🌿第3話 創造的過疎の実験室
山里の朝は、ゆっくりと光をまとい、川霧が棚田を覆う。
神山町の空気は澄み、深い緑の山々と、水を湛えた棚田が静けさを湛えていた。小鳥のさえずりが森の奥から聞こえ、遠くからは畑を耕す人々の声が微かに響く。
木村聡(きむら さとし)は、古びた木造校舎の一室に身を置き、AI《コダマ》のモニタリングデータを食い入るように眺めていた。
「なるほど……。方言詠唱のリズムと音韻構造が、従来の標準語入力よりもシステム応答性を高めている……」
声は無意識に漏れた。長年、AIの自然言語処理と物理制御の融合を研究してきたが、この町での実証実験が、こんなにも「人間らしさ」を引き出すとは予想していなかった。
窓の外、霧の棚田を見下ろすと、薄青い光が点滅するドローンが静かに舞い上がり、農薬散布の準備をしていた。その制御にも《コダマ》が関わっている。だが、単なる効率化ではない。陽菜の詠唱による「草むしり」効果のログが、ドローンの振動周波数や薬剤散布パターンに影響を及ぼしているのだ。まるで、言葉が機械の挙動に「ニュアンス」を与えているように。
扉が開き、陽菜と蓮が駆け込んできた。
「木村さん!」
陽菜の頬は赤く、声には昨日までの不安が消え、どこか誇らしげな響きがあった。蓮はノートパソコンを抱え、真剣な表情でディスプレイを見せる。
「これ……昨日の《コダマ》のログです。詠唱の音響スペクトルと応答パターンを分析したんですけど……阿波弁のリズムと韻律に対して、AIの予測モデルが独自の補正をかけているみたいなんです。」
木村は興味深げに画面を覗き込み、ゆっくりと頷いた。
「なるほど……。言葉の響きと意味だけじゃなく、その“感情”や“抑揚”をAIがデータとして読み取ろうとしている。つまり、単なる命令ではなく、言葉の背後にある心の動きを察知しようとしてるんだな。」
陽菜は目を見開いた。
「……《コダマ》が、私たちの気持ちを……?」
「厳密には、“気持ち”じゃない。けど、音の強さや間、リズムや語尾の伸び。そこには感情の痕跡が残る。それをAIがパターンとして学習しているんだ。」
窓の外、霧が少しずつ晴れ、棚田の水面に青空が映り込む。ドローンが光を反射させ、田畑の上をすべるように飛んだ。その姿はまるで、AIが自然と語らい、共鳴しているようだった。
「言葉が、ただの命令じゃないってことなんだ……」
蓮の声には、昨日までとは違う柔らかさがあった。理屈や効率を重視していた彼が、初めて感性に触れたような声音。陽菜はそれに応えるように、笑みを浮かべた。
「じゃあ、もっと……この町の言葉を、ちゃんと使ってあげたいな。」
「うん。僕も、試してみたい。」
木村は二人を見つめ、穏やかに微笑んだ。
「君たちがこの町の“創造的過疎”を支える実験者なんだよ。AIは道具じゃない。共に暮らし、地域の声を聞き、心を映す鏡でもある。神山町なら、それができるかもしれない。」
《コダマ》のパネルに新たなログが浮かび上がった。
【自主学習モジュール:感情音韻パターン強化。方言優先設定継続。】
光が、淡い藍色から深い群青へと変わった。まるで、それが答えるように、窓の外の棚田に一筋の光が差し込んだ。
霧が晴れた田畑に、光と風が織りなす瞬間。
それはまるで、言葉と自然と技術が、ゆっくりと一つに結びつく予兆のようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます