番外編:君と迎える、この日に乾杯

「……今日は何の日だと思う?」


そう言ったのは、怜のほうだった。

夕飯を食べ終え、いつものようにソファでくつろいでいた拓也に、怜は不意に問いかけてきた。


「え? ……もしかして、今日って」


「正解。俺たちが付き合いはじめた日」


にっこりと笑う怜の顔に、拓也はほんの少しだけ焦った。

覚えてはいた。けど、特に派手な準備はしていない。

きっと怜は、そんなこと望んでないって、どこかで思っていたから。


「……ごめん、特別なこと、何も用意してない」


「ううん。それが嬉しい」


「え?」


「だって、こうして一緒にいられることが、いちばん特別なんだもん」


怜はそう言って、そっと紙袋を差し出した。中には、拓也の好きなコーヒー豆と、手書きの小さなカード。


「一緒に過ごす記念日って、いいなって思ったから。俺がちょっとだけ、先に準備した」


カードには、走り慣れない文字でこう書かれていた。


『拓也と出会ってから、俺の世界はぐっとやわらかくなった。

これからも、いちばん近くで甘やかされたい。怜』


「……こっちがやられたな」


拓也はカードを指でなぞりながら、思わず微笑んだ。

そして、テーブルに置いていた小さな箱を取り出す。


「実は、こっちもちょっとだけ用意してたんだ」


中身は、銀のシンプルなペアリング。

派手じゃないけれど、仕事の邪魔にもならない、ほんの小さな証。


「一緒に暮らしてるけどさ、なんか“目に見える形”が欲しくて」


怜は言葉を失って、リングを手に取った。


「……つけていい?」


「もちろん」


拓也がそっと指輪をはめると、怜の薬指が、ふたりだけの証で輝いた。

そして、同じく拓也も。


「これで、ちゃんと“ふたり”って感じだね」


「最初からそうだったよ。でも……改めて、おめでとう。これからもよろしくな、怜」


「うん。ずっとよろしく、拓也」


乾杯の代わりに、ふたりは静かに唇を重ねた。

特別な日を、特別な人と――

ただそれだけで、世界はやさしくなる。


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