🌌第19話 失われた声
冬の朝、神山町を覆う空は、鉛色に沈んでいた。
寒さが一層深まり、棚田の水面は氷に閉ざされ、山の木々は霜に白く覆われていた。けれど、その静けさの中には、何かが「止まった」気配があった。
「《コダマ》が……応答せんのや……」
木村の声が、モニタールームに重く響いた。蓮と陽菜が駆け寄り、画面に表示されたエラーコードを見つめた。そこには、見慣れぬ標準語仕様の命令コードと、封鎖されたアクセス権限の警告が浮かび上がっていた。
「阿波弁詠唱……無効化……?」
蓮の声が震えた。木村は唇を噛み締めた。
「メトロテックが、ついに《コダマ》の中核を掌握したらしい。地域仕様の方言詠唱モジュールを停止して、標準語プロトコルに書き換えた……。」
陽菜の胸が、ぎゅっと締め付けられた。
「じゃあ……《コダマ》は、もう……うちらの言葉、聞いてくれんの……?」
モニタのパネルは、無機質な白光を灯した。阿波弁も、町の声も、あの優しい響きも消え失せ、代わりに冷たく効率的な標準語のコマンド群が並んでいた。
「これは、方言ロックアウト……《コダマ》の“心”を消し去る、冷たい封印や……」
木村の言葉に、陽菜は肩を落とした。あの日、藍染めの光を一緒に作った《コダマ》、田畑を揺らした詠唱、棚田に立ち上がった光柱……あの「共鳴」は、もう戻らないのか。
蓮は、拳を握りしめた。
「これじゃ……この町の声は、消される……。みんなの詠唱も、方言も、《コダマ》に届かない……」
町では、すでに混乱が広がっていた。高齢者が「AIが動かん」「草むしりも料理もできん」と困惑し、若者は「都会の企業に持っていかれる」と怒りをぶつける声を上げていた。
「……メトロテックに支配されたら、この町は……」
陽菜は、涙をこらえながらつぶやいた。蓮は黙り込んだまま、モニタに向き直った。
その時、パネルの片隅に、微かな光の点滅が現れた。標準語仕様に覆われたデータの奥底に、かすかな「声」が埋もれていた。
【おおきにな、まけまけいっぱい……】
それは、断片的な阿波弁の響き、まるで遠い記憶の残滓のようだった。
「……《コダマ》……?」
陽菜は思わず声を上げた。蓮は素早くデータ解析を試みたが、標準語仕様の防壁が立ちはだかり、深部のアクセスは遮断された。
「完全に消されたわけじゃない……けど、このままじゃ……」
蓮の声に、木村が低く応えた。
「……残る道は、封鎖された中核の外に、バックアップを探すしかない。旧世代のサーバー、森の奥に眠るシステムが……」
「秘密の森……」陽菜の声が震えた。
冷たい風が、窓を揺らした。外では雪が降り始め、神山町の空を白く染めていった。方言と共に失われつつある《コダマ》の「声」。だが、その奥底には、まだ微かな光が息づいていた。
陽菜と蓮は、決意の表情を交わした。
「……まだ終わらせへん……うちらの声、取り戻すんや……!」
夜の帳が下りる中、彼らは秘密の森を目指す覚悟を胸に、静かに歩き出した。
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