第2話 楽園とは

ドアの前に進むと、ガラスと見えるドアが自動的に開いた。

すると、眼の前には何十本もの橋が見え、そのそれぞれの先にはドアらしきものが確認できる。

おそらく、ドアごとに違う部屋があるという仕組みなのだろう。


突如として、俺の頭上あたりから、若そうな声が響く。

思えばそれが、目覚めてから始めて聞く他者の声だった。


「ようこそ、シェルター23へ」


女性の声だった。


(シェルター? 23?)


こちらの疑問をすでに知っているかの如く、声が続ける。


「あなたは核シェルター第二十三号に保護されています。セントバーナード型アンドロイドに外界から収容され、核の脅威を生き延びました」


「ちょっとまってくれ。核? なんだそれ」


「そうですね、説明不足でしたね。3XXX年XX月XX日、午前XX時XX分、核戦争が勃発し、各国が互いに核攻撃をはじめました」


「ついに、やっちまった、ってか?」


「はい。第八百八核軍縮会議の直後、反対組織が自国内で核テロを起こされ、混乱が始まったのです」


「政治はよくわからんからいいや。ともかく、ここはどこなんだ」


女性の声が続ける。


「ここは人が100年以上生存できるシェルターです。オートメーション化されたバイオプラント、フェイクミートの製造、各種ビタミンやプロテインといった栄養分の配合施設、脳外科や心臓外科をも担当できる自動執刀システム、お望みであればスポーツやアスレチック施設、映画館、温泉、テーマパーク、蔵書3千万冊の図書館もご用意しております」


「何でもあるんだね?」


「左様にございます。ヒトが一人、一生涯平穏に、かつ楽しく暮らせていける燃料や資源は、ほぼ無尽蔵にあるとお考えいただいて差し支えありません」


「そうは言ってもさ……ずっと、ここに居ろ、っていうのか?」


「現段階での我々のAI解析では、あなたがこのシェルターを出るのは得策とは言えません。核戦争になってから……」


声が一瞬途切れた。俺は問う。


「なってから?」


「……失礼しました。サーバーがまだ完全にスタートアップしていなかったようです。ともかく、核戦争が起こり、あなたが収容されてから一年が経過しました」


「ってことは、俺は一年もあそこで寝てたってのか!?」


落ち着き払った、だがどこか愛嬌のある声色で声が答える。


「そういうことになりますね」


「うーん……」


俺は文字通り唸り声を出した。

ここに居る限り、生活は保証されている。だが外界とのコンタクトは一切とれないという。


「あんたはAIか?」


間。


「どう思われますか?」


「んー、実際に見てみんことには、なんとも」


「わたしは、イヴと申します。よろしくお見知りおきを」


「そうか……話し相手には、なってくれるんだね」


俺は思い出した。

血液や臓器すらヒトと同じ程度の品質に達した、最新鋭アンドロイド『パラダイス』のことを。

そこにAIがインストールされてから数年。ヒトは進化した。

出産すら可能なアンドロイドと『結婚』できるようにも法整備がなされた。

それが3XXX年のことだ。核戦争から数年前のことだったと思う。

イヴと名乗る声の主もそのアンドロイド、『パラダイス』であっても不思議はない。


「じゃ、ちょっくら他の部屋を見せてもらってもいいのかい?」


「ご自由に。あなたのお尻のポケットにタブレット端末が入っているはずです」


気づくと、いつの間だろう、確かにハガキサイズのタブレットがポケットに在った。


「このシェルターの地図を今からロードさせます。あなたの居場所の座標もお教えしますね」


見ていると、タブレットに巨大な――ドーム何機分はあるだろうという広さの――地図が展開された。

俺のいたところは、その最北端にあったようだ。ピンチ動作をして拡大すると、確かに『サーバー地域』とある。


「しばらく、あなたとの会話が中断されますが、ご安心ください」


「ふむ」


「では、その時まで」


タブレットの地図を拡大すると、『食料庫』という文字が最初に目に入った。

割と近くにある。


(ここで食べ物は調達できそうだな)


先ほどの食事とおやつで腹はいっぱいだったが、ともかくそれを確認したくて道を急いだ。

百メートルはあろうかという細長い吊橋を、駆けるように向かってゆく。


ドアが開くと、そこは巨大なショッピングモールのような様相を呈していた。

入るなり、アンドロイド黎明期のヒト型ロボット――埴輪のような見てくれだ――が近寄ってきて、


「何がお要り用でしょうか」


と問うてくる。俺は面食らってしまった。


「あ、いや、今は腹は減ってないんだけど……あ、ベッドがあった部屋、あそこでの食事の礼もしなきゃな」


「どういたしまして。ここは見ての通り食料供給所です。出来合いのお惣菜、お弁当ももちろん、自炊をなさりたいというのであれば、新鮮な魚類やフェイクミート、野菜もご用意できます。おやつや、晩酌用の各種アルコール、カクテルに日本酒、ソフトドリンク、なんでもございます」


「んー……リンゴとかある? 季節はどうなってるの?」


「当シェルターは、製造者の希望もあり、季節を超えて基本的にいつの食材でも手に入るようになっております」


「そうなんだ」


「はい。すぐにお持ちいたします。おひとつでよろしいでしょうか?」


すると、背後から女性の声がした。聞き覚えのある声色だ。


「わたしの分も、よろしいでしょうか?」


振り返ると。

セミロングの黒髪に、ぱっちりとした目に漆黒の瞳、すらっと通った鼻に控えめな主張の唇の女のヒトが居た。

背丈は俺より拳一つ分くらい低め。おっとりとした、大和撫子といったふうの女性だ。

いわゆるゴシックロリータ御用達の、白黒のコントラストが絶妙なワンピースを着ている。


――あの声の主、イヴだ。


「初めまして……いえ、先程ぶりですね。わたしはイヴ。当シェルターの管理人兼サポーターです」


言うと、スカートの端を両手の指でつまんで、英国式の『お辞儀』をする。


「サポーター?」


「ええ。シェルターに隔離された方を、一生涯お支えする者です」


そのイントネーション、喋り方、口の動き、目のやり方、首の傾き。

顔を観察すると、アンドロイド特有の「完璧さ」が無い。つまり、少々のホクロなどといったものが微細ながら見受けられるのである。どこをどうとっても人間にしか見えない。


「……あんた、ひょっとして『パラダイス』なのか?」


そのヒトは両目をゆっくり閉じて、再びゆっくり開き、俺の目に見入る。

思えば、こんなに慈愛に満ちた目つきで俺を見てくれた女性はいなかった。


「お察しが鋭いですね。はい、確かに『パラダイス』最終ロットです。……さぁ、お座りになって」


ちょうど誂えたように位置していたベンチに、俺達は並んで腰かけた。


(最終ロット。確か……)


AIが暴走する事故があったため、最終的に製造が中断された最後のロットのアンドロイドである。


(まさか、こいつが暴走したら……)


「ふふ、心配されていますね?」


「ぎくっ」


「ぎくっ、なんて声を出す方、初めてお会いしましたよ。ふふ」


右手で作った拳を唇の端にあてがいながら言うイヴ。

これは、ロボット相手とはいえ惚れてしまうやつだ。


「ご安心ください。ロボット原則は遵守するように、このシェルターとリンクされています」


「どういうこと?」


「つまり、わたしがここに居る限り、暴走は一切あり得ないということです」


「暴走しない」


「ええ。ただ、代償として」


俺は唾を飲み込んだ。


「代償として?」


「自由意志がありません。ここを出れば、わたしは本当の意味で自由の身となります」

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