第二話  大地と昼夜兼行(ちゅうやけんこう)の男

 カズの旅路で距離を稼ぐことは難しい。

 杖をつきつつ気を配り、一歩一歩駒を進めるように道を行く。

 時に道は途絶え、獣さえもはばむ箇所にも突き進まねばならない。地図など無く、立ち位置さえままならない中、何年も一人旅をしてきた。

 この日は、丁度良い物陰に腰を据えられた。

 茂みに目隠しされた半壊の掘建小屋だった。

 手探りで品定めした結果、多少の雨風は凌げそうであり、広くはないが空間もある。倒壊する感じもなく、カズの一時的な身の置き場には丁度良かった。

 《長居しようか・・・》

 荷物を置き、下調べへ向かう。

 森を掻き分け進んだ場所には、運良く水場を見つけられ湧水を飲む事も出来た。

 早速その近辺に仕掛けを張り、小動物を狙う。

 寝床用の草を集め、決めたばかりの寝ぐらに戻る。

 床拵えしつつ、釣床の懐かしい浮遊感が思い出された。

 カズにはあれ以来使う機会がなく、一時期は忌み嫌った時もあった。

 釣床は〝親代わり〟が編み方を教えてくれた。その頃はまだ視力はなく、カズの手をつらまえ丁寧に動作を叩き込まれた。

とても大きく、分厚い手のひらだった。そんな郷愁にも似た回想をしつつ、やがて眠りについた。


 翌朝は早々に仕掛けを見に行く。

 野ネズミを獲得出来たため、貴重な塩と野草を用い干し肉を作る算段をする。

 仕掛けを増やし、幾日か留まる決意もした。

 《いつぶりかな、こんな場所・・・》

 安心して腰を据えられる居場所は、カズにとって貴重であった。

 自分でもわかるほど高揚していたため、自制しながら野ネズミを捌く。

 火は起こせないため、干し肉の作成には慎重を期すが、日を追うとともに非常食は貯まっていった。

 ここ数日は人の気配も特にない。

 大型の獣の様子もない。

 だが、安心している心の持ち用に徐々に危機感も覚えていった。

 《そろそろ行かなきゃかな》

 口笛をも自制しながら、また旅立つ準備に取り掛かろうとしていた矢先、カズは異変を感じた。

 《!?・・・何か来る》

 まだ遠くにある気配。それはカズの居場所に向かって来ているのがわかった。

 カズは息を殺すが、近づく気配は激しい吐息だ。

 固唾を飲み、鼓動を感じる。

 周辺の雑木林がガサササボトッ、ザザザボトッ、ガサンボトッ、と不文律な物音を立てている。

 カズは瞬時に考えを巡らす。

 《何かを投げ込んでいる?罠か?》

 身の危険を感じ寝ぐらから出る。

 近づく気配は速度を緩めない。

 カズは先手を取ることを決めた。

 近づく気配とともに投げ込まれる何かも遠のくため、カズは《しめた──》と思った。

 気配に近寄り息を鎮める。

 自分の領域に入った途端、カズは〝立飛たっぴ〟で茂みから飛び出した。

 「うわっ!」

 その者は体勢を崩し、おまけに足元をすくわれ倒れ込み、頭からは編笠が外れ飛んだ。

 カズは一気に腕を取り腹這いに制圧出来た。

 「なに?痛てててっ!」

 声から男、腕から体型、気配から殺気、その他の情報も極力読み取るように努める。

 「痛ててて、なんだ、なんだ?」

 《殺気は無い、この転がり落ちた物は何?》

 「何者!」

 突っ伏した男が戸惑いながらも答える。

 「何者って、何者でもないよ!ただ走ってただけだ!」

 「嘘つくな、何投げてた、罠か!」

 「わ、罠?」

 カズはさらに体重を乗せた。

 「痛、痛いって、罠ってほんと何の事だい!見りゃわかるだろ、泥団子だよ」

 「・・・泥団子?」

 カズには到底判断は出来ない。

 男も嘘をついているようには感じ取れなかった。

 「何だい、わかんねえのか、とにかく離してくれよ、動けねえし、く、苦しい」

 背負った荷の重さも手伝い、男からは勢いが失せていた。

 手に届いた転げ落ちた泥団子に触れ、カズはますます訳が分からなかったが、この男は〝奪う者〟ではないらしい。

 武器も確認出来なかったため力を抜き、腕を解いた。そして念を入れて距離を取る。

 足払いで使用した白杖で男の動きを感知しつつである。

 男は顔をしかめながら立ち上がり、ようやくカズを一瞥できた。

 その様子から男が訊ねる。

 「・・・おめえ、めくらか?」

 カズは頷く。

 「・・・そうか、別においらはおめえに何かしようってんじゃねえんだ、だから、大丈夫だから」

 「何をしてたの?」

 語気を強めて訊ね返す。白杖は向けたままだ。

 「何をって、走ってただけだ・・・」

 「ウソ、これは何?」

 「だから泥団子だって」

 「放りながら何してたのさ!」

 わざとイラついた口調を向けた。

 「何だい、いったい・・・これは・・・これは、使命なんだよ!」

 「使命?」

 思いもよらない言葉だった。

 「使命って何の?」

 男はカズの押しに負け、その場にしゃがみ込む。

 「わかった、わかった、おいらはあんま説明は苦手だが聞きたきゃ言ってやる。何でも聞け」

 腕を組み、地べたにあぐらを掻き、観念した様子がカズにも窺い知れた。

 カズも幹にもたれ話を聞く体勢に入る。

 「おめえ、名前は?」

 「カズ」

 「カズか、ようく聞け?」

 聞く間も無く男が話し出す。妙な力があった。

 「まず、おいらは笠吉だ」

 「・・・かさきち・・・」

 「これは大事な泥団子だ、こいつは未来だ」

 「みらい?」

 「そう、未来」

 「泥団子がなぜ未来なのさ」

 「・・・詳しくはわからん」

 「は?」

 「そう言われた」

 「誰に?」

 「お師さんに」

 「誰って?」

 笠吉は若干イラついた。

 「あああっ!」

 急な雄叫びにカズは純粋にビクついた。

 「おいらは馬鹿だからやっぱ苦手だ、ちょっと待ってろ!」

 そう言うと笠吉は立ち上がり、生身のまま森に駆け出して行った。

 カズは微動だに出来ず、ただ立ちすくんでいた。

 「逃げた?・・・」

 笠吉に置き去りにされた散乱した泥団子。カズは注意深く手に触れた。

 道具はあるが武器は無く、身軽な旅人といった感じ。

 そして大半は泥団子。カズはとりあえず寄せ集め、笠吉の戻りを待つ。

 背負っていた頑丈な皮袋、そこには拳小こぶししょうの泥団子がふんだんに詰まっている。

 それでも空間はある程度確保されているため、元々はもっとあった筈だ。皮袋は背負う仕様になっており、両脇に内部に繋がる口がある。背負いながらも泥団子を効率よく掴み取れるよう工夫が施されていた。

 カズはそれを担いでみて驚いた。

 《!?・・・こんな重さを背負って走る?》

 カズの中で謎は深まるばかりであったが、これまでのやり取りの中でも危険人物では無さそうと判断出来ていた。

 ただ、戻りがとにかく遅かった。

 どのくらい待っただろうか、霞の中でのお天道さんはすでに傾き始めている明るさに変化し、その変化はカズも感じ取っていた。

 《仕方ない、出発は延ばすか・・・》

 笠吉の道具一式を寝ぐらに取り込み、自分の準備を整え、しばし眠りにつく──。


 如何程いかほどか睡眠した頃、再び笠吉の遠巻きからの息遣いを察知できた。

 何か圧倒するような存在を感じ、外に出る。

 日はかげり始めてはいるが、カズには無関係であった。

 弾んだ息遣いの笠吉は二つの大きな実を持って帰って来た。それは麺麭めんぽうの木の実だった。

 「食え」

 乱暴に手渡された物を、カズは手触りから必死に品定めする。

 細かい凹凸は厚い外皮で形成され、外敵から守る能力の高さを伺わせる木の実だと分かった。重量もあり、初めての手触りだが、この中には普通の実には無い生命力の様なものが詰められている事も同時に感じ取れた。

 「何これ?何の実さ」

 カズの問いは聞き流され、慌しい笠吉は落ち着かない。

 「・・・あれ?おいらの荷物は・・・」

 カズは寝ぐらの方向を指差す。

 安堵した様子で発言する。

 「あの泥団子の未来がこれさ」

 笠吉は誇らしげにさらに続ける。

 「これは何年も前に蒔いた種だ。こんなにでっかくなってたぞ」

 そう言うと枯れ木を拾い集め出した。

 カズはその発言に対し、考えを巡らす言葉で精一杯だった。

 笠吉が火を起こそうとした時に、ようやく声が出せた。

 「いま何やろうとしてる?」

 「何って、こいつを焼くのさ」

 「ちょっとダメ!」

 カズは身を隠す時は火は焚かないでいた。火は人を寄せつけるからだった。

 笠吉もカズの心配は承知していた。

 「ここいら辺、誰も居なかったから大丈夫だ」

 「ほんと?」

 「ほんとさ、ずいぶん探し回ったからな。結局馬鹿みたいに遠くまで行ったさ」

 手慣れた様子で火種を作り、手早く燻して着火した。あとは火を絶やさないように実をそのまま火中に投げ込む。

 バチバチと音が鳴り、火の粉が舞い上がる。

 カズにとっては久しぶりの焚き火であった。

 笠吉は火の按配を見つつ口を開く。

 「泥団子ん中身は種だ、団子が種を守ってんだぞ」

 カズはそこで合点がいった。

 息つく暇なく笠吉は言葉を続けた。

 「泥団子は元々お師さんが作ってて、おいらが教わった」

 「それをあんたが蒔いて廻ってるの?」

 笠吉は嬉しそうに頷いた。

 「それがおいらの使命なんだ」

 優しい口調はカズにも伝わり、しばらく静寂が包んだ。辺りに芋の焼けた様な香ばしい匂いが立ち込めてきた。

 笠吉はいそいそと作業をする。丁度良い棒切れで焼いた実を弾き出し、そこら辺の石で実を割ると、中を取り出しカズに手渡す。

 「熱いから気をつけてな、ほら」

 カズは言われるがままに手を差し出す。熱すぎずホカホカとした感触が伝わる。

 「かぶりつきだぞ」

 笠吉が食べ始めるのを確認しカズも口に運んだ。

 「いただきます・・・」

 「・・・どうだ?」

 「・・・おいしい・・・はじめて食べた」

 ふわふわした食感と口の中に広がる甘みは、これまで経験した食べ物とは違った。匂いも食感も芋に似ていたが、歯応えは別物であり、より甘味が強かった。

 笠吉は誇らしげに語り出した。

 「こういうのをお師さんと一緒に作ってんだ。ほかにもいろんな種類の実が有るんだ」

 カズは途方もない所業を目の当たりにしているのだと感じた。

 想像を超える人間。

 今まで対峙した〝奪う〟側ではなく、紛れもない〝与える〟側の人間──。カズは圧倒され思わず言葉をこぼした。

 「でも、なんで・・・」

 「何でかって?そりゃあ、おいらは眠らないからだ」

 「えっ、どういう事?」

 「眠らないでずっと走り続けられる、だからお師さんがこの使命をくれた。おいらはみんなの役に立つって、だからいろんな土地に種を蒔こうって。まだ大地は死んじゃいないんだって」

 「ずっとやってるの?」

 「ああ、みんなの役に立ちたいからな、じゃあ行くぞ、おいらは」

 一通り食し、笠吉は火を消し、カズは寝ぐらへ誘導した。

 さっそく笠吉は出発の準備に取り掛かかっていた。カズは笠吉に謝る機会を伺っていた。

 「あの・・・あたし・・・」と、言い始めたところでカズは言葉に詰まった。笠吉から気配が消え微動だにしないからだ。

 《しゃがみながら寝てる?・・・そりゃ、そっか、いくら何でも寝ないで走り続けるなんて出来っこない》

 カズは詫び言を一旦止め、そっと外へ出た。

 《自分がこれまでなんとか生きて来れたのも、笠吉が休む間もなく種を蒔き続けてくれたからかも知れない──》

 そう思うと、自分の小ささにひれ伏しそうだった。

 「じゃあな、カズ」

 ものの数分で笠吉が現れた。

 唖然としながら思案する。

 《もしや、あの一瞬が睡眠なんだ・・・寝てる事すら気付かない・・・》

 カズは気を取り直し、言い放つ。

 「笠吉、ごめんなさい。そして・・・ありがとう」

 笠吉はカズの感謝の言葉に一瞬きょとんとしたが、その言葉をしっかり噛み砕き笑みをこぼす。

 「気にすんな」

 そう言うと編笠を被り、片手を上げ手振りを見せた。

 カズがそれを見ようが見まいが、笠吉は〝またな〟の気持ちを込めた。

 締め直した褌から、引き締まった脚で力強く土を蹴っては踏み締めて去って行った。

 どんどん遠のく背中を見送りながら、カズは自分の知らない世界をもっと教えて欲しかったと強く思った。

 もしくは、一緒に付いて行きたい気持ちもあった。ただそう言った感情を上手く表現出来なかったし、笠吉に追随できる訳もなかった。〝いつかまた会えたなら、今度は沢山話そう〟カズはこの出会いでまた別の目標を立てた。


 笠吉はというと、次の目的地まで休まず走る中、お師さんとの出会いを思い出していた。

 夜通し彷徨っていた頃、何をするでもなく、何をしたら良いかすら分からなかった時分に、その出会いは突然現れた。

 おぼろげな月明かりの中、自分に優しく語り掛けてくれたのがお師さんだった。

 その頃からお師さんは泥団子を蒔いていた。

 いろんな話を聞き、自らも話した。

 「眠らなくていいなんて、そら才能じゃわい。どうじゃら、ワシの事を手伝ってはくれんじゃろうかの?」

 自分自身が認められてそれからずっと走り続けている。

 初めて種蒔きする日、すげ笠を被せてくれた。

 「おお、よく似合うな、こんなに似合う者は他に見た事がないわ。そうじゃ、お前さんは今日から笠吉という名前にするのはどうじゃろうのう?」

 「カサキチ?・・・いいよ、お師さんがそう言うなら」

 元の名前の由来も知らなかった笠吉には元名に未練などあるはずも無く、その響きが気に入った。笠吉という人生が始まった日で、自分が好きになった瞬間でもあった。

 走りながら、笠吉はとある出会いも思い出した。

 

 それは随分前に、褒められた出来事だった。

 お師さん以外に初めて褒められたため、昨日の事のように思い出せる。

 「笠吉、それは立派な事だぞ。頑張れよ」

 酷い匂いの煙草を吹かす男に言われた。

 笑顔で頷いた記憶。もうどれくらい前だろうか。笠吉が初仕事、初上陸時の断片がふと蘇った。

 「その赤ん坊、目玉が無いぞ?」

 笠吉が煙草の男に訪ねた。

 「ああ、そうだよ、可哀想な子なんだ」

 「じゃあ、その子のためにも頑張るぞ」

 ──あの時の子はどうしているだろうか──。

 ──きっと元気に違いない──。

 笠吉はそう信じて疑わず走り続けた。

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