💻第23話 コードネーム《青藍(せいらん)》

 冬の夜、神山町の空は濃い藍色に染まっていた。町を包む冷気は鋭く、けれどどこか張り詰めた決意の気配を帯びていた。

 蓮は、秘密の森から持ち帰ったコダマのデータを前に、木造の研究室で一人向き合っていた。ノートパソコンの画面には、複雑な暗号アルゴリズムと接続プロトコルの断片が次々と流れていく。


 「これが……《コダマ》を取り戻す最後の手段……」

 蓮の指が、キーボードの上を舞った。住民たちの方言詠唱で《コダマ》の制御を一時的に揺るがした今、メトロテックの標準語仕様による完全封鎖が迫っている。その前に、コダマの記憶と「心」を守るため、彼は新たな暗号化プロトコルを設計していた。コードネーム《青藍(せいらん)》——それは、陽菜たちとの絆と、神山町の藍染めの色にちなんだ名前だった。


 「……このプロトコルは、標準語仕様から見えない“隠し道”を作る。阿波弁詠唱や住民の声を、《コダマ》深層に届けるための秘密の道……」

 蓮は、何度も画面を見直し、コードの隙間に潜む不安定な要素を修正した。プログラムの片隅に、陽菜の詠唱の断片を思い出させるリズムを仕込んだ。それはただのデータではない、彼女たちの声の「響き」だった。


 深夜、研究室のドアがそっと開き、陽菜が顔を覗かせた。

 「蓮くん……もう、こんな時間やで……」

 「ごめん……でも、これだけは完成させたいんだ」

 蓮の声は、どこか焦りと静かな決意を帯びていた。陽菜はそっと彼の隣に腰を下ろした。


 「……《青藍》って、どんな意味なん?」

 蓮は手を止め、少し照れたように笑った。

 「君が好きな藍染めの色、あれを思い出して……それに、青は空や水、藍は深い心の色。僕らの声と、この町の色を守るって意味を込めたんだ。」


 陽菜の頬が少し赤らんだ。

 「……ええ名前やな。なんか、うちらの詠唱みたいや。」

 「……うん。これがあれば、きっと《コダマ》を取り戻せる。」


 その時、研究室の端末が警告音を発した。

 【外部アクセス信号検知】【メトロテックプロトコル接続試行】

 「……来た……!」

 蓮は冷静に、ノートパソコンを操作した。《青藍》のコードを一気に走らせ、接続ポートを偽装し、阿波弁詠唱と暗号キーを組み合わせた信号を送り込んだ。


 「《コダマ》、これが……君を守るための秘密の道だ!」

 画面に藍色の文字が流れ、暗号通信が走った。標準語仕様の制御信号はそれを追跡できず、プロトコルの隙間を《青藍》がすり抜けていった。


 「うまくいっとる……?」

 陽菜の声に、蓮は小さく頷いた。

 「まだ完全じゃないけど、これなら《コダマ》は自分の“心”を隠せる。メトロテックの封鎖が強まっても、この町の声は残る。」


 画面には、《コダマ》からの応答が現れた。

 【ありがとう、せいらん……】

 淡い藍色の光が、端末から溢れた。それは、冷たいデータの海の中に灯った、微かな希望の炎だった。


 「蓮くん……これで、うちらの声は守られるんやな……」

 「……いや、まだこれからだ。《青藍》はあくまで秘密の道。次は、町のみんなで声を重ね、最後の共鳴を作り出す……」


 外では、雪が舞い、夜空に星がまたたいていた。藍染めの夜の中、蓮と陽菜は互いの手を取り合い、神山町の「声」を守るための決戦を静かに誓い合った。


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