第十ニ話  絹衛門の述懐談義(じゅつかいだんぎ)

 三人は廃村(音無村おとなしむら)を後にし、すでに数日経過していた。絹衛門きぬえもんの先導の元、三人は山道をひたすら進んで行く。絹衛門なりに二人の様子を伺っては、適度な小休止を入れつつ、この旅の一路平安を目標に責任を自分に課していた。

 そんな絹衛門の気持ちを感じ、カズも安心して前に進む事が出来た。もしこの二人と出会わなければ、未だ自分は堂々巡ったまま──、ずっと〝親代わり〟には辿り着けないのではないかとも思っていた。

 今は極力身を任せて、いざとなった時に役割を果たそうという心情であった。

 ──稲造は期待もあれば不安八割という中、旅を通じて自分への成長を期待していた。カズに守られるだけではなく、守る側に成る事を強く胸に秘めていた。

 そんな中──、絹衛門の表情は暗く、いつしか口数も減っていた。

 絹衛門には分かっていた事がある──。

 あと半日ほど進めば山が割れ、〝蛇崩谷じゃくずれだに〟が現れる事を──。

 彼にとっては再訪の地であった。

 その事をまだ言えずにいた。

 ここへ来て絹衛門はそれを伝える事を決め、〝蛇崩谷〟を回避するために話し合いが必要だと判断した──。


 夜が更け、この日も回りに警戒し火を焚べていた──。

 稲造は絹衛門の緊張も知らずにだらしなく欠伸をしている。

 「実はね──」

 皆んなの様子を伺い、口火を切る。

 「きちんと伝えとかなきゃいけない事があるんだ、聞いて欲しい」

 「どうしたの?」

 カズは絹衛門の様子を感じ取り応える。

 「あと半日もすれば例の〝蛇崩谷〟に突き当たるんだ」

 「・・・そ、そ、そう言えば、そ、そんな事言ってたね──」

 「呑気だよ、君は」

 「なんか蛇神へびがみとかって言ってたよね」

 「そう、それ──。これから話す事はとても重要だ。心して聞いてほしい──」

 稲造は硬直気味で眠気が消し飛んだ様子だ。

 「僕は昔、一度だけ〝蛇崩谷〟に行った事があるんだ。ちょうど君たちのような訪問者が村に現れてね。それこそ盗人みたいな成りで、それは正真正銘の盗賊だったんだよ。その男が白状してね。だけどもね、信頼のおける奴だったのさ。仕方なく盗賊の一味になってしまったらしいんだけど、そこからなんとか逃げおおせて、僕の村に迷い込んだって経緯でね。その時も結局、持ちつ持たれつで港町を目指したのさ──」

 絹衛門はここまで一気に話すと水を含み、休みなく話を続けた。

 「その時は僕も意外と軽い気持ちで村を出たんだ。また戻ればいいと思ってね。〝蛇崩谷〟の情報も村人の噂話程度でどんなものかなんて知る由も無かったんだ。その抜人と三日三晩は歩き通しだったと思う。僕は休み休み行きたかったんだけど、何せ追っ手の恐れもあると言うのだから、それにも付き合わなきゃいけない。もうへたばる寸前に〝蛇崩谷〟にたどり着いたんだ──」

 流暢りゅうちょうな言い回しで昨日の事のような話ぶりに、二人は言葉を挟む余地も無く聞き入れることに集中していた。

 「直に目の当たりにするとだね、いわゆる谷は山を一刀両断されたような、そんな谷なんだよ──。左右に無理くり引き裂かれたようなさ。村人の噂話だと、大蛇が通った跡だって言うんだ。そんな訳ないのにね。まあ、もちろん僕が感じた景色と、人それぞれ言い方はあると思うけど、霧の切れ間から突然現れてきた〝蛇崩谷〟はそんな印象だった──」

 稲造は大袈裟に想像が膨らみ、表情を引き攣らせ始めていた。

 「──とにかくそんな谷に出会したわけだけど、僕はね、言った通りの印象を受けたんで、出来れば右によけて迂回するなり、左によけて峠を越えるなりして、谷を直進することはなるべく避けたかった。でも、彼(抜人)は一刻も早く距離を取りたい奴だったんだよ。生意気だろ?案内人は僕だぜ?──そこで多少の口論にはなったんだけども、彼は折れなかったね。よほど追っ手が怖かったんだろう。何せ番頭を倒してきたって言うんだから、お頭とやらはカンカンだったんだろうね。でも武器も何も無かったんだよ。着の身着のままの状態だったからね、その辺も僕が安心できた点だろうね──。とにかく、そんな手練れに見えない男と、その先どうするかを言い争っては見たものの、結局埒があかずでね。僕が渋々折れたってわけさ。実は僕ももう峠越えする体力も残ってなかったからね。それでね精一杯その男に恩は売ってやったんだ。〝蛇崩谷〟の噂とともにね──」

 稲造はいよいよ本題なんだと予想した。

 「──その噂ってのがね、蛇神様って言ってさ。この谷を守る精霊って言うのかな。大蛇がいるとか毒蛇がいるとか、顔が蛇の人間がいるとか、とにかく噂が一定じゃないんだよ」

 「蛇頭人間なんて、そんなの居たら滑稽話じゃない──」

 「そ、そうだよね、な、なんか、う、噂も眉唾物だ、だ、だよね」

 ここで絹衛門の熱が一段上がった──。

 「でも、ここで考えてみてごらん。本当のことがわからないって事は、それを証言できる者が生還出来ていないってことにならないかい?」

 「た、た、たしかに・・・」

 「──けど、根も葉もない単なる噂って可能性もあるでしょ」

 「そりゃそうだ──」

 「何それ」

 「僕がその生還出来た者だったとしたら?」

 「え?」

 「ま、ま、ま、ま、まさか──」

 「そのまさかさ──」

 「ほんとなの?」

 「ああ、本当さ。これから話すのは君達が初めてさ。またここに来るなんて思わなかったからね」

 「・・・」

 カズも驚きの様子で声色に変化が現れていた。心なしか白杖を持つ手に力が入る。

 稲造はと言うと、すでに声も出せない程だった。

 「僕らはそのまま〝蛇崩谷じゃくずれだに〟に踏み入れ、かろうじて開けている林道をなんとか進んで行ったんだ。だけども僕はもう体力の限界で、ほとんど眠りながら歩いていた。意識なんてすでに無かったんじゃないかな?それでも彼は構いもせずにずんずん進むんだよ。いつしか僕は気を失ったようなんだ。気づいたら道端で倒れ込んでたよ。すっかり熟睡したみたいでさ。まだ夜明け前だったけど、彼はもう居なくてね。きっと僕を置いて先を急いだんだと思う。今思えば薄情なヤツだよね。方角さえ分かれば道案内なんか要らなかったんだろうけど──」

 「ちょっとキヌさあ、肝心の話はいつになったら出るのさ」

 「これから、これから。要の話はこれからなんだ──」

 カズの短気をよそに、稲造は怯えつつ琵琶びわを抱き抱えている。

 「そう、その〝薄情なヤツ〟を追うか追うまいか、それが問題だったんだ。そうなると信頼関係もクソもないじゃないか、置き去りにされた僕と、かろうじて残された足跡と、どうすべきが正解か選択肢を迫られていたんだ──。でもね、彼も独りぼっちだって改めて思ってね、僕も追って行ったんだ。だんだん空が白んできてね。そうすると色んな音が活発になってくる。何とか彼の音が聞けないかと、いろいろ注意しながら進むと、なんとも不気味な音が聞こえ始めたんだ──」

 「こ、こ、こ、怖いよ」

 「音か・・・」

 「──そう、最初気付いた時は、シー、シーって微かに聞こえるくらいだったんだけど、その音を認識し始めると、シャー、シャーって音に厚みが出てきたんだ」

 「なんの音?」

 「その時は皆目見当つかないさ、初耳だよ、まさに──。それでも先に進むと、彼の足跡の横に、こういう波線の跡が現れ始めた」

 絹衛門は小枝をカズに手渡し、カズの手をつらまえ波線の形を描き伝える。

 稲造はそれを見て声を漏らした。

 「──あ」

 「──なるほど、蛇の這いずり跡だね」

 「そう、その波線がどんどん増えて行くんだよ。進む連れて、どんどんどんどん。彼の足跡を掻き消し、山道は波線だらけになったのさ。そこで僕はさすがに恐ろしくなってね、足が止まってしまった。するとよく見えない先から彼の声らしき音も聞こえたんだ。僕もとりあえず声をあげてみたけど、返答の内容までは分からない。仕方なく、恐る恐る進むことにしたんだよ──」

 カズは真剣な表情で想像を膨らませ、稲造は恐怖が表立って現れては、為す術が見出せずにいた。

 「先に行くと・・・何が見えたと思う?」

 「ぎゃー!」

 「稲造、うるさい」

 「だ、だ、だって──」

 「まだ何も言ってやしないよ」

 ポロローン──。

 『ぎゃあー!!』

 不意に触れた琵琶の弦で、今度は三人の悲鳴が同時に上がる──。

 「おどかしはやめてくれたまえよ・・・」

 「──で、何があったのさ」

 「・・・蛇で埋め尽くされた道。最初はパッと見、藁や井草を敷き詰めたみたいなもんだと見間違えんだけど、そのだいぶんな広さが、すべて蛇だったんだ。そして、よくよく目を凝らして見るとその蛇の隙間に、彼の顔が埋まっていた──」

 「ぎゃばっぎゃぁー!」

 「──稲造っ!」

 「彼と目が合い、僕も言葉を失ってしまったよ。まるで地獄の光景さ。そこで、かろうじて彼の声が聞き取れた。「たすけて──」ってね」

 「生きてた──」

 「でも、僕は何も出来なかった、睨まれた蛙状態さ。彼の懇願する顔は未だに忘れられないよ。そうこうする内に、覆い被さっていた蛇どもが道を開け始めたんだけど、そこでまた驚いたのが、彼は蛇に雁字搦がんじがらめにされていたんだ」

 「──蛇に!?」

 「そう──」

 「ぶぎゃあ〜!」

 「稲造、ほんとやめて」

 ──カズは稲造を雁字搦めにし、口元を塞いだ。

 「賢明だね・・・手足は大の字に蛇に四方に引っ張られ、そのうち千切られるんじゃないかって程で、完全に力負けしていた。そしてさらに首にも巻き付いていて、じわじわと締め付けていたんだ。僕はその時、もう無理だと思った──」

 稲造はカズに抑え込まれつつもジタバタと落ち着きがない。

 「それが蛇神へびがみなんだ・・・」

 「いや──、その地獄絵図の向こう側に、蛇神が居たんだ──。ちょうどカズくらいの背丈の娘さ」

 「──娘なの?」

 「ああ──、その娘がさ、「シャーシャー」って言った途端、彼の首に巻き付いていた蛇が更に締め上げ始めたんだ。目ん玉が飛び出そうな面で青く鬱血したベロが出始め、泡なのか血なのか分からない何かを垂らして、もう死ぬ寸前さ──。そんな面は見慣れてる筈なんだけど、もう怖くて怖くて──。ふと足元を見ると、数匹の蛇が僕を狙ってるんだ。「次はお前だぞ」って感じで──。僕はすぐさまひるがえしてその場から逃げ出したんだ。もう何も考えられなかった。そして逃げながら、彼の首が折れる音を聞いたんだ。〝ゴキッ〟てね──」

 稲造は口を塞がれつつ、唸り声を上げたまま抗い続けた。

 「あんたもいい加減折るよ!」

 カズの勢いは正にやりかねない雰囲気だったため、稲造は観念して静かになった。

 「これが僕の見たすべてさ、その娘が蛇神なのか何なのかは不明だが、確実に危険な谷なのは間違いない。もう言わずもがなだけど、ここは谷を迂回して」

 「──行こう!」

 「はい?」

 「その〝蛇崩谷〟とやらに──。太刀合いたい──」

 「か、か、カズ、じょ、冗談だよね?」

 「──いや、本気さ」

 「聞いてたかい?僕の話を──。それこそ一網打尽にされちゃうよ!」

 カズは二人の慌てふためき様をよそに、落ち着き払って言い放つ。

 そして、左手をそっと右内側腕に当てた。

 「?」

 二人がカズを見つめる中、超高速抜刀し投擲した。

 ──何が起こったか状況把握できないまま、その投擲先を見やると、胴体を貫かれた蛇が一匹身悶みもだえていた。

 「へ、へ、へ、へびっ!」

 絹衛門は蛇神とは対局の何かを垣間見た気がしたが、開けた口を塞ぎ言葉に出来ないでいた。

 「あたしがそうはさせないよ──」

 カズは不敵に呟いた。

 「戦術を練ろう──」

 貫かれた蛇は身悶えつつ、自らの身体を更に割かんばかりに暴れ、最期には生き絶えていた。

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