか、家族からの返事はない。あがりかまちの手前に、子どもの靴が脱ぎ散らかされている。サイズを示す「17」の数字が、中敷きに印字されてある。まだ買いたてなのか。汚れていない。

 その靴を彼が慣れた手つきで揃えなが。「どうぞ、あがって」と呟いて、居間へと入っていく。


 開け放たれたドアの向こうから、水の音が聞こえている。

 奥さんが、洗い物でもしているのだろうか。


「おじゃましまーす」


 これ、言うの久々だな。などと思いつつ、俺も居間へと進んだ。

 外観と同様に、白とグレーを基調としたインテリアで揃えられた、当たり障りのないリビングだった。


 その中央、彼がこちらを向いて立っている。

 他には、誰もいない。


 キッチンも、無人。

 シンクの上をほとばしる水しぶきだけが、動物ぶっていた。蛇口から水が吐き出され、シンクに跳ね返って、永遠のノイズを奏でている。


 じゃばあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ、きうぅっ。


 そこへ歩み寄った彼が蛇口をひねり、水が止まる。


「適当に座ってよ。コーヒーでいい?」


 まったく、なんでもないことのように、続ける。

 無人空間に水が流れ続けていたことには一切触れずに。


「あ、うん。おかまいなく。……えっと、奥さん、どこにいんの?」

「なんで?」


 言葉尻を食うように、彼が質問をかぶせてきた。

 ポットで温まっていたお湯が、こぽこぽとインスタントコーヒーの粉を溶かす。 


 妙な緊張感。

 こめかみに、熱のない汗がたまる。


「一応、挨拶しておこうかと思ってさ」

「いいよ、別に、そんなの。座ってよ」


 そっけなく、彼はあしらう。

 あまりしつこいのも失礼かと思い、ソファに腰掛けるが、胸中をざわめく違和感が消えない。

 壁際には木製のスツール。婦人用のファッション誌やら、絵本やらが並んでいる。


「お子さんは、何歳なの?」


 彼は、答えない。

 コーヒーをテーブルに置いた。

 淹れたての蒸気が、立ち上っている。


 なぜだ。

 家族に関する質問にだけ、不自然なほどに愛想が悪い。

 俺はコーヒーカップに口をつける。苦い。


 複雑な事情でもあるのだろうか。

 あまり触れないほうがいいか。

 しかし、だとしたら、なぜわざわざ俺を招いたのか。


 テーブル越し、俺と目が合う位置に、彼があぐらをかいて座った。

 一口だけコーヒーをすする。それから、目線をあちこちに移動させてはじめる。焦り、とも、不安、とも違う、好奇の目つきで。


「あ、部屋。2階の部屋、見る?」


 膝を打って、彼は提案した。

 俺は、思わず一瞬、返事に困ってしまう。

 変だろ、それ。

 なんで家ばっか見せたがるんだよ。


 と、思うも、口に出すわけにもいかず、「ああ、じゃあ」などと曖昧な返事をコーヒーの湯気に曇らせる。

 彼は口端に笑みを溜めて、揚々と立ち上がり、俺を急かす。


 別段、何の変哲もない一軒家だった。

 いったい、何を見せたいのか。

 彼の目的がわからないまま、ただ言われるとおりに、あとをついていく。


 子ども部屋。

 おもちゃが散乱し、やりかけの宿題が学習机に放置されていた。

 赤いランドセル。女の子なのだろうか。

 あまり傷がついていないい。まだ低学年なのかもしれない。


 もう一部屋、似たような間取りの7畳には、マイクやらカメラやら、撮影用の機材がひととおり揃えられていた。

 なんだ? YouTuberか?

 あ、さてはこれが見せたかったのか。俺をダシに、一本ネタを撮ろう、とか?

 ……いや、こんなド素人をゲストに呼んだところで、視聴者を稼げるはずもないか。


 一応、「配信とかするの?」と探りを入れてみる。

「いや、別に……」

 興味なさげに言葉を濁されてしまう。


 彼の歩みは止まらず、寝室まで見せつけられた。

 あほじゃないだろうか。もちろん、きちんとベッドメイクされていて、シーツの乱れみたいな生々しいものはなかったが。

 と、油断していると、ベッドの端に脱ぎ散らかされた女性もののパジャマ。

 思わず、目をそらす。


 そらした先に、蜘蛛がいた。

 かさこそと人目を避けるように、部屋の隙間に逃げていく。


 と、そこで急に気になってしまった。


 パジャマを脱ぎ散らかし、キッチンでは水を出しっぱなしにしたまま、彼の奥さんはどこへ行ったのだろう。

 家中、至る所を案内されたが、どこにもそんな姿はなかった。


 彼の娘についても、だ。

 おもちゃも宿題も出しっぱなしにしたまま、どこへ行ったのか。

 いや、どこにも行っていないはずなのだ。

 だって、靴は玄関に脱ぎ散らかされていたのだから。


 不安と、好奇。


 そのふたつが、俺の行動から気まずさを振り払う。

 ベッドのそばに手を伸ばし、端に落ちたパジャマを持ち上げた。

 まだ新しい。


 いや、新しすぎる。


 肘や胴まわりに、畳まれていた折れ目がくっきりとついている。

 明らかに、


「――気付いちゃった?」


 細く、高い声。

 振り返ると、彼は笑っていた。

 白い歯をむき出しにして、嬉しそうに、くすくす、くすくす、笑っていた。


「ぜーんぶ、新品。あっちのランドセルも、おもちゃも。子ども靴だって、新しかったでしょ? 車のチャイルドシートも、置いてあるだけだよ。他にも、化粧品とか、美容グッズとか、あ、スマホも3台あるけど。どれも、SIMは入ってなかったり」


 朗々と、種明かしのように、説明がはじまった。

 しかし、どれも何の理解にも至らない。

 まったくわからない。

 一体、こいつは何がしたいんだ?


 彼の奥さんは、洗い物の途中で姿を消したわけではない。

 彼の子どもは、宿題の途中でどこかへ身を隠したわけではない。


 この家には、そもそも彼の家族なんてものは住んでいない。

 彼の家族なんてものは存在しない。


 ここには彼と、そして。

 彼の家族が「使うべき道具」だけが、暮らしているのだ。


「意味が、わからない」

「何が?」


 デジャヴ。

 言葉尻を食うように、彼が聞き返した。


「こんなことする意味が、だよ。家族がいるふりして、必要のない服やおもちゃを買い揃えて……いったい、何がしたいんだよ」

「だって、僕って、もともとそういうやつじゃん」


 こともなげに、彼は言い放つ。

 出会い頭の、おどおどした所作は、なくなっていた。

 とても、自然体で、そこにいる。


「グループの輪の中に入って、友だちがいる『フリ』するようなやつじゃん。久々に同級生と会って、嬉しい『フリ』するようなやつじゃん。僕は『フリ』だけで生きてきたんだよ。だから、家族だって、いる『フリ』ぐらいするさ」


 誰のために。

 何のために。


「ねえ、見えた? 家族いるように見えた? 幸せな家庭を築いてそうに、見えた? 聞きたかったんだ。昔の僕を知っている人に。あの頃、僕をグループに入れた『フリ』してたやつに。ねえ、どうだった?」


 畳み掛けるように、笑顔の問い。

 胸から不快感がこみあげる。

 知るかよ、の四文字を、かろうじて飲み込む。気分が悪い。


「帰るわ」


 ようやく無難な四文字に気持ちを変換した俺は、足早に彼の家を去った。




 気づくと、自宅に帰り着いていた。

 玄関をくぐる。

 半ば無意識に、「ただいま」と口にした。

 妙に、疲弊した声だった。


「おかえり。遅かったじゃん」


 普段通りに返ってくる妻の声。

 ひょいと覗かせる、ノーメイクの顔。


 いる。

 俺の家族は、いる。


 録画した連続ドラマの音声が漏れ聴こえる。

 ゲーム中の息子が、罵る声が聴こえる。

 ノーメイクの、着飾らない妻が見える。

 経年劣化した、賃貸の壁紙が見える。


 当たり前の光景だ。

 当たり前の、日常だ。


 彼は、こんな当たり前を欲したのだろうか。

 こんな当たり前に憧れたのだろうか。


 そのために、実態のない家族を作り出し、誰も使うことのない服やおもちゃを買い求めたのだろうか。


 俺に見せつけることで、彼は何か救われたのだろうか。


 二度と会うことはないであろう、彼に向けて、俺は思いを巡らせた。

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家族の気配 二晩占二 @niban_senji

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