第2話 チャンスへの決断
ロードパルで成功を収めたHは、後継車を出しつつも、「ファミリーバイクの需要はある程度満たされ今後は縮小する」と考え、規模の圧縮を図りました。
Yは「まだまだファミリーバイクの需要がある」と、規模の拡張を図りました。
結果として読みが当たったのはYでした。
ファミリーバイクは、学生や大型ライダーのセカンドなどの新需要を掘り起こし、年を追うごとに販売台数もウナギ登り。そして単月ながら史上で初めてYがHを抜きました。
この事実がHY戦争を生むキッカケとなりました。
それまでYは(創業して間もない頃)本田宗一郎の技術助力を得た歴史もあったため、Hとは切磋琢磨し合う良き好敵手だったのですが、友好関係の間柄でした。新たに就任した小池久雄新社長が好機と判断し、それまでの友好関係から180度反転し、「打倒ホンダ、バイク業界盟主の座を取る」を宣言します。
Hは、CVCCエンジンという偉大な発明をして四輪でも世界に名を轟かせていました。だから四輪へ偏重気味だった時期で、既に四輪の売上は二輪を凌いでいたのですが、本田宗一郎さんの一番弟子である河島喜好社長の一言で、「ウチはあくまで二輪屋」バイクシェア一位を死守するべく車に振っていた予算や人材を二輪に集中させ反撃にします。
Yの販売台数に大きく貢献していたパッソルと正面衝突となるタクトを投入。その後もリードなどスクーターを大量投入しパッソルの勢いを削ぎに落としました。その甲斐あって辛うじて年間販売台数でHは一位の座を死守できました。
営業としてのチャンスを捉えた目はYの勝ち。会社の資源を二輪にシフトした経営手腕はHの勝ち。「当たるも八卦、当たらずも八卦」結果は時間が過ぎれば証明されますが、ギャンブルにも見える「決断」は人にしかできません。すごいです。
歴史は勝者によって作られる。私は磐田のYが、世界のHに挑戦した事実を歴史に残すべきだと思います。そこで戦った戦士たちには、「スピリッツ」が残っていました。
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