ヒントは情熱の丘

藤泉都理

ヒントは情熱の丘




 曇り空、時々霧雨。

 肌寒い天気の中、無事に行われた小学校の運動会。

 保護者が参加する借り物競争に今、ピストルの音と共に駆け出した五十代のシングルファーザーの心時しんじは、地面に置かれていた白い封筒の中から引き出してはお題を目にして、首を盛大に傾げた。


(え゛っ? 何これ? 借り物競争のお題って大体、水筒とか腕時計とかネクタイとか日傘とか好きな先生とか憧れの先輩とか、明確に分かるものじゃないのか? え? 何? ヒントは情熱の丘? 何これ? えっと、)


 四人の競争相手もまたお題を手に持ち立ち尽くしていた。

 こちらも心時のようなすぐに分かるお題ではないのだろう。

 俺たちとは時代が違うのかとしみじみ思いながら、心時はきょろきょろと周囲を見渡し小学五年生の自分の息子である恭也きょうやを発見。駆け寄ると、小学校に情熱の丘と呼ばれているところ、もしくはものがないかを尋ねた。

 すれば、恭也は厳しい表情を父である心時に向けたのであった。


「お父さん」

「何だよ?」

「そのお題を作ったのは、奏汰かなた先生だよ」

「奏汰が作ったのか? もっと分かりやすいお題にしろって言っておかないとな」


 奏汰とは、心時の幼馴染の男性で同じ五十代、心時の小学校の先生の一人であった。


「お父さん」

「何だよ」

「よく思い出して」

「思い出す?」

「そうだよ。奏汰先生との小学校での思い出をほじくり返して。二人の間に聳え立っていたでしょう。情熱の丘が」

「小学校五年生でそんなに難しい言葉を話せるなんて。俺の息子マジ天才だな」

「うん。知ってる。ありがとう。で?」

「え?」

「思い出した?」

「え。え? えっと、」


(小学校。奏汰と俺の間に聳え立っていた情熱の丘。情熱の丘。小学校。小学校。校庭。雲梯。ブランコ。シーソー。鉄棒。タイヤ。砂場………砂場)


 今まさに行われている運動会の会場である校庭をぐるりと見渡した心時が砂場に視線を留めては凝視し、不意に目をかっぴらいて駆け出した。


 小学生の頃。

 砂場でよく作っていた山。けれど、どうしても山の大きさにできず、丘と名付けたのだ。

 丘だけでは素っ気ないと考え抜いて名付けられたのが、情熱の丘。

 いつか結婚相手ができた時はここで求婚するのだと約束し合った。

 たったのひとつ。

 砂場にはちょんもりと丘ができていた。

 いつか二人で作った丘のように。


 心時は丘の前に跪いた。

 丘の上には小さな布製の箱が置かれていた。

 こわごわとその箱に手を伸ばし、蓋を開ければそこには。

 腕時計が神々しく収まっていた。


「私たち二人共、指輪とかネックレスとか苦手だから、腕時計にしたんだ」

「奏汰」


 いつの間にか情熱の丘を挟んだ先で跪いていた奏汰は、恭しく心時の片手を手に取ると、一心に心時を見つめて、結婚してくださいと言った。


「恭也君に発破をかけられてね。それでも動こうとしない私に焦れて、みんなを巻き込んでしまった。こんな大事な運動会に………私は情けない男だ。君は子どもも居る。世間体も気にして、友達で居続けられたらいいと、目を背け続けたけれど。恭也君に発破をかけられても動けない情けない男だけれど。こんな大事な行事の場を借りでもしなければ、君に求婚できない迷惑な男だけれど。いいだろうか? 君と家族になりたいと申し込んでもいいだろうか?」

「………本当に大迷惑だよ。こんな。子どもたちの晴れ舞台をいい年をした大人が邪魔をするなんて。本当に、」


 応援する声がどんどんどんどん大きくなっていく。増えていく。

 恥ずかしい今からどんな顔をしてあの集団の中に入り込めばいいんだ明日からどんな顔をして近所を歩けばいいんだ。


(けど。そんな羞恥心よりも、)


 お父さんと。張り上げる恭也の声がする。

 シャンと背筋が伸びた。


「約束。したもんな。結婚相手ができた時はこの情熱の丘で求婚するって。なあ。奏汰」


 心時は奏汰のもう片方の手を恭しく手に取って、結婚しようと言った。

 瞬間。どれだけ耳がいいのか。

 歓声が沸き上がった。






「おまえの腕時計は俺が用意するな」

「っああ」


 心時と奏汰は立ち上がってみんなに深々と頭を下げたのち、心時は奏汰にそう囁いた。


「さあ。みなさん。運動会の再開ですよ。心時君。奏汰君。ゴールしてくださいね。一緒に」


 一体何歳なのか。

 心時と奏汰が通っている時から校長をしている美魔女の雅は、ウインクをしてのち、砂場からゴールまで手を繋いで駆け走る心時と奏汰に、今ひとたび盛大な拍手をと言ったのであった。











(2025.5.24)


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ヒントは情熱の丘 藤泉都理 @fujitori

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