第2話 帝国へ
森を抜けると、深い緑の中に、古びた研究所のような建物が現れた。
石造りの壁は苔に覆われ、鉄の扉には錆が浮かんでいる。
ルーシスは扉の前に立ち、軽くノックした。
「――いますか?」
中から足音が近づく。軋む音とともに扉が開くと、現れたのはルーシスとよく似た青年だった。
金色の髪に緩やかなパーマがかかり、長い耳、透き通るような白い肌――まさしく妖族の特徴。
その赤い瞳が冷ややかに光る。
「何の用だ」
青年――デュランは、手にしていた古書を閉じ、面倒そうにこちらを睨む。
その視線に、夢時は思わずルーシスの背後に隠れた。
「忙しいところ、すみません。話があって来ました」
「……入れ」
ルーシスは頷き、夢時とスランを連れて中に入る。
部屋の中には薬瓶や魔道具が並び、淡い光が棚を照らしていた。
ルーシスは、ここに至るまでの経緯をデュランへと語った。
夢時が異界から来たこと、帝国で不穏な動きがあること、そして――スランが重傷を負っていること。
「つまり、そいつらを匿えというのか?」
デュランは寝かされたスランと、隅で不安げに座る夢時を見やり、低く呟いた。
「……あいかわらず、厄介事を抱え込むな」
「私はこれから帝国へ行きます。スランを連れてはいけません。ここに預かってほしいのです」
「帝国に? お前一人でか?」
夢時が立ち上がった。
「俺も行く。スランとロゼナを助けたい」
ルーシスは目を細めた。
「戦いになるかもしれませんよ。命を落とす危険も」
「わかってる。それでも行く。……助けなきゃ、駄目なんだ」
震える手で拳を握りしめる夢時を見て、ルーシスは静かに微笑んだ。
「――わかりました。なら、止めません」
彼は椅子を押し戻し、デュランに頭を下げる。
「頼みます。スランを」
「相変わらずお人好しな奴だ」
「当然のことをしているだけです」
そう言って、ルーシスと夢時は研究所を後にした。
外に出ると、風が木々を揺らす。
歩きながら、ルーシスが苦笑した。
「すみませんね、デュランは私の双子の弟なんです。あんな調子ですが、根は悪い奴ではありません」
「弟!? そっくりだと思ったけど……性格は正反対だな」
そんな会話をしていると、前方の森がざわついた。
空気が凍る。
次の瞬間、茂みから黒い影が飛び出した。
妖魔――人でも獣でもない異形。
赤い瞳がぎらりと光る。
「またか……」
ルーシスが剣に手を伸ばす。
「下がっていなさい、夢時。私が――」
「待ってくれ! 俺がやる!」
夢時は剣を抜き、走り出した。
鋭い金属音。
斬撃が妖魔の胴を裂き、黒い血が飛び散る。
だが、その瞬間――過去の光景が脳裏に蘇った。
血の臭い。倒れた子どもたち。自分の手が、赤く染まっていたあの日。
――まただ。俺はまた、誰かを殺した。
足が震える。
そんな夢時の肩に、ルーシスがそっと手を置いた。
「夢時。少し歩いたら休みましょう」
「……ああ」
二人は静かに歩き出し、やがて青空が広がる開けた場所に出た。
木の株に腰を下ろすと、ルーシスが空を見上げた。
「戦いは初めてですよね」
「ああ……」
「辛いでしょう。それでも、前を見ている。あなたは強いですよ」
ルーシスは懐から小さなカフスを取り出した。
中央には青い石がはめ込まれている。
「これは魔除けです。持っていて損はありません」
「魔除け……?」
「あなたに必要なものです」
夢時はそれを受け取り、耳につけた。
不思議な温かさが、肌に伝わる。
「――行きましょうか。帝国へ」
二人は再び歩き出す。
しかしその頃、帝国の屋敷では地獄が始まっていた。
ロゼナの父・ハルストの広間。
中央には豪奢な椅子が並び、ロゼナは床に押さえつけられていた。
彼女の義妹アイリスが、笑いながら髪を掴む。
「お姉様、どこに行ってたの? 私、寂しかったのよ」
乾いた音が響く。ロゼナの頬に赤い痕が残った。
「ちょっと、アイリス! 汚らわしい子に触らないで!」
義母ゼルアが嫌悪の目を向ける。
ロゼナはただ黙って父ハルストを見るが、彼は動かない。
ただ、冷たい眼差しで見下ろしていた。
その時だった。
「……フフフッ」
不気味な笑いが広間に響く。
青白い肌、漆黒の髪、赤い瞳を光らせる妖族の男が、闇の中から姿を現した。
「誰……?」
アイリスが問う間もなく、剣が閃いた。
少女の身体が裂かれ、床に崩れ落ちる。
「アイリス!?」
ゼルアが叫ぶも、次の瞬間には同じ運命を辿った。
そして、ハルストもまた一太刀で倒れる。
ロゼナは声を失った。
目の前の惨状が、現実とは思えなかった。
――次は自分だ。
「ロゼナ!!」
聞き覚えのある声。
ロゼナが振り返ると、そこには夢時とルーシスの姿があった。
「先生……逃げて……!」
涙を流しながら叫ぶロゼナ。
その瞬間、床の魔法陣が輝いた。
「トラップか――!」
爆発が起こり、ルーシスの右腕が吹き飛んだ。
「この程度の術に気づかないとはな……」
現れた男――ローディオが笑う。
だが、次の瞬間、ルーシスの姿が掻き消えた。
「なっ――!?」
背後に現れたルーシスが、剣をローディオの首へ突き立てる。
「貴様、上層部のローディオだな。何故ここにいる」
ルーシスの瞳が妖しく赤に染まった。
「貴様らゴミを利用してやっただけだ!」
「貴様が――!」
剣がローディオの足を貫く。
悲鳴が響く。
「誰がやったと思っている!? あそこには、子供たちもいたんだ!」
「知るか!」
ローディオが剣を振るうが、ルーシスは避け、首を掴んだ。
「死ぬのはお前だ」
その時、夢時の前に新たな男が現れた。
冷たい瞳で彼を見下ろす。
「我はヨーデ。お前の敵だ」
「敵だってのは分かってる! だが――お前は何者だ!」
夢時は叫び、剣を振るう。
刃がヨーデの額を裂いた。
「ぐっ……!」
怒りに染まったヨーデが手をかざす。
無数の妖人がロゼナへと飛ぶ。
夢時は身体が勝手に動いた。
剣を握り、ロゼナの前に立ち、光を纏った刃で妖人を斬り裂く。
「夢時! ロゼナ!」
ルーシスの声が響く。
夢時は息を切らしながらロゼナを抱きかかえた。
「ロゼナ……死んだら、スランが悲しむ……!」
ヨーデが何かを言いかけた瞬間、ルーシスの剣がローディオの胸を貫いた。
「知らなくていい。眠れ――」
その直後、扉が開き、数人の兵士とスーツ姿の青年が入ってきた。
青年は息を呑み、辺りを見渡す。
「ロゼナ様!? これは一体……」
「……ハルア……」
ロゼナがかすれた声で名を呼ぶ。
ハルアは彼女の前に膝をついた。
「話は、部屋で。すべて、話します――」
そして、戦いの夜が、静かに幕を下ろした。
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